第2話 殲滅

「アリス・ブラッドフォード。任務を終えて戻りました」

 アルメニア市国官邸内、総督執務室の扉の前に立ち、金髪の女性はこう名乗った。

「入りなさい」

 ドアフォンからの声を確認し、アリスは扉の横に設置された網膜認証カメラに瞳を映す。

 続いて、ドアノブの上のパネルにランダムに表示された英数字の配列を指で素早く叩き、パスコードを入力する。

 扉のロックが解除され、アリスは執務室へ足を踏み入れた。

 部屋の奥には、木製の大きな作業机の上で、大量に積み重なった書類に目を通す壮年の男がいた。

「ご苦労だった」

 男は顔を上げ、アリスへ労いの声をかけた。

「先ほど、ジャミル・ロンザ研究員を当局に引き渡しました。車内には数百点に及ぶ細胞ベクター入りアンプルがあり、そちらも鑑識を依頼しています」

「ずいぶんと派手にやったものだ。国立研究所の主任研究員レベルが違法取引に関与した例はかつてない。これで"ファラリス"の尻尾が掴めるかもしれない。本当に、よくやってくれた」

 ファラリス、というのはアルメニア市国最大のマフィアの俗称である。アリスは表情を変えず答える。

「とんでもありません。私は常に総督の手足となるのみです」

 総督はしばし黙ってから、やや険しい表情で語る。

「…前の任務の疲れも癒えぬ内ではあるが、次の指令を伝えてもよいかね。すまないがあまり時間がないのだ」

「もちろんです」

 対するアリスは全く気にもとめない様子で答える。

 総督は、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。

「アルメニア都心から南西80kmの位置にニカヤ村という人口200人程度の小さな集落がある。表向きは普通の農村だが、村全体で麻薬の原料となる植物の栽培、麻薬の密造を行っている。村民たちはマフィアの構成員で、ファラリスとも繋がりがあることがわかった」

 アリスは総督の声を聞きながら思案を巡らせた。

(村そのものがマフィアの下部組織ということか…。貧困地域の農村がマフィアの隠れ蓑になる例は珍しくないけれど、村民全員となると相当な規模ね…)

 総督は言葉を続ける。

「そこで密造される麻薬が、ファラリスの主要な資金源である可能性は高い。麻薬そのものの治安に対する影響も含めれば、優先して対処すべきであることは間違いない。そこで…」

 総督は、一呼吸おいてから、アリスに告げる。

「アリス、君にはこのニカヤ村を"殲滅"してもらいたい」

 アリスは目を丸くした。伝えられた指示の意味が、わからなかったのだ。

「殲滅とは、具体的にはどうやって…?」

 アリスの質問に対する総督の答えは淡白だった。

「そのままの意味だよ。殲滅とは、"ひとり残らず殺す"という意味だ」

「村民200人を、ですか?」

「全員がマフィアの構成員だ」

「しかし…」

 言い淀むアリスに対し、総督は冷徹な眼差しを向けた。

「…この国に巣食うマフィア達によって年間何万人もの人々が傷つき、苦しめられ、命を失ってきた。罪のない子供までもだ。それに手心を加えれば、奴らは増長し、ますます多くの犠牲を生むだろう。わからないかね?」

 アリスは、ぽつりぽつりと言葉を絞り出すことしかできなかった。

「わかります…。しかし…」

「君と部下たちだけでは難しいだろう。軍からの協力を仰いでいる」

 総督は、手元の書類から一部を手に取り、アリスに向けて差し出した。

「これが協力者の連絡先だ。任務の詳細もここにある。アリス、すまないがこれから会議だ。席を外してくれるかね?」

「…わかりました、総督」

 混乱する頭の中を必死に落ち着かせようとしながら、アリスは絞り出すようにそう答えた。

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Recombinant 遺伝子組換え異能力者 @takopannti1111

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