最終話 あったかい場所

◇◇◇◇◇



 のどかな昼下がり。屋敷の庭には色とりどりの花が咲き誇り、豊かな緑が風に揺れる。

 大きく伸びた枝葉が、青々とした芝生の上に涼しげな木陰を作り出していた。


「ちょっとアリシアー、冷たいってばー」

「知りませんわー。ほほほほほっ!」


 ガーデニング用のホースをつかんだアリシアが、ウッドデッキの上から高らかに笑う。

 清らかな水を放出するホースの先は、庭を逃げ回るギルベルトに向けられていた。


「わたくしは水やりをしているだけですわ! そこにいるお兄さまが悪いんですのよー」

「ぜったい狙ってるよね!? 今やることじゃないよね!?」


 アフタヌーンティーの前に庭の手入れをしていたらこれである。

 執拗なまでに放水に追い回されたギルベルトは、すでに全身ずぶ濡れである。


「真っ昼間から元気ねー」

「いつものことだ。気にしたら負けだぞ」


 丸いガーデンテーブルの中心に置いたスイーツタワーに菓子を乗せていたエルザが、手で陽射しをさえぎりながら庭を眺める。

 先ほどからうるさいくらいにぎやかな兄妹の様子に笑みをこぼせば、ティーカップを並べているダグラスが大げさにため息をついた。


「お前、本当にあいつでいいのか?」

「いいもなにも……、ねぇ?」


 眉を下げて苦笑してみせれば、彼は妙に納得した表情で肩をすくめる。


「惚れた弱味ってやつか」

「エルザー、助けてー」


 軽々と柵を乗り越えて、ギルベルトがウッドデッキに上がってきた。

 全身からポタポタと水滴を落としながら、彼はそそくさとエルザのうしろに隠れようとする。


「ちょっとギル、濡れたまま上がってこないでよ」

「そうですわよ! お姉さまの邪魔をしないでくださいまし!」

「邪魔してませーん!」


 エルザを盾にされては、ホースを向けるわけにもいかない。

 勝ち誇ったような兄の態度に、アリシアは頬をふくらませた。

 だがすぐに怖いくらいの笑顔を浮かべると、彼女はすばやくダグラスへと視線を移した。


「ダグ! お兄さまがいじめますわ!」

「ちょ、アリシア! それは反則っ……!」

「ギル」


 ダグラスがおもむろにギルベルトの襟首をつかんだ。

 エルザもそそくさと自分の身の安全を確保する。


「え? ちょ、違うからね! 誤解だからね!」

「ダグー! こっちですわー!」

「ちょっ、ダグ! 待って待って!」

「知らん」


 言うが早いか、ダグラスは大きく腕を振りかぶった。

 担がれるように投げ飛ばされたギルベルトの悲鳴がこだまする。

 庭に落下した彼に追い討ちをかけるように、大量の水が弧をえがいて降り注いだ。

 アリシアに狙い撃ちにされて再び庭を駆け回るはめとなったギルベルトの姿に、エルザは涙をぬぐいながら笑っていた。



「もー、みんなして俺の扱いひどくない!?」

「気のせいですわよ」

「被害妄想もはなはだしいな」


 洗濯したての新しいシャツに袖を通したギルベルトは、ぶつくさと文句を言いながらイスを引く。

 すでにエルザたちは大きなパラソルの作り出す日陰の下で、穏やかなティータイムを堪能していた。

 淹れたばかりの紅茶を口に含み、ダグラスお手製のスイーツを手に取る。

 優しい甘さに頬をほころばせながら、訪れた平穏に思いを馳せる。


「そういえば、あんたはここにいていいわけ?」


 ふと思い出したかのように発せられたエルザの言葉に、おもわずギルベルトの手が止まる。

 突然なんてことを言い出すのだろうか。

 彼女を見れば、きょとんとして小首をかしげている。


「え、なに? なんで? 俺まさか追い出されちゃう? え? ここ俺んちだよね? 嘘でしょ?」

「違うわよ。領主が城にいなくていいのか、ってこと」


 ギルベルトの慌てぶりに、エルザはおもわず苦笑する。

 長らくこの辺り一帯を領地としてきたベルンハルドは、つい先日エルザたちによって滅ぼされた。

 それにともなって新たに領主の座に就いたのが、本来の地位と領地を取り戻したギルベルトである。

 領主の居城として遺された建物に、主がいないというのはいささかおかしな話ではある。

 しかしギルベルトはあっけらかんとして、ひらひらと手を振った。


「大丈夫大丈夫。どこにいようが、俺が領主であることに変わりはないから」


 そう言って、ギルベルトは淹れたばかりの紅茶に口をつけた。


「だいたい、あんなに暗くて血生臭いところ嫌だって。エルザもあんなところ住みたくないでしょ?」

「ぜったいに行かない」

「行くならお兄さまお一人でどうぞ」

「俺は手伝わないからな」

「だから行かないって言ってるでしょ!」


 血生臭さと腐敗臭が充満し、灰とほこりだらけの城に居心地の良さは感じられない。

 拒絶の言葉を無表情で紡ぐ三人に、ギルベルトは苦笑いをこぼしながらも声を大にして叫んだ。


「俺は、エルザやみんなと一緒に、あったかい場所にいたいんだ」


 そう言ったギルベルトの声色はひどくやわらかくて、誰もが自然と笑みを浮かべていた。

 ふんわりと吹き抜けた風が、咲き乱れる草花を小さく揺らす。

 花弁に滴る数多のしずくが、暖かな陽射しを受けてきらきらと輝いていた。





【完】

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ヴァンパイアキス 志築いろは @IROHAshizuki

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