第2話 Side F

「ほら、あのひと


「よくもまあ、世間様に顔向けが出来たものね」


「頼んだらヤらせてくれるのかな」


 時にひそひそと、時に聞こえよがしに、囁かれる噂話。

 私の過去の過ちを克明に記録した動画が、今もネット上で多くの人たちにられている。一応顔はわからないように加工されてはいるが、そこで痴態をさらしているのが私だと、どこから広まった噂なのか、私の周囲の人たちの間で知れ渡ってしまっていた。


 私の名は「脇川わきがわ 麻衣まい」。

 二年前に敬白けいはく大に入学し、そこでテニスサークルに入った。それがきわめてたちの悪いヤリサーだなどとは露知つゆしらず。

 そして私は、しまという先輩と出会った。


 島先輩はとても格好良くて振る舞いも紳士的、テニスも上手な、素敵な男性だと最初は思っていたのだけれど、ある時、飲み会でしこたま酔わされ、貞操を奪われた。

 当時私には、高校時代から付き合っていた「虎根とらね 礼二れいじ」という彼氏がいたのに。


 悔しく、また彼にも申し訳なくて、私は警察に訴えることも考えたのだけれど、島に弄ばれている時の恥ずかしい動画を見せられ、それを拡散させると脅されたら、泣き寝入りするしかなかった。

 たとえ裁判沙汰にして彼にしかるべき罰を与えたとしても、動画を拡散されてしまったら取り返しがつくものではない。クズ男と刺し違えるまでの勇気は、私には持てなかった。


「そりゃまあね、百歩譲って、ヤリサーだって知らなかったのは仕方ないとしよう。でもあたし、あんたから話を聞かされた時、言ったよね? その島って先輩、何か胡散臭いって」


 手土産に持ってきたシュークリームをほおばりながらそう言ったのは、「石井いしい 奏恵かなえ」。私の高校時代からの親友であり、今の私に残された数少ない友人の一人だ。


 彼女は都内の別の大学に通っており、私が入ったテニスサークルの噂も当時は知らなかったのだが、私から話を聞いただけで、何やら感じ取るものがあったらしい。

 歯に衣着きぬきせぬ性格ながら、根拠もなく他人を誹謗したりするような子ではない。そんな彼女の忠告を、どうして真剣に受け止めなかったのか――。悔やんでも悔やみきれない。


 大学に入って知り合った友人の中にも、あのサークルはヤバいらしいよ、などと忠告してくれる子もいたのだが、私はサークルの明るく楽しく、それでいて決して馴れ馴れしくはない雰囲気に騙されてしまっていた。

 それが、新入生を警戒させぬように取り繕われた上辺うわべに過ぎないとわかったのは、取り返しがつかない状況になってからだった。


「もちろん、酒に酔わせてレイプするとか、一万パーセントそのクソ野郎が悪いよ? でもその後の対応も、ねえ」


 そう。私はその後も島に脅されるままにずるずると関係を続けてしまったのだ。

 それも、島に弄ばれるだけではなく、サークルの他の男たちにも、”品評会”と称するヤリコンで輪姦されたりもした。


 そんな悪夢のような目にわされながら、私の体は次第に快楽のとりこになっていった。

 島と繋がった状態のまま、ビデオカメラに向かってピースサインをした時も、理非善悪の判断がつかない状態になってしまっていた。

 いや、言い訳になるが、島はその時プライベートな記念撮影だと言っていたのだ。

 いくら何でも、礼二くんに送り付けるつもりだとわかっていたら拒否していただろう。

 ……自分で言っていて何だが、言い訳にすらなっていないな。


 島が動画を私のスマホ経由で礼二くんに送り付けたと知った時、さすがに私も目が覚め、礼二くんに心の底から謝った。

 けれど、礼二くんは――当然のことではあるのだが――私をゆるしてはくれなかった。

 その当時、一浪して予備校通いだった礼二くん。来年からは一緒にキャンパスライフを送ろうね、という約束は、水泡すいほうした。

 君の顔は二度と見たくない、という宣言通り、彼とはその後一度も会っていない。


「それでも、あんたのことが心配で、あたしに様子を見に行くよう頼むとか、本当お人好しというか何というか……。まったく、何であんないい人を裏切っちゃったかなぁ」


 奏恵の言葉が胸に突き刺さる。


「顔を合わせるたびおんなじこと言われて、あんたもうんざりだろうけどさ」


 でも言わずにいられないんだよね、と、指に付いたカスタードクリームを舐めながら呟く奏恵。

 そんなことを言いつつ、私を見捨てずにいてくれる彼女も、大概お人好しで――、本当に有難い友達だ。


「ま、いい人っていう話なら、そんな状況のあんたを受け入れてくれた周藤すとうくんはチャンピオン級だけどね」


 その言葉を聞いて、私は曖昧な笑みを浮かべた。


 動画の一件で、私は島と縁を切ることを決断したのだが、その後ほどなくして、私の妊娠が発覚した。

 島にそのことを告げたら、彼は冷笑を浮かべながら、こう言った。


「俺はちゃんとコンドームけてただろ。お前、快楽狂いになって他の男とヤっちまったんじゃねーの?」


 ふざけるな! 怒りに震える私をなだめる――あるいは揶揄からかう――ように、


「ま、妥当な可能性としては、“品評会”の時に誰かが羽目を外して生でヤっちゃったんじゃねーかな」


 そう言われてみれば、確かにその線は濃い。

 島は自分で言う通り、コンドームはきっちり着けていた。

 勘繰るなら、妊娠を避けるためというより、サークルの他の男どもと共有している女性から病気をもらうことを警戒してのことなのではないか、という気もするのだが。


「困ってるんなら、中絶費用の一部くらいは負担してやってもいいぜ」


 こ、このクズ野郎! 私の人生でこの時ほど頭に血が上ったことはない。

 しかし、実際彼の言う通り、私の胎内に宿った子の父親は、島以外の男性の可能性も高い。

 それに第一、島であれそれ以外のサークルメンバーであれ、こんなクズどもに責任を取らせて生涯の伴侶とするなど、悪夢以外の何ものでもない。

 けれど……。胎内の命を断ち切ってしまうことに対する後ろめたさ、恐怖心も強い。

 途方に暮れる私の耳元で、島という名の悪魔が囁いた。


ろすのが嫌なんだったら、誰か適当な奴に父親になってもらえばいいじゃん」


 その言葉を意味を理解して、私は顔面蒼白になった。

 そんなひどいこと、できるわけない!

 しかしクズ野郎は、自分の思い付きが気に入ったようで、こんなことなら彼氏クンに動画を送り付けるんじゃなかったな、なんてことを呟いている。

 本当に、本当に人間のクズだ。


「なあ、誰かお前に惚れてそうな純情野郎とかいねーのかよ?」


 私の気持ちを理解できないのか、理解した上で無視しているのか、島はなおもそんなことを言い募る。

 ふと一人の男の子の顔が思い浮かんだけれど、やっぱりそんなひどいことは……。


「ま、そんなひどいことはできましぇん、て言うのなら、ろすしかねーよな」


 突き放すようにそう言われ、私の心は揺れた。


 そして結局、私は悪魔の囁きに屈してしまった。


周藤すとう 和男かずお」くん――。それが、その男の子の名前だった。

 大学に入ってすぐのオリエンテーションの際、隣の席に座っていた。私と同じ情報処理学科の新入生。

 率直な印象は、「絵に描いたような陰キャオタクくん」というかんじだった。

 それでも、全く無視するのも何だか悪い気がして、思い切って一言二言、話しかけてみた。

 話をしてみたら第一印象がますます強まったのだが。


 それ以来、彼とは大学で時々顔を合わせ、多少話をするような間柄になった。

 と言っても、顔見知り以上友人未満といったところだったのだが、彼の方は私に好意を抱いているのではないか、というのは感じていた。

 彼は、中学高校時代イジメを受けていて、一時期不登校になり、高校を一年留年したのだというような話を、ぽつぽつと聞かせてくれた。


 そして、そうこうするうちに、彼は私のバイト先――中学生相手の学習塾で働くようになった。

 偶々たまたまバイト情報誌で見つけて応募したと言ってはいたが、おそらく嘘だろう。私目当てだというのは、自意識過剰ではないはずだ。


 バイト仲間としての彼は、対人関係が苦手なだけで非常に頭の良い人だったので、授業の教材づくりやら何やらに助言をもらい、色々と助かったのは確かだ。


 そんな周藤くんを、私は教材づくりを口実に部屋へ誘い、関係を持った。

 予想していたことだが、やはり初めてだった彼は、事が終わった後、涙を流すほど感動していた。

 正直ちょっと引いたが、一方で、後ろめたい思いもどんどん強くなっていき、結局私は、ベッドの上で土下座しながら正直に全部打ち明けた。


 恐る恐る見上げた彼の顔は、怒りと悲しみで歪み、思わず悲鳴を上げそうになるほど怖い表情だった。


「あの……。本当にごめんなさい。私みたいな馬鹿で卑怯な女のことは忘れてください」


 羞恥心と罪悪感に苛まれながら、慌てて服を着て出て行こうとする私に、周藤くんは言った。


「脇川さん! あ、あの。もしその子をどうしても産みたいのなら……。僕が父親になるよ!」


 正直、耳を疑った。そんな虫の良い話があるわけない。

 けれど、彼は本気だった。

 お腹の子を彼との子だということにして、お互いの両親を説得し、私たちは学生結婚した。――と言っても、私は妊娠出産に伴って一時休学することになったのだが。


 話がこれだけであれば、確かに彼は奏恵が称賛するように、チャンピオン級のいい人だし、私にとっての救いの神であることは紛れもない事実だ。


 しかし――。彼が私に向ける感情は、果たして純粋な愛情なのだろうか。もっとドロドロした、執着と呼ぶべきものなのではないか。

 そう考えるのは、私に関する噂を広めたのは彼自身なのではないかと思える節があるからだ。


 私の赤ちゃん――優斗ゆうとが目を覚まして泣き出したのを機に、奏恵はそろそろおいとまするよと言った。

 丁度その時、周藤くん、もとい和男さんが大学の授業から帰宅した。


「あ、ども。お邪魔してまーす。周藤くん、麻衣のこと本当にありがとうね。君みたいないい人がいてくれて、本当によかったよ」


 奏恵の絶賛を、和男さんはものすごく嬉しそうな表情で聞いていた。

 その様を見ながら、私は居心地の悪さを感じ、優斗の授乳を口実にその場を離れた。


 奏恵のお土産のシュークリームを一個つまんだ後、自分の部屋に入り、パソコンのメールをチェックしていた和男さんは、私に声を掛けた。


「あ、麻衣さん。面白い知らせがあるよ。島が逮捕されたってさ。それに、人妻との不倫がバレて民事訴訟も起こされたんだって」


 和男さんに見せられたそのメールの添付ファイルは、興信所の調査報告書だった。


 正直ものすごく驚いたのだが、和男さんはとんでもないお金持ちだった。

 彼は高校の頃からパソコンやネットに関して非常に詳しい知識を持っていて、不登校だった期間中にFXの自動売買アルゴリズムとやらも自分で構築して稼いでおり、昨今の急激な円安の進行に乗じて、ここしばらくだけでも億単位の利益を得たのだそうだ。

 その手のアルゴリズムというものは、予想を超えた急激な変化には脆いという話なのだが、彼が作ったものがよほど優秀だったのか、あるいは彼自身が事前に予測して何か対策を講じたということなのか――。

 とにかく、そのおかげで、今の私たちの生活費も親に頼らずに済んでいるし、興信所に島のことを調べさせるなんていう真似もできるのだ。


 和男さんが、興信所を使って島の動向を探ろうと言い出したのは、私や他のサークル女子メンバーの恥ずかしい動画がネットに上がったことがきっかけだった。

 女性の顔は一応隠されているので、それとわかったのは、島の顔が丸映りだったからなのだが。

 和男さんが言うには、次は女性の個人情報を特定できる形で流出させるかもしれない、その時に備えて、島の動向を把握しておこう、ということだった。


 しかし、どうも話がおかしい。

 そもそも、島が女性の身元は隠して自分は顔出しした動画をネットに流す意味がわからない。

 和男さんは、自己顕示欲なんじゃないのなどと言っていたが……。


「パソコンに詳しい=ハッカー」という発想はいささか短絡的だとは思うのだが、動画を流出させたのは、もしかして和男さんなのではないだろうか。

 理由はもちろん、島を破滅させるためだ。

 彼氏持ちの女の子を誑かし、ハメ撮り動画を撮影するような輩だと広まったら、まともな生活は送れないだろう。

 そして、興信所に島のことを調べさせているのは、彼の周辺の人たちに、ピンポイントで醜聞をばら撒くためなのではないか。


 そうして、島に対して復讐すると同時に、動画の中の女性の一人が私だと周囲に広める。そうすることで、私をますます彼に依存せざるを得ない状況に追い込むことが目的なのではないか、という気がしてならない。


 それともう一つ。大学の一般教養で受講した心理学の講義の中で、代理ミュンヒハウゼン症候群というのが出てきたのを思い出す。

 これは、例えば母親が、重病を患う我が子を献身的に介護する立派な母親、という周囲からの称賛を得たいがために、我が子を要介護状態にする、といった異常心理のことだ。

 和男さんも、「クズ男に誑かされてあまつさえその男の子供まで身籠った馬鹿な女を、そうと知った上で受け入れた度量の広い男」という称賛を得たいがために、私の噂を広めて貶めているのではないか。


 もしこれが単なる邪推なのであれば、恩人に対して申し訳ない限りなのだが――。どうしても彼のことを心から信頼することが出来ない。

 地獄の底で私が掴んだものは、仏様の蜘蛛の糸だったのか、それとも悪魔の釣り糸だったのか――。今も答えは出ない。



――Fin.



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寝取り、ダメ絶対。


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女を堕としただけなのに 平井敦史 @Hirai_Atsushi

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