女を堕としただけなのに

平井敦史

第1話 Side M

※本作は決して犯罪を容認あるいは推奨するものではありません。

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「イェ~イ! 彼氏クン、見てる~? (ピー)ちゃん、もうキミのじゃ満足できないってさ~。ギャハハハハ!」


 全裸の男が同じく全裸の女を背後から抱きすくめながら、下品極まりない言葉を口にする。

 女は両手でピースサインを掲げ、その口からは甘くえた匂いが漂うような喘ぎ声がこぼれ落ちる。

 それが、破滅の序曲だった。


「この動画に映っているのは君に間違いないね? しま 鈷介こすけ君」


 この春、就活戦線を勝ち抜いて総合商社「あまね商事」に入社したばかりの俺、「島鈷介」は、小会議室に呼び出され、ノートパソコン上で再生される一本の動画を見せられた。

 内容は俺もよく知っている。と言うか、人事部長が指摘するとおり、映っているのは俺自身だ。

 人事部長の傍らでは、俺が所属する第二営業部の部長も険しい顔をしている。


「いえ、これはその……」


「自分ではない。そう主張するつもりかね?」


「いえ……。私に間違いありません」


 そう認めるしかなかった。


 それにしても――。

 この動画、俺の顔にはボカシを入れて、声にもエフェクトを掛けていたはずなのだが、ものの見事に取っ払われて、俺だと丸わかりにされてしまっている。

 その代わりに、女の顔の方にボカシが入れられている。

 一体誰の仕業だ?


 普通に考えれば、この動画を送り付けてやった間抜け寝取られ野郎ということになるのだろうが……。

 実は今、これと同様の動画が、一斉にインターネットの闇サイト上に出回っているらしいのだ。

 複数の寝取られ野郎どもが共謀して動画を流した、というのは考えにくい。もちろん、共謀ではなく偶々たまたま、というのはもっとあり得ない。


 となると、誰かが動画の元データを盗み出したということになるのだろうが。

 しかし、これらの元データは厳重にロックを掛けてクラウドに保管していたものだ。それを盗み出し、ご丁寧にエフェクトも取っ払って、ネットに流しやがったのだ。


 法学部出の先輩を通じて、ネット訴訟などに詳しい弁護士先生にも相談してみたのだが、どうやら海外のサイトを何重にも経由して元を辿れなくしているらしく、削除依頼をしたり訴訟を起こしたりするのはほぼ不可能であるという話だった。


 さらに、その何者かは、念の入ったことに会社にまでタレ込みやがった。


「若気の至りと言いたいのかもしれないが、これは重大なコンプライアンス違反だ。残念ながら、君には退職を勧告せざるを得ない」


 人事部長が重々しくそう告げる。


「クビってことですか?」


「あくまで自主退職だよ」


 やっぱクビじゃねえか。


「ふん、懲戒解雇じゃないだけありがたく思いたまえ」


 それまで黙っていた第二営業部長が、吐き捨てるように言う。


倉橋くらはしくん」


 人事の森山もりやま部長にたしなめられ、第二営業部の倉橋部長はバツの悪そうな顔をする。


「……すみません、森山さん。しかし、私も年頃の娘の父親なものですから」


「気持ちはわからないわけではないよ。私のところは息子だがね。もしこんなマネをしでかしたら、親子の縁を切って家から叩き出すところだよ」


 ふん、おっさんどもが好き勝手なことをぬかしやがって。

 しかし、どうやら弁解の余地は無さそうだ。

 俺は森山部長と倉橋部長に、少し考える時間を下さいと言って、小会議室を退出した。

 こんな理由での解雇を労基ろうきが容認するのかどうかは知らないが、さてどうしたものか。


 廊下で、同期の女子社員と出会でくわした。新人研修の時に仲良くなり、近いうちに飲みに誘って喰ってやるつもりでいただ。


「あ、香里かおりちゃん」


 先ほどの不愉快なことは忘れて、明るく声を掛ける。しかし、彼女はゴミクズを見るような目を俺に向け、無言のまま通り過ぎて行ってしまった。


 どうやら、噂はすでに社内中に広まっているらしい。

 人事部長から勧告を受けるまでもなく、とてもじゃないがこの会社に居続けるのは無理なようだ。

 せっかく入れた東証一部上場企業、惜しい気持ちはやまやまだが、俺は退職届を提出した。理由は一身上の都合。

 なあに、まだまだ人生いくらでもやり直せるさ――。

 その時はまだ、そう思っていた。



 すぐに再就職先を探す気にもなれず、俺は気晴らしのつもりで大学に顔を出した。

 俺が去年まで通っていた敬白けいはく大学のテニスサークルは、いわゆる「ヤリサー」だ。

 俺はその中でも中心的存在で――サークルの運営とか面倒くさいことは他のやつらに押し付けていたが――、顔が良くて口も上手い俺は、馬鹿な女どもを片っ端からたぶらかして喰い散らかしたものだ。


 酒に酔わせておいてヤる、というのは、昨今言うところの不同意性交以外の何ものでもなく、実際時には訴えてやるだのなんだの言い出す女も出たりするのだが、そういうやつらを丸め込むことに関しては、自分で言うのも何だが俺は天才だと思っている。

 高校の時から付き合っている彼氏がいるんです、とかいう未通女おぼことした瞬間などは、心底生きているよろこびを感じる。


 新入生の可愛いがいるといいんだが、などと考えながら部室棟にやって来て、俺は目をしばたたかせた。


「ワンダーフォーゲル部……?」


 うちのサークルの部室だったはずの部屋に、どういうわけか他の部のプレートが掛かっていたのだ。


「あ、すみません! ここってテニスサークルだったはずでは?」


 通りかかったやつをつかまえて尋ねてみる。


「ああ、ついこの間まではそうだったんですけどね。何か問題を起こしたやつがいるとかで、活動停止に……」


 話している途中で、そいつの眼差しが軽蔑の色に染まっていく。どうやら、こいつも俺の動画を見たことがある口らしい。


「もういいですか。というか、あなたの方がよっぽど事情をご存じなんじゃないですか?」


 これ以上一秒たりとも俺と話していたくない、といった風情で、そいつは足早に立ち去って行った。くそったれ。


 しかし、そういうことならもうここにいる意味もないし、俺も早々に立ち去った方がよさそうだ。後輩に出会でくわして、恨み言を言われたりしたら胸糞悪い。

 俺だけのせいじゃないだろうという気もするんだがな。



 その後、俺はいくつかの会社の中途採用面接を受けてみたが、採用の連絡が来ることはなかった。

 どうやら、俺が想像している以上に、俺の悪評は広まってしまっているようだ。


 ようやく一社、採用してくれるところがあった。しょぼくれた中小企業だが、この際贅沢は言えない。

 と思ったら、この会社にも悪評が広まってしまったようで、採用の時には愛想がよかった社長も、露骨に冷たい態度を取るようになり、他の社員たちもまともに口を聞いてくれない。

 会社の側から解雇を言い出さないのは、労基に介入して来られたら面倒だとでも思っているからだろうか。

 仕事を覚えさせる気も無さそうで、俺がいたたまれなくなって辞めるのを待っている様子がありありとうかがえる。

 馬鹿々々しくなって、そこも早々に退職した。



 ひとまずつなぎにと受けに行ったファミレスやコンビニのバイト面接すらすげなく断られ、俺は思い余って夜の街に飛び込むことにした。

 ホストクラブの求人を見つけ、そこの面接を受けてみる。

 しかし――。


「申し訳ないが、うちの店は“安心して遊べるお店”がコンセプトなものでね。会計は明朗、枕営業も禁止している。もし君が前非を悔いて真面目に生きようとしているのだとしても、性犯罪の履歴がある人間は教員に採用しないというのと同じだよ」


 けっ! たかがホストじゃねえか。何気取ってやがる。第一、俺は別に犯罪を犯したわけじゃねえぞ。


 まあ、そんな阿呆みたいなことをほざく店ばかりではなく、俺はとあるホストクラブに採用が決まった。

 が、ホストの仕事というのは俺が想像していたよりもずっと厳しいものだった。

 俺のルックスとトーク力をもってすればたちまち人気ナンバーワンに、なんて考えは甘かったようだ。


 先輩ホストたちに雑用でこき使われる日々が続き、ストレスで胃に穴が開きそうになったが、そうこうするうちに、俺にも客がついた。

 地味な感じの主婦で、ホスト遊びにも全然慣れていないようだ。

 ま、いきなり太客ふときゃくがつくなんて虫のいい話はないわな。


 一応この店も、枕営業は禁止という建前になっているのだが、先輩ホストたちも皆やっていることだ。

 俺はその美子よしこっていう主婦をたらし込み、俺無しではいられない体にしてやった。

 学生の頃から磨いてきたテクニックだけでなく、先輩ホストから分けてもらったも大いに役立った。

 チョロ過ぎるぜ。夫婦仲が悪いわけではないらしいが、旦那には全然満足させてもらっていないようだ。

 まずは客一人ゲット。


 そして、二人目の客がついた。

 十八歳、大学一回生で~す、とか言っているが……こりゃ高校生だな。

 もちろん、高校生がこんな店に入るのは禁止だし、バレたら店の側もペナルティを食らうのだが、まあ暗黙の了解ってやつだ。

 俺はその由紀ゆきという馬鹿なJKも、俺無しではいられない体にしてやった。

 最初のうちこそ苦労したが、こりゃ意外と楽勝かもな。ホスト万歳。



 しかし、破局は突然に訪れた。

 店が警察の摘発を受けて、俺は未成年淫行と大麻取締法違反の容疑で逮捕され、おまけに美子の夫からも不貞ふてい行為の慰謝料請求訴訟を起こされた。

 例の動画が拡散した時点で、俺は家族から縁を切られており、慰謝料を支払える当てもない。

 俺は拘置所内でシャツを首に結び、自殺を試みた。



「どうやら意……戻ったよ……ね。もう馬鹿な……はす……じゃないよ。……した……も出来な……もしれな……ね」


 ぼやけた視界に、白衣の男の姿が映る。医者だろうか。余計な事をしやがって。

 言葉は途切れ途切れで、何を言っているのかよくわからない。いや、俺の耳がおかしくなっているのか?


 しかし、その途切れ途切れの説明を聞いているうちに、段々事情が飲み込めてきた。

 どうやら、俺は一命は取り留めたものの、脳の虚血きょけつ時間が長かったせいで、感覚機能や運動機能に重大な障害が残ることは避けられないらしい。

 もう、自分で終わらせることすら出来ないのか――。


 畜生、畜生! 俺が何をしたって言うんだ! ただ馬鹿な女どもを堕としただけじゃねえか!! 何で俺がこんな目にわなきゃいけないんだ!!

 ――俺の魂の叫びに、答えてくれる者は誰もいなかった。

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