番外編 海を越えたファン(後編)
「あれ? ここは……」
気づくと私——アキは、どこか知らない部屋の冷たい床で寝ていた。
さっきまで國柊くん行きつけのバーで店長さんと話していたはずなのに……どうしてこんなところにいるのだろう。
そこは、國柊くんのVIPルームによく似た個室だった。
でも、テーブルもないし、
もしかしてここは、バーの中にある別の個室なのかもしれない。
「しかも、足に
……これって店長さんの仕業だよね?
きっと國柊くんのことも、店長さんが隠したに違いない。
そうじゃなければ、私にこんなことしないよね?
でもどうしよう。これじゃあ、動くこともできないし……。
そんな風に、私が困り果てる中——ふいに隣の部屋から物音が聞こえた。
「誰? 誰かそこにいるんですか?」
私が隣の壁に向かって訊ねると、意外な声が返ってくる。
「もしかして、アキ
「え!? 國柊くん、ここにいたの!?」
「うん。アキ姉はどうしてここに?」
「國柊くんを探してたら、この店の店長さんに捕まっちゃって」
「マスターに? え?」
「國柊くんは違うの?」
「いや、マスターもグルだったのかも……でも、どうしてこんなこと……あの人は良い人だと思ったのに」
「なら、何か事情があるんじゃない?」
「アキ姉は相変わらず、お人好しだね。この状況で相手のことを考えるなんて」
「だって、たいていの人は事情があるものでしょ?」
「そうかな」
「それより、逃げないと」
「待ってて、俺がそっちに行くから」
國柊くんがそう言った次の瞬間、いきなり部屋の壁が崩れた。
——かと思えば、穴の空いた壁から國柊くんの笑顔が覗いた。
「アキ姉みっけ」
「こ、國柊くん? これ、國柊くんがやったの?」
「そうだよ、すごいでしょ。惚れちゃった?」
「私が
「さすがアキ姉」
「でもこんなこと出来るなら、どうして逃げなかったの?」
「どうせなら、俺を捕まえた犯人と話がしたいと思って待ってたんだけど……」
國柊くんは説明しながら、崩れた壁を
そして、私の足についている
「触っていい?」
「うん」
「……残念だけど、この
「そうなの? どうしよう」
「どうして俺には鎖をつけなかったんだろう」
國柊くんが首を傾げていたその時——。
「それは、すぐにあなたをこの手にかける予定だからですよ」
足音とともに、店長さんがやってきた。
「店長さん!」
「なんだよ、マスター。なんでこんなことするの?」
國柊くんが訊ねると、店長さんは悲しげな顔をする。
「まだ気づかないのですか?」
「え?」
「あなたは変わりませんね。同胞を裏切っておいて、のうのうと生きているなんて」
「同胞? もしかして、あんた——」
「私も
「ミンソ? ミンソだって!? まさか、同胞のミンソのこと? あの子はまだ小さかったはずだけど」
「あなたが国を出て、何年経っていると思うのですか」
「でも、ミンソは素直で優しくて……純粋な女の子だったはず」
「それはもう、昔の話です」
「じゃあ、あんたもしかして」
「そうです。私は女です」
そう言って、店長さんがウイッグを取ると、長い髪が溢れ出した。
その
「さっき落ちてた髪って、店長さんのだったんだ?」
「そうです。協力者なんていません」
「でも、俺を眠らせた……レモネードを持ってきたのは、別のスタッフだった」
國柊くんが言うと、店長さんは悪い笑みを浮かべる。
「女は化粧で変わりますから」
「どうしてマスター、いやミンソが」
「本当に、頭の悪い妖狐だこと。皆を裏切って宝玉を持ち去るなんて——最低のすることじゃないですか」
店長さんに責めるように言われて、國柊くんは困惑した様子で考え込む。
そういえば宝玉と言えば、琉戯さんが
そのことと、何か関係があるのかな? 國柊くんの同胞って言ってるし。
それともまさか、あのヤンチャな——学ランのお仲間さんと同じで、國柊くんが裏切ったと思ってるのかな? ……なんて。
そんなことを想像して、まさかと思っていた私だけど——そのまさかだった。
「妖狐の大事な宝玉を持って日本に逃げるとは……いくら狐の王でも許せません」
その店長さんの言葉に、私は目を瞬かせる。
「狐の王? ……って、國柊くん、王様なの?」
「そんな時代もあったね」
笑って言う國柊くんを、店長さんが睨みつける。
「あなたが、王として守るべき物をどうして臣下などに……」
「琉戯兄さんは臣下じゃない。仲間だよ」
「仲間だとおっしゃるのなら、
「あのねぇ、君は知らないようだから教えてあげるけど。宝玉は俺たちが持ち去ったんじゃなくて、盗まれたの! それは他の同胞に聞けばわかることだよ」
「他の同胞も日本にいるのですか?」
「知らないの? もしかしてミンソ、単身で日本に来たの?」
「大人が止めないから、私が来たまでです」
「あちゃー、俺を追いかけて一人で来ちゃったわけね。ミンソは相変わらず危なっかしいな」
「バカを言わないでください! 私はあなたを追いかけたのではなく、宝玉を……」
その言葉を聞いて、黙って聞いていた私も思わず口を開く。
「そっか。海を越えてきた國柊くんのファンなんだね。なんだか嬉しいな」
「あなたは何を……」
「だって、あなたがつけてるその時計、國柊くんモデルの限定品でしょ? 手に入れるの、大変だったんじゃないですか?」
「こ、これは……」
「そうなんだ? ミンソは俺を推してくれてるんだ」
「ば、バカなことを言わないで! 私は——」
「ファンだから國柊くんのこと、鎖で繋がなかったんですよね?」
「違う、私は復讐のために——あの手紙を送ったんですから」
「手紙って何? ……もしかして、あの殺害予告のこと?」
「そうですよ。レモネードを飲んだことで、完成したはずです」
「完成って何が?」
「
店長さんは暗い笑みを浮かべて、指をパチンと鳴らした。
すると、國柊くんの瞳から光が消えて——言葉を発しなくなる。
「これで
店長さんが告げると、國柊くんはこくんと首を縦に振った。
「國柊くん、大丈夫? ……って、大丈夫じゃないよね」
「これで私の意のままに動く人形の出来上がりです。さあ、まずは手始めにその少女の息の根を止めてください」
店長さんが指示すると、國柊くんは私の前で拳を構えてみせる。
店長さんはそれを満足げに見ていた。
「何が息の根よ! SJファンの代表として、許さないんだから!」
「人間のあなたに、何ができるというのですか?」
「私には何もできないけど——ジンくん!」
私が呼ぶと、ふいに部屋が光に包まれて——ジンくんが現れる。
婚姻の契約をしたことで、私のピンチがわかるジンくんである。
私が強く念じたことで、ジンくんは意識を飛ばしてくれたのだった。
一人じゃないって凄いよね。
そしてぼんやりと薄いジンくんは、現れるなり目を丸くしていた。
『アキ? どうしたの?』
「あのね、國柊くんが〝じゅそ〟で操られてるの!」
『……よくわからないけど、國柊くんが見つかったんだね』
「そう! だから、早く元に戻してあげて」
『呪詛の元はどこ?』
「〝じゅそ〟の元?」
『呪詛をかけた人のことだよ』
「そこにいる店長さんだよ」
『わかった』
ジンくんは頷くと、何やら呪文を唱え始める。
すると、店長さんがみるみる小さくなって——子供の姿になってしまう。
「な、なんですかこれは」
『座敷わらしの秘術だよ。純粋な子供になれば、呪詛も無効になるはず』
ジンくんが説明する中、國柊くんがハッとして我に返る。
「あれ? 俺は何を?」
「國柊くん、大丈夫?」
「アキ姉、俺……何かした?」
「ううん。何もしてないよ。良かった、元に戻ったみたい」
國柊くんが元に戻って、ほっと胸を撫で下ろす中、
「どうして……?」
小さくなった店長さんは、ぶかぶかのシャツから伸びる手を見ながら震えていた。
そんな店長さんに、私は心から訴える。
「どうしてじゃないよ! ファンがこんなことしちゃダメだよ」
「あなたに何がわかるんですか! 國柊様は……
「そっか……國柊くんが日本に来て、ファンの分母が増えたから寂しくなっちゃったんだ? わかるよ、その気持ち。最近SJって海外でも人気だから、私もちょっと寂しいんだよね」
私がしみじみ言うと、國柊くんはぎょっとする。
「アキ姉、こんなに近くにいるのに、そんなこと思ってるの?」
「当たり前だよ、SJはコンサートの規模だって大きくて、私なんて歓声に埋もれちゃうんだよ?」
「いや、いつも間近に推しがいるでしょ」
「それはそれ、これはこれだよ。わかってないなぁ、國柊くんは——でもそういうことですよね? あなただけの國柊くんがいなくなって、寂しかったんですよね?」
そんな風に勝手に納得する私に対して、店長さんは無言を
「くそ、覚えてなさい……」
そう吐き捨てるように言うと、店長さんは煙のように消えてしまった。
「あ、逃げられた」
そして國柊くんは不服そうに口を尖らせるけど——その後、仕方ないとばかりにため息を吐いた。
***
店長さんの一件以来、國柊くんはファンからの手紙を私のところに持ってくるようになった。
結界や術を破るのが得意な私なら
いつもなら嫉妬して協力なんてしないジンくんだけど、あとで私が巻き込まれるよりは良いと思ったらしい。
ちなみにあのあと店長さんは、同胞に発見されて国に強制送還されたとか。
同じSJファンとしては可哀想な気もするけど、ファンとしての一線を越えてしまった以上、仕方ないのかもしれない。
「ごめんね、アキ姉。今回の分も頼むよ」
ランチタイムのカフェに手紙の束を持ってきた國柊くんは、そう言って頭を下げた。
そのかわりパンケーキをご馳走になるから、私としては得してる気分なんだけどね。
「ううん。これもいいバイトだよね」
「アキ姉はなんだかんだ優しいよね」
「そりゃ、SJのためですから」
「でも」
「だって、SJを推すって、そういうことでしょ?」
「アキ姉は本当に、面白いなぁ」
そう言って私の頭に手を伸ばす國柊くんだったけど——途中でジンくんがその手を払い除けた。
「國柊くんは、アキのこと好きになっちゃダメだよ」
琉戯さんに告白されてからというもの、ジンくんの警戒はハンパなかった。
だから手紙のバイトも、ジンくんと一緒じゃないとダメという条件つきだった。
國柊くんはくすりと笑う。
「俺の理想のタイプは、もっとか弱い子なの」
「そっか。じゃあ、今度由宇に伝えておくよ」
「? ゆう?」
「私の親友で、國柊推しなんだ」
「なら、今度VIPルームでお茶しよっか」
「店長さんがいなくなったから、VIPルームでお茶できないんじゃ……?」
「あ、そうだった」
そう言った國柊くんは、妙にご機嫌だった。
恋駆ける #zen @zendesuyo
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★23 エッセイ・ノンフィクション 連載中 11話
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