番外編 海を越えたファン(前編)
音楽番組の収録を終えたばかりのサイレントジョーカーは、楽屋でそれぞれ帰宅の準備をしている最中だった。
そんな折、ジャージに着替えた
「そういえば、あのファンレターは結局なんだったんだ?」
唐突な質問に、コットンでメイクを落としていた國柊は首を傾げた。
「ファンレター?」
「ほら、殺害予告があっただろ」
「そういえば、そんなものもあったね。てっきり、仲間たちが書いたのかと思ったけど、そうでもないみたいだし……それにまだ送られてくるんだよね。愛憎がひしひしと伝わってくる内容が」
言って、國柊は花柄の便箋をカバンから取り出して見せる。
すると、琉戯は怪訝な顔をする。
「気を抜くなよ」
「相手がただの人間なら、大丈夫だよ」
「お前のそれ、悪いところだぞ」
「もう、琉戯兄さんは心配性だな」
そう言いながらも、國柊は何か嫌なものをファンレターから感じ取っていた。
読めば背筋に冷たいものが走るのだが、なぜか読まずにはいられないファンレター。
國柊はまるで腫れ物でも扱うような手つきで手紙をカバンにしまった。
***
夜の九時を過ぎた頃。
繁華街の片隅にあるスタイリッシュなバーは仕事終わりの客で賑わっていた。
「いらっしゃいませ」
ドアベルの音とともに訪れた
が、國柊も人気アイドルであり、容姿には自信があるため、一般人のように気後れすることはなかった。
「マスター、いつもの個室空いてる?」
「ええ、もちろんですよ。今日は密会ですか?」
「いや、ちょっと一人で食事したい気分なんだ」
「珍しいですね。國柊さんが誰もお連れにならないなんて」
長老によく似た声質のため、マスターの声を聞くたび笑いそうになる國柊だが、そんな雰囲気は全く出さずに平静を装う。
「だってさ、みんなアキちゃんに取られちゃって暇なんだよね」
「アキさん? ……この間来られた方ですか?」
「よく覚えてるね。そうだよ。ここに連れてきた子。俺の周りはみんなアキちゃんにメロメロなんだよ」
「……國柊さんは違うんですか?」
「俺? 俺はないなぁ、あんな尖った女の子。俺の理想は、もっと優しい子だから」
「優しい子、ですか」
「そうそう」
「優しい子なら誰でもいいんですか?」
「そうだな。俺って意外と見た目より、中身重視なんだよね」
「酔ってますか?」
「まさか。俺は一応未成年設定だから、呑んだりしないよ。マスターよりうんと年上だけどね」
人間の店長に、年上だと言ったところで本気にしてもらえないことはわかっていた。
だが、つい本音を言いたくなるのは、店長との付き合いが長いせいだろう。
それに店長を見るとなぜか故郷を思い出すため、國柊はなんでも言ってしまいそうになった。
そして予想通り、店長は軽くあしらうように告げる。
「やっぱり酔ってらっしゃる。今日はもうお帰りになった方が良いのでは?」
「いいや。これから美味しいものを食べるんだ」
「でしたら、奥の部屋へどうぞ」
「ありがとう」
その時、差し出された店長の手を見て、國柊は首を傾げる。
「店長、こんな時計してたっけ?」
「あ、ああ……これですか? これはいただいた物です」
「俺、その時計どこかで見たような」
「どこにでもある安物ですよ。それより、寒いので早く奥の部屋へどうぞ」
そして國柊はVIPだけが入ることができる部屋へと移動した。
「——お待たせしました。レモネードです」
「うん、ありがとう」
VIPルームのテーブルで寛いでいた國柊は、若い女性からグラスを受け取る。
見たことのないスタッフだった。黒いシャツにエプロン姿で、髪を一つに結えた長身の女性。
どこかで見たことのある雰囲気だったが、思い出せないまま國柊は注文したレモネードを受け取る。
そしてごくごくとレモネードを喉に流し込むが——。
なぜかスタッフは立ち去らずに國柊のことをじっと見ていた。
「あなた、國柊さんですよね」
「え? どうして?」
指摘され、國柊はドキリとする。
國柊に見えないよう、術をかけているはずだった。だから油断した。
「なんだよ、あんた」
「私も妖怪なんです。それも、國柊さん推しの」
「サインなら営業時間外だけど?」
「國柊さんって、仕事外では塩対応っていう噂、本当だったんですね」
「なんだよ」
「そろそろかな」
「なんだ……視界がぼやけて……」
そして國柊はテーブルに崩れ落ちた。
***
「あの、アキさん」
「どうしたの? 泰くん。こんな時間に」
夜の十一時半頃。
私——アキのマンションに泰くんがやってきた。
こんな時間だし、きっと何か大変なことが起きたのだろう。
咄嗟にパジャマ姿で玄関に出た私は、そのまま泰くんの話を聞くことにした。
すると、泰くんは焦った口調で訊ねてくる。
「國柊はここに来てない?」
「國柊くん? 来てないけど。どうしたの?」
「実は、國柊がいなくなったんだ」
「ええ!?」
「でも、ここにいないならいいよ」
「私も探すよ」
「いいよ。こんな時間だし」
「でも、心配だよ」
「だったら、俺と一緒に探してくれる?」
泰くんが提案すると——私が答える前に、後ろからジンくんが答えた。
「ダメ」
「どうしてジンくんが返事するの」
いつもならとっくに寝てるジンくんだけど、起こしてしまったのだろう。
同じパジャマを着た小さなジンくんは、眠い目をこすりながら玄関にやってきた。
「アキは俺のだから、ダメ」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
「だったら、俺も行く」
「アキさんは、ぼ、僕が無事に送り届けるから」
嫉妬むき出しのジンくんを見て、泰くんもムキになった様子で告げる。
泰くん、きっと國柊くんのことが心配なんだね。
私が今度こそ返事しようとするけど、その前にジンくんが口を挟む。
「ダメ」
「ジンくんってば……」
目の前で泰くんとジンくんが睨み合う中、私は仕方なくジンくんにも協力してもらうことにした。
「——それで、最後に國柊くんを見たのはどこなの?」
とりあえず泰くんをリビングに入れると——泰くんは暗い顔で俯いた。
「いきつけのバーにいるってメッセージがあったんだ」
「いきつけのバーって……あそこかな?」
そういえば、だいぶ前に連れて行ってくれたカフェがあったよね。
VIPしか入れない個室があって、素敵な場所だったな。夜はバーになるみたいだったけど……もしかしたら、そこのことかな?
なんて、懐かしさに浸っていると、泰くんが驚いた顔をする。
「知ってるの? アキさん」
「たぶん、昼はカフェしてるとこだよね? 一度連れて行ってもらったんだ」
……泰くんのことを話すために、とは言えないけど。
「そ、そうなんだ。いつの間に」
「とにかく、まずはそこに行ってみよう」
***
それから私や泰くん、ジンくんは國柊くん行きつけのバーに移動した。
深夜営業のバーは、人で溢れていて——スタッフの人たちがてんてこまいの様子だった。
そんな時に國柊くんのことを聞くのはちょっと気が引けたけど——でも、非常時だもんね。
ちなみに前回来た時は、國柊くんとお茶をするだけで舞い上がってたから、スタッフさんの顔とか気にしてなかったけど——店長さんもアイドル並みの美形だった。
「それで、あなたたちはこの店になんの御用ですか?」
長めの髪をオールバックにした店長さんは、怪訝な顔をしていた。
そりゃ、高校生や小学生がこんな時間に、しかもバーに来るなんて異様だもんね。
けど、國柊くんのため、私は前に出て訊ねる。
「……あの、國柊くんはこちらに来ていませんか?」
「國柊さんなら、一人で食事に来て帰られましたよ」
「一人で?」
「ええ、一人で」
「そっか。じゃあ、その後にどこか別の場所に移動——」
店長さんの話を聞いて、私が移動を決めたその時。
今度はジンくんが前に出て店長さんに訊ねた。
「國柊くんがいた部屋はどこ?」
「ジンくん?」
「VIPルームは奥になります」
店長さんは何も聞かずにVIPルームへと案内してくれた。
門前払いされてもおかしくないのに、こんな風に親切にしてくれるなんて。
私が國柊くんと来たことを、店長さんは覚えているのかな?
そして個室に入るなり、ジンくんはそこらじゅうを探り始める。
六人がけテーブルが置いてある個室は、それ以外何もなかったけど——飾ってあったクッションやお酒の瓶などをジンくんは手に取って眺めていた。
それから一通り確認した後、ジンくんは泰くんに訊ねる。
「泰くん、國柊くんのニオイはする?」
「うん。まだ強く残ってるから、ここを去って二時間くらいかな」
「すごい、そんなことまでわかるの?」
「妖怪だから……それに、別の妖怪の匂いもするかも」
「別の妖怪?」
「おかしいな。國柊くんは一人だって言ってたよね?」
私が訊ねると、ジンくんも不思議そうな顔をする。
「一緒にいた誰かに連れ去られた可能性はあるね。——髪の毛もあるし」
「髪の毛?」
「ほらこれ、長い髪の毛。國柊くんのじゃないよね」
「本当だ」
ジンくんが指さした床には確かに長い髪が落ちていた。
「泰くん、妖怪のニオイを辿ることってできる?」
ジンくんが訊ねると、泰くんは「もちろん」と頷いた。
***
それから泰くんは狐耳を出すと、鼻を高くあげて周囲のニオイを確認した。
いつも思ってたけど、狐耳の泰弦くんも推せるよね。
非常時だから言わないけど、可愛いんだよね。
そして泰くんは狐耳をヒクヒク動かした後、大きく見開いた。
「あっちだ!」
そう言って、出口に向かった泰くんを、私も追いかけようとするけど——。
「アキさんはここにいて」
「え?」
「これから何があるかわからないし」
「うん、わかった。気をつけてね」
泰くんに言われて、私は店で待つことにした。
「アキ、俺も行ってくるよ。何かあったらわかってるよね?」
「え?」
「アキはもう一人じゃないってこと」
「うん、そうだね」
ジンくんは私に確認だけすると、泰くんと一緒に店を飛び出していった。
残された私は、なんだか落ち着かないので——店長にもう一度話を聞いてみることにした。
カウンターでシェイカーを振る店長の腕に、きらりと光る腕時計を見ながら私は訊ねる。
「あの、國柊くんっていつ頃、店を出て行ったか覚えてますか?」
訊ねると、店長は手を止めて考えるそぶりを見せる。
「ええ。確か三時間ほど前でした」
——あれ? 泰くんは二時間前だって言ってたけど。
「國柊くん、本当に一人でした?」
「……お一人だったと思いますが?」
「本当ですか? 誰か一緒じゃなかったですか?」
「お一人でしたよ。どうしてですか?」
「実は國柊くん、いなくなって連絡がつかないんです。だからこの店に来たんです」
「……國柊さんはお一人でした」
「女の人」
「え?」
「國柊くんがいた個室に女の人がいたみたいなんです。でも女の人一人で國柊くんを運ぶのは難しいだろうし……それに、運ばれたこと店長さんが気づかないわけないから、裏口でもあるのかな?」
「……どうして女の人が一緒だと思ったんですか?」
「実は髪の毛を見つけたんです。まさか店長もグル……なんてことないですよね?」
私が冗談のつもりで言うと、店長は顔を強張らせた。
……え? この反応って……もしかして?
「どうしてそう思ったんですか?」
完全に警戒している店長さんを見て、私は固唾を飲み込む。
……本当に図星だったみたい。
ようやくピンときた私は、恐る恐る思ったことを口にする。
「だって、妖怪なのに國柊くんが誰かと出て行ってもわからないなんてことありますか?」
「妖怪? なんの話ですか?」
「店長さん……妖怪ですよね?」
「は?」
「……國柊くんは自分が國柊に見えない術をかけてるって言ってました。SJの國柊くんだと判別できるのは妖怪だけとか。でも店長さんはいつも、國柊くんを國柊さんと呼んでたから……」
「國柊さんはSJなんですか? 同名の他人だと思っていました」
「本当に? ……私、最近なんとなくわかるんですよね。妖怪かそうじゃないか。それに同名の他人なら、VIP席を作ったりしないでしょ?」
「それは、國柊さんに個室を頼まれたから……」
「そうですか? でもこんなに混んでる店なのに、他の人はVIP席に入れてませんよね? でも國柊くんだけは入ることができた。それは國柊くんが特別な人——SJだとわかっていたからじゃないですか?」
私がなんとなく思ったことを言うと、店長さんの顔がますます険しくなる。
これはもう、店長さんに何かあるのは間違いないようだった。
……まさか店長さんが國柊くんを隠したってこと?
沈黙が続いて、私が狼狽える中——そのうち店長さんは静かに口を開く。
「……あなた、
「え?」
「まあ、私が
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