本格化する夏、朔良はべた付くようになった。

 連絡が増えた。伝言だけじゃなく、学校がどうとか些細な雑談を送ってくるようになった。たまに現れる頻度だった朝の出迎えが毎日になった。来られないときは断りの連絡を送ってきた。日々加熱する日差しと空気の中で、並んで歩く距離が近くなった。肘と肘が当たる。切り替わった夏服の肌に触れてくる。私が暑苦しいと言うと、笑ってさらに密着してきた。

 帰りまで、ほとんど毎日迎えに来た。

「受験生のくせに」

「普通にやれば受かります」

 そう言って朔良は私を出迎えた校門に振り返った。過剰に演技掛かった動作が不気味だった。

「正気? 偏差値全然違うだろ」

「でも明智さんがいます」朔良は微笑んでみせた。会話の流れを読み切ったように。

 朔良は自分の話をすることが増えた。幼い頃は地方に住んでいて、もっと活発に自然を駆け回っていたこと。その頃は両親とも親しかったこと。冬の川で溺れて流されたことがあること。記憶を託すように、話の中身は過去のことばかり。進んだ日の話を戻りの日に繰り返すことも少なくなかった。

「日の進退が私にも分かるように、何か目印を付けてくれませんか」

 ある朝の朔良が言った。私は私の事実を口にした。

「あったよ、元々。朔良に会う前からあって、でもそれは朔良に止められた。進んだ日を気付かせるなって。今のあんたが覚えていることじゃないけど」

 朔良はあっさり頷いた。

「過去の、進んだ日の朔良が明智さんにお願いしたということですよね。では訂正します。その朔良は経験不足から判断を間違えました。すみません。明智さんからすれば勝手な我が儘になると思いますが、私にも、進んだ日の間違いを訂正させて下さい」

 断る言葉が浮かばなかった。前に使っていた眼鏡があると言うと、朔良は、帰りに新しく作りましょうと言った。

 そして朔良は以前の祠で石を積むようになった。

 気付こうとして気付いたわけじゃない。いつ始めたのかも知らない。ただ偶然、朔良のいないある日の帰り、赤信号と道路工事を迂回した先で私は林の前の道に着き、祠に積まれた小石の塔を見たのだった。

 あとは簡単だ。普段より少し早く起きた朝、林のそばに身を隠して待つだけ。

 すぐに見慣れた制服の朔良が現れ、祠の前にしゃがみ、石の塔を崩して積み直した。一連の作業が終わって声を掛けると、さすがの朔良もほんの数秒は驚いてくれた。その目ははっきりと、私が掛ける新品の眼鏡を捉えていた。

「──おはようございます。今日は進んだ日だから石を積むのは間違っている、とわざわざ教えに来たんですか? 性格悪いですよ明智さん。あとから私が気付けば済む話なのに」

「確かめたかったんだよ。私がやめたはずの悪戯を誰が続けているのか。朔良だから良かったけど」

 朔良は自分が積んだ石を見下ろして、何もせず私に視線を戻した。

「やめた方が良いですか、なんて今の私が聞いても仕方ないですよね。でも、それじゃあ、私はどうすれば良かったんですか? 明智さんと出会って以来、私の世界は毎日が行き止まりの可能性を持ってしまった。それも私の意思や行動とは関係に。私は昨日までコインの表を引き続けただけ。明智さんはまた明日には表の私に会うけれど、裏を引いた今日の私は今日で終わり。これがどれほど怖いことかあなたには想像も付かないし、これから経験することもない」

「訂正も反論もない。朔良はちゃんと私の時間を理解してる。だからあんたは毎日、石を積んで、今日は戻りの日だと自分に言い聞かせた。私には止める権利もない。あんたの苦しみは、少なくとも一部は私と出会ったことが原因だ」

 今更、という声が聞こえた気がした。私はその言葉を無視して、買ったばかりの眼鏡を外した。

「ごめん、朔良。本当は、今日は戻りの日。私は本音を聞くためにあんたを騙した。私たちはたぶん、こんなに仲良くなるべきじゃなかった。この状態を解決するには、私があんたの前から消えて、あんたは私のことを忘れる、その努力をするしかないと思う」

 ぼやける視界で朔良は笑った。はっきり聞こえる笑い声があった。

「本当に酷いですね。でも、甘く見ちゃ駄目ですよ。私が何のために明智さんの進路に張り付くと思ってるんですか。私が、表を引き続ける私が、最低なあなたの脳みそを引きずり出してでも、その時間を解明してあげます。そうしなきゃ裏を引いた朔良たちが納得できませんから」

 投げた石を拾う。今度は忘れていた伝言が不意に思い浮かんだ。


 明智と話し、その話を翌日の明智に伝えてまた次の日、世界で急増する記憶障害が報じられた。発症者同士の関連は不明だが症状は似ていて、誰もが近い過去の記憶を失い、混乱した時制を語っているらしい。症状に心当たりのある方は救急や各病院ではなく臨時に開設したダイヤルに連絡を云々。予言や予知の言及はなかったが、それが仕方ないことは分かった。

 明智は私服のまま、今日は自主避難と宣い私を部屋に上げた。立て掛けられた箒、飾りでしかないレコード盤、机に鎮座するジェンガ。散らかってはいないのに無駄だらけの部屋で私たちはベッドの脇に収まった。

「記憶障害だってさ。解決だ。やっぱり他にもいるんだねえ」

 明智は暢気に言った。全てを他人事のように振る舞う人であることはもう分かっている。さすがに呆れる気分もあった。

「前例がないから既存の名前に当てはめただけ、という気がします。サンプルが増えるのは良いことですけど、何だか怪しいし、まだ通報しちゃダメですよ」

「はいはい。朔良先生の研究を待ちますよ」

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