ビフに日スポ
朔良は私を活用し始めた。こき使ったとも言う。
基本は連絡係だ。授業の提出物を忘れないように、発表の準備を固めておくこと、友だちとの約束、スーパーでの買い物──進んだ日の朔良が託した伝言を、戻った日の朝一で朔良に送る。良く言っても秘書、悪く言えばスケジュール帳の扱い。
最悪なのは、用件が失敗のリカバリーですらないことだった。朔良は実際に忘れた事柄を私によって回避しているわけではない。そんなことは起こってもいないと、他でもない朔良が断言した。
「ただの保険です」取引の月曜からどちらの視点でも数日後の朝、別れるまでの通学路で朔良は言った。ここまで失敗しまくりなのか、と中学生活を心配した私は梯子ごと蹴落とされた。
「なら、私がすっぽかしても平気じゃん。取引になってない」
「本当に全て実行されていたんですか。明智さんが忘れても私は気付かないのに」
「本人の思考を上回るんじゃない。これって私の時間だから。もっと他にないの? 部活とかテストのミスとか、人と揉めたとか、見なくていい映画を見たとか」
「しょうもないですね」
「一旦、殺してみたい人がいるとか。完全にぶっ殺したい人がいるとか」
「そういうことは口にしない方が良いですよ。二つ目は明智さんの時間と関係ないですし」
「日程がハマれば受験も助けられる」
「明智さんが解答を覚えて前日の私に伝えるんですか? それは頼もしいですね」
つまり、朔良の生活に私の時間を必要ないのだった。当然だ。朔良はこれまで普通の時間で生きてきたのだから。
朔良の生活に私の時間が解決するような支障は存在しない。友人関係に悩みはなし。県外の進学校に行くという受験の用意もまずまず。所属していた水泳部は早くに引退していたし、「コツとか体感で自分と勝負するようなフィジカルスポーツは、明智さんの時間と相性が悪いですよね」とも朔良は言った。この点は遺憾ながら同感。私も運動部は小学校で諦めていた。
「明智さんこそ、その時間を使って何かしてこなかったんですか? 自分以外への良いこととか、カンニングより悪いこととか」
私はごく自然に肩を竦めた。
「目立ちたくはないんだよ。でも二十歳になったらギャンブルは試す。ビフが日刊スポーツを拾ってる状態な訳だし」
朔良は気のない相槌だけを返した。納得したのかどうかもよく分からなかった。
明智はあくまでも時間を使わせようとした。
異常回転する明智時間の絶対的アドバンテージは『やりなおし』にある。明智が毎朝のように送ってくる/私が過去のために送り付けるリマインダでその便利さはよく分かった。明智時間でやりなおせば行動の効率が向上する。あの日を境に、私は物覚えと要領の良い人になった。クラスメイトより、世間の人より、十分に。
それでもさらなる活用を求めるなら、『やりなおし』の状況を探し求めるしかない。
ある放課後、今夜火事が起こると明智が言った。隣駅に建つマンションの一室、死者はなし、ただ強風と通報の遅れで怪我人が増える。放火魔が犯行予告するような物言いだった。
阻止するんですかと聞くと、明智は否定した。目立つし、現実的な方法もない。ただ通報を早めれば被害を抑えることは出来るかもしれない。
「試すだけ。それ以上は絶対にないし、空振りで終わるかも知れない。来る?」
明智は星でも見に行くように誘った。
一度帰って着替え、私たちは燃えるマンションを見に行った。辺りをうろつくのは不審で全体も見にくい。地図上で近くの坂に公園を見つけて、私たちは地元民の顔つきでベンチに居座った。
夏が近付いていた。私たちは途中のコンビニで買ったアイスを貪った。日が暮れるにつれて遊んでいた子ども達も帰って行く。正確な発火時間は明智も知らない。私たちはブランコと滑り台からぼんやりとマンションを眺めた。
夜の帳が降りて、家屋の明かりが空の模様を飛ばすようになって、不意に別種の光が点いた。明智の言うとおり、マンションの一角に煙が上がっていた。
「燃えた。本当だった」
「ほら、消防。私は電話しないから」
臆病に言い切る明智を見ないようにして、私は火災を通報した──はい、火事だと思うんですけど、○○駅の××マンションから煙が出ていて、はい、そうです──。短い通話を終えた私は、明智に振り向いて応答を要約した。
「すでに通報があったみたいです。正確性が増すからありがたい、無駄じゃないと念を押されましたけど、話が違いませんか」
「そっか。世の中そういうもんだね。良い方向の誤差で良かった。帰ろう」
明智は返事を待たずにブランコを降りた。それきり遠くの火も、消防車の到着も見ようとしなかった。全て分かっていたように、何度か諦めた挑戦を再び諦めたように。
翌朝の明智は細縁の眼鏡を掛けていた。
珍しいと思い、それどころか初めて見るな、とすぐに思い返した。
「つまり今日は、進んだ日ですか」
挨拶のつもりで開いた口から直観が飛び出た。明智は私を見つめて数秒固まり、それでもすぐに歩き出した。
「疑われたことはあったけど、気付かれたのは初めてだ。きっかけは何?」
「いや、眼鏡。過去の私の名誉のために付け加えますが、積み重ねがあるから珍しいと思えたんです。それと何となく、昨日のことが消化し切れていないというのもありました。今の明智さんは知らないことですけど」
「えー、何するんだ私。傷つけたなら言っておいて欲しいけど、どうかな。それも嫌っちゃ嫌か」
明智は歯切れ悪く言い、笑うでも泣くでもなく、ただ進行方向と私を何度も見返していた。勝手な振る舞いは偉ぶっているわけではない。ただ余裕を失っているだけ。そう分かっていたところで、私が引け目を感じる筋合いもなかった。
「はい、何も教えたくありません。むしろこれから上書きされる私こそ、明智さんの今日が終わったらどうなるのか、教えて欲しいくらいです」
「分からないって分かってるでしょ。私も経験ないから。朔良から見れば何事もない日々が続くのかも知れないし、そっちにも私はいるのかも知れないし」
「そしてそうではないかも知れない。今日の私の記憶はどこにも繋がらず消えるのかも知れない」
明智は唇を噛んだ。ようやく、いい気味だと思った。この女は今日の私を忘れないだろう。
「世界が終わる保証もないので、私は普通に過ごします。明智さんは帰ったら眼鏡を捨ててください。二度と私に気付かれないように」
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