紋付

尾八原ジュージ

紋付

 彼氏の首筋におかしな傷がある。さながら五百円玉大の剣山を押しつけられたようなもので、まだ新しく、血液がぷっくりと小さな赤い球をいくつも作っている。

「わっ、なにこれ?」

 驚いて尋ねると彼氏もびっくりしたらしく、えっ、なになに? などと言いながら首を捻ったり、その場でぐるぐる回ってみたりする。私は例のおかしな傷を、スマートフォンで撮影して見せてやった。

「ああ、これ! 紋じゃない」

 とたんにほっとしたようなため息をついて、彼氏は紋だ紋だと笑う。

「なんだぁ〜、君がこわい顔するから、何かと思ってびっくりしちゃったよ」

「いや……モンってなんのこと?」

「そりゃ、紋章とか家紋とかの紋だよ。よかったぁ。この年になったら、これくらいの紋がひとつくらいは欲しいよね」

 彼氏は朗らかに笑っていたが、私には急に彼が別人になったように見えて、思わずぞっとした。「そんなものあるわけないじゃん」「いや、ここにあるだろ」などと言い合っている間に本格的な喧嘩になってしまい、それから二週間ほど、私たちは一度も会わず、連絡もろくにとらなかった。

 そんなある日、彼氏が急死したという報せが届いた。突然脳の血管が切れて亡くなったのだという。

 私は葬儀に参列した。棺の中の彼氏の首筋には、やっぱりあの丸い傷の痕があった。

 棺の中にはたくさんの菊の花が入っているが、ひとつとして開いているものはない。

「やっぱり一つ紋だからねぇ、つぼみが相当よねぇ」

 以前何度か会ったことのある彼氏の母親が、目頭を押さえながら弔問客と話している。

「三つ紋ならねぇ。もうちょっと開いたお花を入れてあげられるんだけど」

 母親の言葉に、弔問客はうんうんとうなずいている。

 気味が悪くなって、私は葬儀場を逃げるようにあとにした。

 一月の風は冷たい。道行くひとは皆、コートの襟を立てたり、マフラーを巻いたりして首元を隠している。私はふいに彼らを片っ端から引き留めては、「あなたは紋いくつですか」と尋ねたい衝動に駆られた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

紋付 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説