あのからくり時計に会いたくて
季都英司
からくり時計に恋をした少女の話
恋をしてしまった。
目が離せなかった。
その相手は楽器弾き、得意げにバイオリンを奏でるその姿に一目惚れしてしまった。
色とりどりのひらりとした飾りがあちらこちらについた服を身にまとい、おとぎ話に出てくる妖精のようにとがった帽子をかぶって、バイオリンを威風堂々構えている。
そしてバイオリン弾きの彼は、今からくり時計の中で演奏中。
そう、私の恋の相手はからくり時計の人形だったのだ。
初めて彼を見たのは一年前。
広場の時計が新しくなると噂に聞き、興味本位で駆けつけたのがきっかけだ。
その時計は広場の中央にある時計塔の上に取り付けられていて、とても大きな時計だった。あとで知ったのだが、一般的にからくり時計と呼ばれるものだった。
たまたまだったか、聞いていたからだったか忘れたが、ついた時刻はきっちり正午。それは偶然にもからくり時計が動き始める時刻だった。
時計の短針と長針が頂点でぴたりと揃い、それと同時に鐘の音が鳴り響く。鐘の音は3つ。
十二回じゃないのだなと思ったのを覚えている。
鐘の音が終わると、次に優しくも力強い楽器の音が聞こえてきた。なにか素敵なことが始まりそうなそんな予感がしていた。
文字盤に縦一文字に筋が入ったかと思うと、左右に文字盤が開いていく、中には楽団を模したと思われる人形たちが並んでいた。
そこに並んでいたのは4体。両端2体は太鼓を叩き、その内側2体がラッパのような楽器を演奏している。
心地よい打楽器のリズムに合わせて、ラッパの音色が壮大に曲を奏でていた。
まだ幼かった私は、その楽しさに浮かれてはねるように喜んでいた。
次の瞬間、ほんの少し曲がやんだ。終わりかな?と思った時、からくり時計の上がせり上がりそこからもう一体の人形が出てきた。
それが彼だった。
他の人形とは違う少し精巧な造り、いかにも楽団のメインをはる風情を携えた堂々とした構え。
自分が主役なのだと主張していた。
そしてバイオリンのソロが響いた。
私はその曲の素敵さ、演奏をする彼の格好良さに胸を貫かれてしまった。
からくりの機械とは思えない、なめらかな動き、作り込まれた精緻な表情。そして技巧にあふれたバイオリンを奏でるその姿……。
――なんて素敵なんだろう
思わずほおが紅くなるのを自覚して、私はなに考えてるんだと首をぶんぶんと振って気を取り直し、もう一度バイオリン弾きを見た。
やはりだめだった。彼から目が離せない。
その一挙手一投足が心を捉えて放さない。
これはなんだ、
これはなんだろう、
わからないけど、
きっとこれは素敵な何かだ!
演奏はいつの間にか終わっていた。からくり時計の仕掛けからして5分と立っていなかったろう。私はなぜか走って家に帰って、そのままベッドに飛び込んだ。
この気持ちは何なのか。
何でこんなことになってしまったのか、わからないまま、気持ちばかりが高ぶってその日はうまく寝付けなかった。
次の日、私は確認すべくもう一度広場へ向かった。もちろん時刻は正午前。
そして、じりじりとその時を待った。
また短針と長針が重なり合い、演奏が始まる。
この気持ちの正体を探ってやろうと、片時も目を離さずその動きを観察した。きっと単に時計の素晴らしさに感動しているだけなんだと思おう思おうとしていた。
だけどだめだった。
バイオリン弾きの彼が時計の上のステージに立った瞬間。完全に私はとりこになっていることがわかってしまった。
ああ、これは恋だ。恋なんだ。
相手は人間ではなく、ただの人形だというのに。
自覚してしまった以上、もう引き返せなかった。
きっと私はおかしいのだろう。
その後も何度も何度も、この衝動はなんなのか自問自答したし、この想いが本当に自分の気持ちなのかを考えなおしてみた。
けれども、結局この気持ちを他の言葉で表すことはできなかった。
そう、これは間違いなく恋なのだ。
それからというもの、私は毎日正午にからくり時計を見に行くのが日課になっていた。
どんな片思いよりも楽しくて辛い。
楽しいこと、毎日会える。そしておそらくライバルはいないだろうこと。
辛いこと、この気持ちは届くことはないし。けっして二人は結ばれることはないこと。
それでもよかった。恋をしていると言うことがどれだけ私を幸せにしているか。
だって、彼はそこにいて私がこの街に居る限り、ずっとそばに居ることが出来るのだから。
これは一つの純愛だ。
そう思っていた。
そんな日が何年も続いた頃。
私は少し違和感を覚え始めていた。
演奏の音が少し狂っているように思えた。
これまで、日々完璧な演奏をする彼が出す音色ではなかった。
音の狂いが直らないまま数日後、
今度はもっと衝撃的な出来事が起こった。
時計の上から出るはずのステージが上がりきらなかったのだ。当然彼の姿はすべてが見えきらず、足下が隠れている。これでは彼の演奏姿の美しさが半減してしまう。
さすがに危機感を覚えた私は、時計塔の管理人に状況を伝え修理をお願いした。
恋の危機だからだ。
そのときは管理人が遠くの街から職人を呼んで、全体を調整してくれた。音も元に戻ったし、彼も再び万全の姿で素敵な演奏をしてくれるようになり、私は心底ほっとしていた。この恋は終わらないからだ。
だけど、その平穏も数年とは保たなかった。
またステージが上がらなくなり、そしてついにバイオリン弾きたる彼の手が動かなくなった。演奏も流れなくなり、演奏家としての彼はみられなくなった。
今度も私は、前よりもさらに強く管理人に要望したが、今度の返事はつれなかった。
曰く、職人が完璧にはもう直せないと言っている。部品の根幹的なところがだめになっているからだと。あとはしばらくは使うが、見苦しくなった段階で、新しい時計に変えることを計画している、と。そんなことを言っていた。
強く泣き叫んだ。なんとしても直せと、直るはずだと、また彼の演奏を見たいのだと強く強く要求した。
もちろん通るはずもなく、私は追い出され、広場のからくり時計は撤去され新しいものと変わることが決まった。
私はそれでも毎日、毎日、少しずつ見えなくなる彼の姿を探しながら、正午には広場にいて時計を眺める毎日を過ごした。
その頃には、街でも変人扱いされていたが、欠片も気にしていなかった。
その頃から私は決意を固め、ある準備を始めていた。
そして最後の日。
からくり時計は、業者の手によって撤去され、新たに最新式の時計が設置された。街のみんなは古ぼけた時計が新しくなったと喜んでいたが、私はその街の人たちを冷めた目で見ていた。正直新しい時計には全く関心が無かった。
撤去されたからくり時計は、そのあと街の計画により、博物館に寄贈されたと言われていたが、街の人はそのことを誰も知りもしなかった。
その日を境に私は街から姿を消した。
この街での私とからくり時計のバイオリン弾きの恋は、誰にも知られないまま幕を閉じた。
それから数年後のある日、
ある博物館に時計職人が突然訪れた。
館員が問うと、ここに寄贈されているからくり時計を直したいとそう告げた。
職人が言う時計は何年も壊れたまま動かず、だれにも直せなかったため倉庫の死蔵品となっていたものだ。
館員たちはとまどったが、確認の結果職人が高名な時計修理士であることを知り、修理を依頼する。
職人は、博物館に数日間こもりきりで時計を修理していたという。
ある日の深夜、職人は一から作り直したすべてのパーツを、慎重にも慎重を期して元通りに組み直し、細かく動作を確認していく。全体の組み上がりを確認したあと、最後のネジを締めた。
そして、時計の動力を巻き上げる。
心なしか職人の手は震えている。
時間を正午にあわせた。
短針と長針が頂点で揃う。
鐘の音が3つ響いた。
文字盤が割れ、4体の楽団人形が演奏を始めた。
そして――
時計の上部からステージが立ち上がる。
そこに居たのはあのバイオリン弾き。
色とりどりのひらりとした飾りがあちらこちらについた服を身にまとい、おとぎ話に出てくる妖精のようにとがった帽子をかぶって、バイオリンを威風堂々構える。
あの日の姿のままの彼がそこに居た。
職人は、いや、あの日の少女は目にいっぱいの涙を浮かべてその演奏を聴く。
その姿を逃すまいと、聞き逃すまいと、泣き声も上げず涙を拭きながら。
そのときこの場所は、博物館ではなくあの日の広場だった。
職人はあの日の恋をした少女だった、
バイオリン弾きの彼に会いたい一心で、少女は時計職人になっていたのだ。
そして、ここに願いは叶う。
からくり時計の演奏は終わり、バイオリン弾きが時計の中にもどるその瞬間に少女はこう告げた。
――また会えたね。
あのからくり時計に会いたくて 季都英司 @kitoeiji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます