第34話 苦味すら凌駕する

 里帆の身体を堪能したあとは、もう普通に帰ることになった。

 僕が正気に戻ることを許可されたのは、駅前に移動してからのこと。

 人生最大の卒業式をしてすぐの状況で正気に戻る演技というのもなかなか難しい。けど、そうしないと怪しまれるのでやるしかない。


「あれ……気付けば夕方になってる……?」

「ようやく起きたのね……またあなた立ったまま寝ていたのよ?」


 隣に佇む里帆が、いつものように僕を突発性睡眠障害として扱ってくる。

 いつもの里帆なら、そう言って誤魔化しを図る表情は平静そのものだが、今はさすがに情事の熱が残っているところもあるからだろう、熟れたトマトのように赤い。

 僕はもちろんその赤ら顔には触れないで正気に戻った演技を続ける。


「……そっか、僕はまた日中に意識を……何か変なことはしなかったよな?」

「え、ええ……別にあなたとホテルでえっちなんてしていないわよ」


 演技下手くそか。


「――おねえと琉斗くんがおねえと琉斗くんがおねえと琉斗くんがおねえと琉斗くんがおねえと琉斗くんががががががががが」


 ……そしてさっきから同じ文言を繰り返している里奈ちゃんにも言及せねばなるまい。

 浴室で僕らの行為を聞かされていた里奈ちゃんは、ちょっと壊れ気味だ。

 里帆に先を越されたショックからか、FXで有り金全部溶かした人みたいな顔になっている一方で、寝取らせ趣味の一面が時折オモテに出てきて「でも興奮出来たからいいかも……♡」と呟いたりしている。

 情緒不安定なのが怖い。大丈夫だろうか……。


【ねえ琉斗、無事?】


 そんな折……お、氷海からのLINEだ。


【もし自由になれたなら、駅前のロザンヌってカフェに来られる? 待機中なんだけど】


 ロザンヌというカフェを調べてみると……この駅の近くか。

 ってことは、氷海も近くに居たのかよ。

 ……ならちょうどいいし事後報告に行くべきか。

 協力を仰いだ以上、それは必須だろうし。


「悪い里帆。ちょっと急用が出来たから先に帰ってもらってもいいか?」

「え……何よ、そういうことなら私も付き合うわ」

「いいって。なんかお前足取り変だし、どっか痛めてるんじゃないか? 先に帰ってしっかり休めよ」


 喪失の影響だと思うが、股の内側を気にするように歩いているので無理はさせられない。


「べ、別に痛めてないけど……そうね、大事を取らせてもらおうと思うわ」


 表向き認めてはいないが、やっぱり痛みはあるらしい。その選択は正しい判断だろう。


「じゃあ先に帰らせてもらうわね……里奈、行くわよ」

「おねえと琉斗くんが……でもそれはそれで……♡ おねえと琉斗くんが……でもそれはそれで……♡」


 情緒がおかしい里奈ちゃんの襟首を引っ張りながら、里帆が駅の構内に入っていく。


 さてと……じゃあ氷海のもとに向かうか。



   ◇



「――うぇっ!? り、里帆さんとヤったの……っ!?」


 さて……駅前のカフェで氷海と合流したところで、僕は素直に事の顛末を報告している。ウソをついたってしょうがないし。


「ああ。里奈ちゃんをどうにかしてもらったあと、里帆に迫られて、拒否するのもアレだと思ったから……流れで」

「そ、それって、付き合うことにしたとかでは……?」

「ではない。あくまでひとまず、身体だけ」

「そ、そっか……」

 

 氷海はどこか安堵したように胸を撫で下ろしつつ、


「ち、ちなみにだけど……避妊はした?」

「……里帆の命令で、ノースキン」

「ちょっ……!」

「い、一応生理の関係でピル使ってるとは言ってたぞ……」


 それでも当然何かあったら責任は取るつもりだ。


「はあ……まぁ、とりあえず脱童貞おめでと」

「……祝ってくれるのかよ」

「それはそれだからね。でも……あたしは別にこれまでと変わらんし。琉斗のことは引き続き好きだし、恋人の座を狙ってくから」

「……おう」

「1番目になれなくても……2番目でも、何番目でも、あたしは虎視眈々と狙い澄ますだけだし」


 そんな宣言を受けて、どう反応するのが正解なのか分からず口をつぐんでしまう。


「じゃ、短い顔合わせだけど、あたしはもう帰るから。とりあえず今は事の顛末が聞ければ充分だし」

「あれ……演技をバラされたくなかったら、って脅しはしないのか?」

「どうせ今日は萎びてるでしょ? 散々搾られたんだろうし」

「あぁ、まぁ……」

「でしょ。だから折を見ていずれ、ってことで。ここで待機してただけなのになんかくたびれちゃった部分もあるしね」


 そう言って立ち上がると、氷海は伸びをしながら「じゃねー」と立ち去っていった。

 ……一応、助かったと言える。実際、もう出ないよ状態だったから、勘弁してもらえて良かったのは間違いない……。


 そう考えながら、僕も後追いですぐに帰る――ことはせず、ちょっと背伸びしてブラックコーヒーを頼んで休憩を図っていくことにした。


「にが……」


 オトナの階段をひとつ登った今なら、甘ったるいカフェオレしか受け付けない子供舌の僕でも美味しくブラックを楽しめるんじゃないかと思ったが無理だった。

 割と後悔。

 でも、そんな後悔すら甘んじて受け入れられるくらい今の僕は気分が良い。


 里帆とひとまず身体を繋げられたこの日のことは、きっと一生忘れようのない思い出として僕の胸に刻まれたはずだからな。

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