第33話 いざそのときは呆気なく

「ふぅ……これでよし。ひとまずそこで大人しくしているといいわ」


 里奈ちゃんを浴室に封じ込めて反省を促した里帆が、手をぱしぱしと払い合わせながらベッドまで戻ってきた。

 きっちり駆け付けてくれたヒーローにきちんと感謝を伝えたいところだが、僕はまだ正気に戻ることを許されておらずベッドで物言えぬ状態だ。

 催眠を解いてくれないだろうか。じゃないと僕は虚ろな演技をやめられない。


「さてと……じゃあ琉斗の催眠を私のアプリで解除しておくべきよね」


 頼むよ。


「でもせっかくラブホに居るのだから……」


 ゴクリ、と里帆の喉が鳴った。

 ん? おい……せっかくラブホに居るからなんだって言うんだ。


「ねえ琉斗……私が必死に里奈の暴走を止めた理由、分かる?」


 ……僕のことが好きだからじゃないのか?


「琉斗のことが好きだからではあるけど、それ以上の動機としては……里奈にあなたの初めてを渡したくはなかったからよ」


 ……それもあるか。


「私はね、琉斗、あなたと一緒に初めてを喪失するのが第一の目標なの。だから里奈にその座を渡すわけには絶対にいかなかった」


 そう言って里帆が自分の衣服に手をかけ始めているのはなぜだろう……。

 すっとぼけるようにそう考えるが、その理由はなんとなく分かっている。


「あのね琉斗……急な話ではあるけど、私、この場で琉斗とシてみたいと思い始めているわ。一番手になれない不安を抱えながら過ごすのは、もうイヤなの……」


 ……ってことだよな。


「琉斗の初めては……私が奪ってあげたい。私のわがままなのは重々承知しているけど、許されるならそうしたいの」


 里帆は気付けば下着姿になっていた。ぺろぺろさせられたときにも見ているが、今日はセクシーな黒だ。まるで最初からそのつもりだったかのように、気合いが入っている……。


「でもね、琉斗の自由意志を奪った状態でするのは憚れる部分があるわ。幼児退行させてするのもなんかアレな気がするし……」

 

 里帆はそう言うと、催眠アプリを僕に見せ付けてくる。


「だから、琉斗の深層心理に命じるわ。――もしこの場で私とシてもいいと思っているなら、自我を取り戻さずに私を抱いて欲しいの」


 ……無茶苦茶なことを言われている。

 でも里帆の気持ちは分かってしまう。

 たとえば僕だって、里帆と同じように催眠アプリを使える立場だったら、里帆にバレないようにえっちなことがしたいと思うだろうし、けれど無断でするのは罪悪感が半端ないから、出来ることなら承諾を得てえっちなことがしたいと考えるはずだ。

 相手にえっちなことをしたのがバレたくないことと、相手の承諾を得てえっちがしたいというのは、色々矛盾していて本来相容れない状態同士だ。でも催眠状態で深層心理に許可を取れば、矛盾は生まれないわけだな……。


「……どうかしら? もし可能なら動き出して私を抱いて欲しいの。虚ろな状態のままで、ね」


 里帆の視線が僕を真っ直ぐに見つめてくる。そこにおふざけの色は見られない。ふざけた状況ではあれど、里帆自身は本気なんだ。

 

 ……だったら僕もきちんと向き合わないといけないよな。逃げちゃダメだ。いや、結局逃げたままではあるんだ。まだお互いにきちんと向き合えず、催眠アプリを介したコミュニケーションでしか本心を垣間見せることが出来ない不器用な間柄。


 でも、まずはその段階からちょっとずつ前に進んでいけばいいのかもしれない。里奈ちゃんや氷海のことも裏切れない僕は、けれど色々と進展する前にまずは里帆との関係をひとつ進めるのが何よりも大切だと思った。

 だから――


「きゃっ……琉斗……」


 僕は気付くと虚ろな演技のまま動き出して、里帆の身体を押し倒していた。

 今考えた通り、据え膳をいつまでもスルーし続けるのはやめた。

 助けてもらったお礼だってしたい。

 だから催眠状態で動いていいという状況は、僕にとってもありがたい大義名分に他ならなかった。

 

 初めてがこれでいいのかは分からない。でも催眠アプリきっかけでここまで来たなら、これはことだとも思う。

 

「……いいのね? 琉斗」


 問われた僕は、自我を出さない演技を継続しつつ里帆にキスをした。それが返事代わりである。


 そしてもう、ここからは止まれなかった。虚ろさを維持することは忘れずに、けれど根源的な感情にどこか支配されながら――


「……来て、琉斗」


 男子の偶像。女子の憧れ。

 誰もが羨む高嶺の花を――僕は自分の手で穢したのである。



――――

つづく

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