第19話 一難去って

「――さあ琉斗くん、早く♡」


 下着ショップの店内で、催眠アプリを構えた里奈ちゃんが急かしてくる。


 ……僕に与えられた命令は、試着室に侵入して氷海ひみのおっぱいを揉むこと。


 寝取らせに近い変態性癖に目覚めたという里奈ちゃんによる業の深い指示だ……。


 僕が選ぶべき選択肢は、指示に従う、というその一択のみだ。

 拒否すれば演技だとバレるかもしれない。

 ただでさえ里奈ちゃんは先日僕の演技を疑っていた。

 もしバレたら里帆にまでその情報が伝播し、偉いことになるかもしれない。

 だって里帆たちの内なる感情を僕は全部盗み聞きしているわけで。

 激おこ状態と化して断罪されても致し方なし。

 最悪、縁を切られる可能性もあるだろう。

 それは避けたい……だから、やるしかないんだ。

 店員さんや他のお客さんの目に気を付けて、氷海の試着室にいざ――。


「――わっ、りゅ、琉斗なんで……!」


 僕がカーテンを開けて素早く侵入すると、ちょうど着替えを完了させたところであるらしい金髪ギャルが視界に映り込んだ。

 ……僕が選んだ黒いブラとショーツを身に着けている下着姿。

 試着なので自分の白い下着の上に着用しており、若干チグハグ。

 それでも、絵になる格好だ。

 黒いレースに包まれた大きなおっぱい。

 くびれた腰元。

 ぷりっとハリのある臀部。

 しなやかでむちっとした太もも。

 やっぱり中学卒業からのわずかな合間で、こいつ成長してるな……。


 ……と、見とれてる場合じゃない。

 僕は顔の前で人差し指を立てた。


「悪い氷海……静かに。ワケありなんだ」

「……え?」

「とりあえず、ここに居させてくれ……」

「ど、どゆこと……?」

「……いいから頼む」


 里奈ちゃんがこの場を覗かずに悶々と楽しむだけなら、このまま何もせずにやり過ごせるかもしれない。

 ――と思っていたが、ダメだ……。

 氷海には気付かれない立ち位置から、里奈ちゃんがカーテンの隙間を覗いている。

 このまま突っ立っていたら不審がられるだろう。

 となると……、

 

「悪い氷海……」


 小さくそう告げながら、僕は氷海のおっぱいを揉んだ。

 試着ブラの上からむにっと。


「ひゃんっ……な、何してんの琉斗……っ」


 僕は返答せず、ひたすらに氷海のおっぱいを揉む。

 里奈ちゃんが見ている以上、そうするしかない。

 

「だ、ダメ……こんなところで……」


 そうだよな、僕は今ダメなことをしていると思う。

 ……でも演技をやめるわけにはいかない。

 だから頼むよ氷海……いっそ抵抗して押し飛ばしてくれ。

 そうすれば終われるはずだから……。


「んっ……♡」


 氷海、さあ。

 喘いでいる場合じゃないぞ。

 押し飛ばすんだ。

 ほら。


「な、なんか知らんけど……琉斗があたしにこういうことしてくれるの、嬉しいかも……」


 ――なに……?


「あたしのおっぱい……成長したでしょ? ね、ほら……」


 くっ……僕を押し飛ばすどころかむしろ胸を押し付けてくるだと……!


「高校デビューして自分磨きしたのだってさ……琉斗にもっと女の子扱いして欲しいって思ったからだし……こうやっておっぱい揉まれんの嬉しいんだよね……」


 なんかしおらしいことを言っているな……。

 くそ……氷海が可愛く見えてくる。

 いや可愛いんだけど、そう見えたら負けな気がする。

 元は貞子なのに、色気づきやがって……。


「なんで急にこんなことしてきたのかはマジで分からんけど……んっ。別に琉斗になら揉まれてもいいから……ほら、どうせならもっと強く揉んで?」


 くっ……氷海が乗り気なのは予想外。

 これだと脱出がままならない。


 ふと背後に意識を向けてみれば、はふんはふんと里奈ちゃんが鼻息を荒げて満足しているような気配がする。マジでモンスター。里奈ちゃんの将来が心配だよ。


 にしても、いつまで揉んでいればいいんだ。

 里奈ちゃんの気が済むまでか?


「――琉斗くんどこー? こっち来てー」


 やがて3分ほどが経った頃に、里奈ちゃんのわざとらしい呼び声が木霊してきた。

 ……これはひょっとして終わりの合図?

 多分そういうことだと判断して、僕は氷海のおっぱいから手を離し、試着室を出ようとする。


「い、今の時間ってマジでどういうことなん……?」


 出ようとする僕に、氷海が問いかけてきた。


「……いずれ説明する。とりあえず似合ってると思うぞ、その下着は」


 感想をきちんと告げてから、僕は試着室を抜け出した。

 里奈ちゃんが3室ほど離れた別の試着室から手招きしているのを発見。

 いつの間にか移動していたらしい。

 僕は虚ろな演技のままそちらへ。


「――めっちゃ良かったよ~♡」


 そしてお褒めの言葉を告げられつつ撫でられた。

 ……僕はペットか何か?


「やっぱり琉斗くんが誰かとイチャついてるところを見るとあたし気分が良いみたい♡」


 ……ヤバい子になっちゃったなぁ。


「えへへ、あたしヤバいのかも……♡」


 うん、ヤバいよ。


「だから素の琉斗くんにはこんな嗜好知られるわけにはいかないよね……引かれちゃって嫌われるかもしれないし」


 時すでに遅しだよ、里奈ちゃん。

 嫌いにはなってないけど……。


「あ、でもでも、琉斗くんと普通に触れ合うのも当然好きだから――」


 ちゅ、と里奈ちゃんは僕に口付けをしてきた。


「えへへ、これからもこんな感じで催眠させてね♡」


 にっこり笑うその表情は可愛らしい。

 でもその笑顔の裏にあるのは……強すぎるクセ。

 そんな事実を改めて思い知った、土曜日の午後なのであった。


   ◇


「はあ……疲れた」


 夜。

 帰宅した僕はカップ麺を夕飯として啜っている。

 いつもなら萌果が作ってくれるんだけど、水泳部の遠征で今日は不在。明日帰ってくるまでは1人暮らし。自分で作るのは面倒だからカップ麺である。


 氷海には結局、催眠アプリの件は伝えずに別れた。

 里奈ちゃんが近くに居たからな。

 いずれ折を見て伝えることにしよう。


「さて……風呂だな」


 カップ麺を食べ終えた僕は、少し休憩を挟んでから脱衣所へ。

 そんな折――


「――今日は随分と楽しんできたみたいじゃない?」

「り、里帆……」


 そう、里帆がいきなり踏み込んできた。

 その表情は少しムッとしている。

 

「しかも氷海ちゃんだけじゃなくて里奈も一緒だったそうね? あの子が自慢してきたからまたお尻ぺんぺんで黙らせておいたわ」


 グッバイ里奈ちゃんフォーエバー里奈ちゃん……。


「それより――」


 スッ……、と里帆がスマホを見せ付けてくる。

 その画面には言わずもがな、催眠アプリ……。


「放心なさい琉斗。今からお風呂に入るんでしょう? なら私が入れてあげるわ♡」


 どうやら本日の僕には……まだまだ安寧の時間が訪れないようだった。



――――

つづく 

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