琥珀色

@shanmama

汚れた手

私は純粋な子供だった。天井の蜘蛛を、天井の雲と、本気で間違えるくらいに、だ。天然なんて可愛い子ぶったもんじゃない。あの頃は、誰かを信じることを恐れたりしなかった。


小学校の帰り道。下校班の上級生が、こんなことを言い出した。

「明日、尿検査あるでしょ?あれ、折り紙みたいなコップにおしっこ入れるじゃん?そのコップに残ったおしっこを飲むと、健康になれるんだって!甘いらしいよ!」

へぇ。おしっこで健康になれるなんて。世の中にはまだまだ知らないことが沢山あるんだな。みんな飲んでるのかな。だからおじいちゃんおばあちゃんは歳をとっても生きているのかな。無知で幼いわたしの頭でも、健康な体が大切だってことくらい分かる。飲んだほうがいいのかな。

そんなことを考えながら、四角い紙を三角に折り上げる。姿を現した紙のコップを、忘れないように、トイレに入ってすぐ見える場所へ置いた。我が家のトイレは1つしかない。いつも、弟とトイレのタイミングが一緒になってしまって、そんなときには決まって譲らなくちゃいけない。わたしは、お姉ちゃんだから。明日は、朝一番に起きて、ひとりで完璧にやらなくちゃいけない。なぜなら、わたしはお姉ちゃんだから。


短い夜が明ける。まだ眠たい目をこすり、不完全な身体をひきずりながらトイレへ向かう。昨日に準備していたコップと目が合う。いつも思うけど、なんでこんな小さいんだろう。絶対容量足りないのに。コップの口を丸く開く。出したものをなんとかコップの中に収めて、今度は容器で吸い上げる。これが兎に角うまくできない。紙一重で感じる温度が、どんどん私を不安にさせる。もたもたしている間に、紙が溶け始める。自分の手に、染み渡ってくるのを感じる。あたたかい。触れた所から、また身体の中へと戻ってしまうんじゃないかと怖くなる。途端に、コップはドロドロと崩れる。容器を見ると、基準線まで全然足りない量しか採れていなかった。

こんなものを見せたら怒られるんじゃないかと、慌ててビニール袋に入れてランドセルへ押し込む。カサカサと鳴る袋の音が、わたしの背中を急かしたけれど、いつもより丁寧に歩いて登校した。

教室に入ると、教卓の上には容器を提出する入れ物が置いてあった。既に提出されていた誰かの容器には、薄い黄色の液体が基準線までぴったり入れられていた。その整った佇まいと、清潔さすらをも感じる綺麗な色。息を飲んだ。自分の何一つとして満たされていない、濃い黄色を隣に並べるのが嫌で、一番離れた場所にぽつんと提出して、逃げるように席に着いた。どうか、あれが私のだって、誰も気づきませんように。誰にも見られずに、ひっそりと姿を消してくれますように。あの時、コップが溶けて汚れたわたしの手は、何度も洗ったはずなのに、まだ臭うような気がする。


刹那、「あ!このおしっこ、少ないし黄色すぎ!だれのだこれ」と言ったのは、誰だったか。

失念していた。容器には、しっかりと名前が書かれていた。

鼻の奥が、ツンとした。


尿検査はスリルとサスペンスだ。

すっかり傷ついてしまったわたしの尊厳は、あの日のままで今に至る。そうして遂に私は、おしっこを飲まないまま大人になってしまったけれど。

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