第3話

兄弟たちとの最悪の再会を果たした私ことキリエは、朝食の用意をしなければならないということでまた一人になった。


家族はお構いなしに、私に朝食に来るように告げた。


死ぬ寸前から目を覚ましたというのに、全く気にも留めていない。




部屋には使用人が三人残った。


使用人は、私の頭に絞り切れていない濡れたタオルを投げつけた。




「さっさと拭いてください」




ニヤニヤしながら、嫌らしい笑みを浮かべて、使用人たちは私の反応を待った。


しかも、お湯を使っていないのか、とても冷たいタオルだった。しかも、変な臭いまでした。


もし使い古しのタオルならば衛生的に良くないな、などと冷静に考えている自分がいた。




「聞こえないんですか!? さっさと拭けって言ってるんですよ!」




使用人の一人が私の肩に手を載せてきた。


咄嗟に、私はタオルを握りしめて、肩を掴んできた使用人の首に巻き付けて、倒した。




「な、何して」




近づこうとしてきたもう一人の使用人の鼻にタオルを思いきりぶつける。顔面に衝撃を受けた使用人は、突然の激痛によって顔を押さえてうずくまった。


私は、タオルしかない場合の近接格闘術を咄嗟に披露してしまった。


残された使用人は、呆然とその様子を見つめていた。




「こいつは……」




私は意外だと思った。


キリエは、かなり身体能力が高かったのだ。正確には動体視力が良く、いつの間に運動をしていたのか腹筋が引き締まっているような感じがした。


しかし、腹や胸を押さえても、肉付きはどちらかといえば悪い方だという感触が伝わる。




その時、あることを思い出した。


私は、前世、勇者であったころに強化魔法を覚えていた。黒魔法士の男から手ほどきを受けた程度であったが、私には強化魔法の才能がもともとあったらしい。




その魔法が、今、無意識に発動したのだろう。


そこで、もう一人の無傷の使用人の胸倉を引っ張り、ベッドへと突き飛ばした。


私は近くに置いてあった椅子を一脚、使用人たちの前に置き、そこに座った。




「何かいうことはないか?」




私は極めて冷静であった。


キリエは、使用人と目もあわせられなかったようだが、私は違う。


使用人は首や胸を押さえながら、目の前の少女にしてやられたことに、悔しそうな顔をする。反抗的な目つきに、未だに馬鹿にした表情をしている。


誰も私の質問に答える気はないようだった。




私は、この異世界に強制的に送られてきた。そして、私のこれまでの人生を反芻する。


私は、両親を犯罪者に殺され、その犯罪者に誘拐されて、犯罪者として生きることになった。生まれてから死ぬまで、私は人を殺し続けてきた。


誰しもが私を忌み嫌ってきた。


親がいないからと、一般人にも煙たがられた。


生きる糧がそれしかなかったにもかかわらず、犯罪者であるからと、忌避されてきた。


混血児だからと多くの国は、制度的に受け入れたとしても、私そのものを受け入れることはなかった。


私が人を助けたとしても、感謝されることはなかった。


私が知る心優しい人たちは、そのやさしさを利用されるがゆえに短命であった。


善良な人間は、淘汰され続けたのだ。




しかし、学んだことは一つだけあった。


より鮮明になったのは、この異世界を訪れてからである。


苦労と苦心の末に、魔族を滅ぼしたが、それは人間に対する首輪を外したに等しい行為だったのかもしれない。


アリスや、仲間たちも、人を助け続けたが、助けた人間は彼らを死に追いやった。


であれば、人間の本質はどの世界でも何も変わらない。




であるがゆえに、感謝と隣人愛と神や仏の慈悲を持たない一個の動物として、ある種のホモサピエンスを観察すると、一つの単純な答えへと行きついた。


それは、どちらが強者なのかを教えてやればよいということだ。


今まで、この者たちがキリエにやっていたことだ。この公爵家という猿たちの檻の中で、弱者はキリエという少女だった。


ボス猿である公爵と夫人に好意的にみられるため、有象無象の猿たちは、生贄を献上しつづけていた。それは、生贄をいたぶり殺すという残酷ショーだった。


敵は公爵家全体であったため、キリエはただ耐えるしかなかった。




「私にも権力というものがあることを忘れていたな」




そう。


キリエは、まともな貴族教育を受けていなかった。そのため、階級制度におけるキリエの権限というものを全く理解していなかった。


貴族に対する大逆罪。平民が貴族に、貴族が皇族に下剋上を企てた場合、それは三代まで死刑を求刑できるロンバルディア帝国貴族法である。


勇者は、扱いとしては皇室直属の貴族であったため、平民と貴族の中にいる魔族の内通者を処刑する権限を持っていた。その際に、持ち出されたのがこの大逆罪だ。




一、平民が貴族に対して身体的苦痛を与えた場合、下剋上と見なされる。


一、貴族は、侯爵以上の爵位を持つ当主及びその継承権を持つ者には即決裁判が権限として付与される。


一、継承権を持つ者とは、侯爵以上の爵位を持つ家の長男・長女・次男が該当する。




つまり、私には、法的に無視できない貴族法に基づいた即決裁判の権利があるのだ。


私は椅子から立ち上がり、扉を施錠した。




「知ってるか。私にはお前たちを死刑にする権限を貴族法によって与えられている」




そう発言した瞬間、使用人三人の顔色が変わった。




「ど、どうやってそのことを……」




メイドの一人が声を漏らす。


私は、そのメイドの前に立つ。




「名前は何ていう?」




私は、肩を掴んできた30代ほどのメイドを指さした。


この使用人の中で、一番積極的にキリエをいじめていた女。いや、それだけではない。冷水を敷き詰めた風呂に入れ、高熱で死にかけたキリエに対して、シルヴィアの名を借りて、貴族の礼法に反すると鞭を打った女だった。




「アロエです……」




そう、アロエ。


ただのアロエだったか。苗字がない平民のメイド。そんな存在ですら、公爵令嬢を貶めている。


アロエは、シルヴィアが雇用したキリエの監視役であった。そして、シルヴィアとアロエは結託して、キリエが委縮するような態度をとっていた。




汚水や冷水の風呂に入れようとするのは日常茶飯事だった。


嫌がって入ろうとしないキリエに対して、アロエたちメイドは無理やり体を押さえつけた。そのせいで、汚水に顔が浸かり、溺れたこともあった。


毎朝早くにはシルヴィアへの挨拶をしなければならなかった。そのたびに、キリエはカーテシーがなっていないと、アロエに鞭を打たれた。


食事に遅れると、メイドたちはキリエを灯りのない真っ暗なクローゼットに閉じ込めた。幼い頃のキリエは、泣き叫びながら助けを求めた。


そして、うるさければ、やはり鞭を打たれた。


しかし、誰もキリエを助けることはなかった。


このような仕打ちをされてもなお、キリエは従順だった。答えは単純だった。絶え間ない暴力は、服従と無気力を生み出す。




昔、心理学の本で読んだことがある。


暴力は相手に恐怖を植え付け、決断力を絶つ。定期的な暴力は、無力感を生み出し、判断力を鈍らせる。暴力を受けている人間が子どもや専業主婦の妻など収入がない場合は、逃げたくても逃げられない状態になる。そして、子どもであれば、外の世界への不安や就学の問題から、さらに逃げられない。自分は暴力から逃げることで多くのものを失うかもしれないという心理になる。




暴力の結果、キリエもまた精神的に不安定な状態が続いた。それは、委縮する態度などに現れた。


幼い子どもに、なんて仕打ちをしたのだろうか。


そして、その子どもは死んだ。


死んで、私が憑依したのだ。




「暴力を振るう人間が何を忘れがちかわかるか?」




私は、アロエの顎を掴んでその眼を覗き見た。


アロエは、顔面蒼白で私を見つめていた。


私は、アロエの顎を強く握りしめた。すると、彼女は「うっ」と顔をしかめて、痛みを訴えた。




「自分も同じように振るわれる立場であることだ」




キリエは、貴族であった。


そして、この異世界における貴族とは、一つの暴力装置を独占しているのだ。合法的に、かつ圧倒的に。


しかし、誰も彼女を貴族であると認識していた人間はいなかった。


ならば、思い出させてやろう。


暴力で、思い出させてやろう。


この黄金の髪、黄金の瞳を持つ少女がいかに尊い存在であったのかを、その目に焼き付けてやろう。




私はアロエの首を絞めた。


強化魔法で強くなった握力のせいで、私は片手でアロエの首を持ち上げた。


アロエがうめき声を上げながら、私の腕をつかんで抵抗する。しかし、私の腕は微動だにしない。


そのうち、アロエの身体が持ち上がり、足が床から離れた。


アロエは、首を吊った状態になった。


アロエの顔から血の気が徐々に失われていく。他の二人のメイドは、その光景を跪きながら見ていた。




「お、お許しを……」




殺気に満ちた私に、一人のメイドが懇願する。


しかし、私は止めなかった。


アロエの抵抗する力が小さくなったのを見計らって、私は彼女の身体を床へと落とした。




「はぁ……はぁ……」




アロエが困苦惨痛の面持ちで、首を押さえながら、私を見上げた。




「まだ安心するのは早いですよ。私は、貴様にあと47回、同じことを繰り返すつもりです」




「……え?」




そう。


アロエは、今まで合計で48度、キリエの体に鞭を打った。




「そこのお前は、32回、そっちは38回だ。鞭を打った分、貴様らを酸欠苦にしとうと思う。逃げようとすれば、足の骨を折る。一度逃げれば右足を、二度逃げようとすれば左足だな」




私は、備え付けてあったテーブルを部屋の扉の前に置いた。鍵はかけたが、誰かが入ってこられないようにするバリケードだ。


メイドたちは突然の出来事に足がすくんでしまったのか。あるいは、突然がらりと性格が変わった主人に呆気に取られているのだろうか。




「朝の準備はその後だな」




私は、まず、アロエの首を繰り返し絞めることにした。




アロエの罰を終えてから、この方法では効率が悪いことに気が付いた。それならと、アロエが持っていた鞭を手に取った。


アロエは、度重なる窒息責めのせいで、失神していた。




「立て」




私はその鞭を二人のメイドたちの真ん中に置いた。


そして、鞭とメイドから一定の距離をとる。




「腕も疲れたので、二人の内の一人は、罰を免除しましょうか。だから、選んでください。どちらが罰を受けるのか。鞭を先にとって相手に打った人の罰は免除します。その代わり、思い切り鞭を打たなければ、私が鞭を持ってる方の首を絞めて殺します」




そういうと、二人のメイドは一瞬だけ顔を見合わせて、我先に鞭を取り合った。


一人のメイドが相手を突き飛ばして鞭を奪い、思い切り顔に打った。あれをもろに顔に喰らえば、多少なりとも痕が残るだろうな、と考えながら、眺めた。


打たれたメイドの悲鳴と苦悶の声が部屋の中に木霊した。


鞭を打っている方のメイドは、一度手を停めて、肩で息を整える。しかし、すかさず私はそのメイドの手を強く握りしめた。




「あと25回だ。がんばれ」




私は笑顔で答えた。


鞭を持ったメイドは、ハッとした表情で再び鞭を振るう。


パンッという音が部屋に木霊する。


打たれているメイドの衣服から血がにじみ出てきた。


残り18回というところで、メイドは気絶した。しかし、私は鞭打ちを止めさせなかった。


0回になったところで、鞭の音は止まった。




「やればできるじゃないか」




私はそう言って、鞭を打ったメイドに水を差しだした。


メイドは怯えながらもそれを受け取った。




「貴族を虐待するとこうなるんだ、アロエ」




アロエも、失神状態から覚醒し、鞭打ちの光景を目にしていた。


鞭を打たれたメイドは白目を剥いており、衣服や床、壁に飛沫した血が広がっていた。


私はドレスを一人で着替えて、部屋の扉を開けた。




「命が惜しければ、お義母さまには報告しないことだ。それが分かった瞬間、窒息や鞭打ちが可愛い罰だったと思い知らせてやろう。約束する、絶対にだ」




私は黄金の瞳に怒りをともした。




「それが嫌なら、部屋を掃除しておけ。何もなかったように、きれいにな」




私は朝食のために家族の団欒の場へと足を運んだ。

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底辺公女の復讐転生:殺された殺人鬼は悪女となり、周囲の人間たちを断罪します 山田菖蒲 @namaenonaiP

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