トンネル

 国語の授業は退屈だ。午後の日差しが穏やかで、教卓の前に立つ先生の声ものんびりしているから、みんな眠そうにしてる。

 ちゃんと聞いてるのは僕と木目子きめこちゃんくらいじゃないだろうか。真面目に聞いていても、存在をあまり認識されないから、指されることはないんだけど。


 川端かわばた先生は、教科書を手に、トンネルの話をしているが、お昼ご飯を食べた後の教室は、ほぼお昼寝モードだ。

 先生は、気にすることなくチョークで黒板に文字を書いている。カツカツとリズミカルな音が続き、さらに眠気を誘う。


 授業の時以外寡黙な先生は、痩せていて、大きなギョロッとした眼が特徴的な人だ。睨む訳でもないのに目力がすごくて、じいっと人を見る癖がある。

 新任の若い女の先生が話しかけたら、黙って数分間凝視されて泣いちゃったとか、家に入った泥棒を目力だけで追い払ったというすごい噂もある。


「トンネルは怖いんですよ。先生、若い頃、1人で外国旅行をしたことがありましてね。古い美術品が好きなので、アジャンターの石窟せっくつ寺院を見に行こうとしたんです」


 誰もまともに聞いていないのにやっと気づいたのか、先生は気分を変えるように授業と関係のない話を始めた。


「ところが現地のガイドに騙されましてね。気が付けば飛行機に乗せられ、ヒマラヤ山脈の麓に向かっていたんです。空港からバスに乗ったら途中で降ろされまして。銃を持った兵士に小突かれながら断崖絶壁の細いギリギリの道を歩かされました」


 わ、わぁ……先生、けっこう大変な体験をされてるんだなあ。僕は無意味にシャープペンシルの芯をカチカチと押し出して、ノートの隅っこに「ヒマラヤ」と書いた。


「まあ、先生は天涯孤独ですからね。心配する恋人も、親族もほとんどいなかったから、ここで死んだら誰にも弔って貰えないなとは思ったんですが」


 そうなんだ。人には色々あるんだなあ。こういう話を聞けるなら、たまには授業を脱線するのもいいかもしれない。


「トンネルは電気もなく、兵士の持つ灯りだけが頼りです。他の乗客も不安そうに黙って、大人しく歩いていましたが、途中、荷物検査があって、持っていた日本の電化製品はほぼ没収されました。悔しかったですね」


 穏やかそうな先生の意外な旅行記に興味を示した何人かが、ザワザワと騒めきながら、耳を澄ませている。


「そうして、国境の長いトンネルを抜けると、そこは紛争地帯でした」


 え、一難去ってまた一難じゃないか。僕はまたシャープペンでノートの隅に「紛争地帯」と書く。


「……可部野かべのくん。こんな話でノートは取らなくていいよ」


 声を掛けられて、僕はビックリして顔を上げた。まさか認識されていたなんて。誰かと勘違いしてないかと辺りを見回してみる。でも先生は、ギョロッとしたフクロウのような目を真っ直ぐ僕に向けていた。


 予想外の事態に動揺した僕は、すぐに返事をすることも出来ず、ただ先生の目を見返した。こんなに誰かと目が合うことなんて、家族と木目子ちゃん以外にはほとんど無かったことだ。


「あ、あの……はい。すみません。続きを……」


 聞かせてください、と続けようとした僕の声は、授業の終わりを告げるチャイムにかき消された。先生は急に興味を失くしたように僕から目をそらす。

 チャイムの音は怠惰な午後の空気に澄み通って、僕らの頭上を真っ直ぐに響いて行った。



 学校からの帰り道、木目子ちゃんと並んで歩いていると、彼女がポツリと言った。


「川端先生、時々あんな風に見るよね」


「あの目で見られると、何も悪いことしてないのに謝りたくなるから不思議だね」


「生活指導で太宰先輩が泣かされていたそうよ」


「……あの先輩は、日頃の素行が悪すぎるんじゃないかな。どの先生に指導されても泣いてるって聞いたよ」


 2年の太宰先輩は、頭が良いのに学校にもあまり来なくて、時々川を流れているところを捕獲されたりしているらしい。それは先生だって心配だよね。友達とワイワイやってる時は、楽しそうにしてるけどさ。


「今日のお話面白かったね」


「うん。また聞きたいね」


 僕と木目子ちゃんは、小さく笑い合って、お互いの家まで無事に辿り着いた。僕らの家は隣同士なんだ。

 途中僕らを認識せずに突っ込んでくるトラックとか、お化け扱いする小学生を無事にやり過ごしながら。


 その後、先生は、旅行した時の体験を基に『き国』という小説を書いたとか、書かなったとか。


つづく……? (すみませんでした)

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目撃!ブンゴウ学園 鳥尾巻 @toriokan

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