第2話 日常 (6月18日 月曜日)
(神視点)
紫陽花から滴る雫が、頭上から降り注ぐ陽の光に照らされている。
背中を濡らしたカエルが葉の陰から出てきては隠れる。
「しゅーん!はよ起きーや!」
1階から聞こえてきた女の声に反応して、山本 俊は目を覚ました。
「お母さんもう仕事行くでー!」
どうやらこの声は俊の母親らしい。
「勝手に行きーや…」
寝起きのガラガラとした声で一人呟いた。
時刻は朝7時50分。今日はいつもより少し肌寒いらしい。外を歩く人が薄い上着を羽織っている。
重い体をのそのそと動かして俊はリビングへと向かった。フローリングの床が冷たく、思わず身震いする。足裏から脳天に向かって順番に冷やされていくようだ。
「あぁ俊。おはよ。お母さんもうそろそろ仕事行くわな」
「お父さんは?」
「もうとっくに仕事行ったわ」
ふーん。と声にならない声で理解を示した。
玄関で飼われている小魚たちがパクパクしながら、靴を履く母の方へ寄っていく。
「今日って雨降るん?」
「知らんよ。多分降らんと思うけど?」
と言いながら母は鞄の中に折りたたみ傘を押し込んだ。
(降らんと思うとか言うときながら…)
玄関の姿見で身だしなみを整えている母を横目に俊はリビングに入り、冷蔵庫からお茶を取り出した。
やがて聞こえてきたガチャンという重い音によって、母が出て行ったことを俊は知った。
母が用意してくれていた朝食を摂りながらテレビを見ていれば、CMからニュースへと画面が変わった。
『こちら、男性の遺体が見つかった現場となります。場所は京都府○○区。山の所有者の方が発見し通報に至ったそうなのですが、警察によると犯人は未だ分かっておらず、逃走中ということだそうです。遺体は、顔の判別はできるものの見るも無惨な姿となっていたそうです』
山の中でこちらに話しかけながら辺りを見渡すアナウンサーが画面に映っている。
「そんな怖い事件あったのにそんなとこおってええんか」
食パンを口に運びながら俊は一人呟く。
見るも無惨な姿となって。アナウンサーのその言葉が耳に張り付き、脳へと届いてグルグルと渦巻く。
京都。それは俊が今生きている、今朝食を摂っている場所だ。
「逃走中か…。ま、俺には関係ないやろな」
日本、京都に何人の人がいて、そのうち事件に巻き込まれるのはどれくらいの確率なのだろうか。そう考えたときに、自分が事件に巻き込まれる確率は非常に低いだろう。と、そう俊は思ったのだ。
ぼうっと眺めていれば、いつしか画面は天気予報へと変わっていた。60%の降水確率。雨が降るかは分からないが念の為に傘を持っていくらしく、母と同じように折りたたみ傘を学校のカバンへ放り込んだ。
時刻は8時15分。
「なんで朝ってこんな時間ないんやろ…。嫌んなるわ」
そう呟いたもののもちろん誰かが反応してくれるわけでもなく、言葉は初夏の清々しい空気と混ざり合い消えていった。
三原 悠也が転校してきてから5日が経った今日、18日の月曜日。
あの日から彼は、自分で作っていると言うサンドイッチを俊の分まで作ってきてくれたり、俊の代わりにノートを書いてくれたりしていた。
(ま、今日も悠也に会えるしええか)
相変わらず俊も、悠也の美しさに目を奪われていた。
口元を手で隠して上品に笑ったり、耳下まで伸びた髪をさりげなく耳にかけたり、体育後に暑くて服の胸元を扇いだり。その何気ない行動がいちいち目に止まって、他のことに集中できなくなることも少々あった。だが、今まで何の変化もなくただいつも通りの日常が過ぎていくばかりだった俊の日々が、それらによってカラフルに彩られたのだった。
同日、高く昇った太陽が少し傾いた16時頃。
6限までの授業が終わり、各々が放課後を楽しんでいる。
「塩田くん、今日一緒にゲームしよー」
教室で帰り支度をしていた1人の男子生徒が、塩田というもう1人の男子生徒に声をかけた。
彼は確か、悠也が転校してきたときに「仲良ぉなれやんかも」なんて言っていた生徒だ。
塩田は、先程まで外していたピアスを耳朶に通しながら、
「ごめーん。今日は木下くんと約束あんねん」
と笑顔でそう言葉を返した。
校則で禁止されているであろうピアスを全て付け終えると、塩田は「じゃあまたね〜」と声をかけてきた男子生徒に挨拶をして教室を去っていった。
(はぁ…。あーいうイキリ?ヤンキー?とかもう見飽きたし鬱陶しいし、正直関わりたないな…。木下くんとかに捕まったら終わりや。はよ帰ろ)
木下という生徒は、悠也が転校してきたときに「センセェなんで今日はそんなテンション高いん」と言った生徒だったか。
俊はスクールバッグに教科書を詰めていそいそと席を立った。
「なぁ悠也、一緒に帰らん?」
となりの席でゆっくりと帰る準備をしていた悠也に声をかけた。
「あー、ありがとうな俊くん。でも木下くんに一緒に帰ろう言われてて…。ごめんやけど先行くわな」
悠也は少し困ったように笑い、早足に教室を出て行った。
学年で1番ヤンチャな木下に声をかけられるなんて。大丈夫なのだろうかと思いつつも、きっと物珍しい転校生である悠也を気に入ったのだろう。
(俺が1番仲良いって思ってたのにな〜。ま、ええか)
16時15分。三原 悠也は木下に呼ばれた場所まで向かっていた。
場所は、北館三階にある化学準備室前。ここはあまり整備されておらず、天井に付けられた蛍光灯は弱い光を放っている。建てられた位置が悪いせいか、陽の光もあまり入っては来ない。そんな若干暗い北館へと向かえば、木下と2人の男子生徒が悠也を待っていた。
「おぉ〜三原くん〜。遅ない〜?」
2人の内1人、佐藤という生徒が悠也に声を掛けてきた。この者は確か、「なんでここちゃうん?」と言っていた生徒だ。
「あ、佐藤くんと塩田くんもおったんや。てっきり木下くんしかおらんのやと思ってた」
悠也は笑顔でそう言った。すると、しゃがんでいた木下がおもむろに立ち上がり悠也の方へと近づいた。
「三原くん。今日ここへ呼んだんはさ、僕らと仲良ぉなってほしいからなんよ。なぁ塩田」
木下は笑顔を作り、そう言い放つ。
塩田は少しの沈黙の末に、
「あぁ、そうなんよ。三原くんと仲良くしたいなぁ思て…」
「そうなんや…。ええよ!仲良くしよ!」
定期的に転校を繰り返していた悠也は、誰かと友達になるのがとても嬉しいのだろうか。真相は分からないが、悠也は嬉しそうに頷き、彼らの言葉を受け取った。
「でなぁ、三原くん。元々関西住んでたとはいえ、三原くんがおったときからだいぶ時代も進んでるわけで。友達ってどういうもんなんか関西と関東じゃまた違うしちょっとずつ教えたるからな」
「ほんまぁ?やっぱ関西と関東で違うんやなぁ。いろいろ頑張って覚えるわ!」
「おう。じゃあさっそくやけど、俺に3万渡して」
次回へ続く。
化人 蛇蝎 @dakatsumiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。化人の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます