記憶復帰装置

宇多川 流

記憶復帰装置

 取調室に大きな装置が運び込まれたのを見て、目撃者は少し緊張している様子だった。エンジニアの守崎は笑みを浮かべて声をかける。

「大丈夫、少しも痛くも痒くもないですよ。ただそちらの椅子に楽に座っておられればいいのです」

「でも、記憶を覗かれるのでしょう?」

 品の良いスーツ姿の中年男性は、懐からハンカチを取り出して汗を拭く。

「いいえ、引き出された記憶を見るのはあくまで記憶の持ち主だけです。技術的には覗くことも可能ですが、それは重要犯罪人など、厳しく条件が定められています。つまり、今回は思い出すお手伝いをするだけです」

 守崎はこのいかにも平凡なサラリーマン風の男にどんな他人に覗かれたくない秘密があるのか少し好奇心をくすぐられたものの、さすがに覗きを実行する訳にはいかない。

 説明に男は安心した様子だった。されるがままにヘッドホンに似た装置を頭に装着する。

「では始めますね。楽にしていてください」

 スイッチを入れると、装置の画面のひとつに波形が表示される。

 この〈記憶復帰装置〉は、実用化されてまだ五年も経っていない。脳の海馬や大脳皮質を刺激することで眠っている記憶を引き出すというもので、書き込まれた時間を入力してやると自動的に記憶領域を探って、ある程度狙った目的の記憶を呼び戻せる。使用されているのはまだ、ここのような警察関係か、記憶喪失の人間を扱うことのある医療関係の施設だけだ。

「おお……見えます、事件のあの日。そう、犯人の顔がはっきり見える……!」

 人間は体験したことをすべて記憶し、それは一度は脳内の海馬という部分に記憶される。この目撃者は三日前に強盗が逃げるところに出くわしたため、短期記憶の保存場所である海馬に信号を送って刺激した結果だった。

 はっきりと犯人の顔を思い出した目撃者は、脇に控えていた刑事が並べた顔写真の中から、即座に一枚を選び出した。

「相変わらずの威力ですね。これで犯人を逮捕できそうです」

 刑事がそう言って、軽い足取りで去っていく。

 ここでの仕事が終わり、取調室から警察関係者も目撃者もいなくなると、守崎は後輩の佐藤と一緒に装置を片付け始める。まだ世界に三台の高価で貴重なこの装置に触れられるのは、資格のある技師だけだ。今のところ技師は全員、開発会社の社員である。

「最近、いくつか大きな事件も解決していますね。そろそろ上層部はノーベル賞でも期待し始めるころじゃないですか」

 片付けながら、佐藤が少しは社員にもおこぼれがあるのではないかという風に言う。

「いやいや、上層部は慎重だよ。安全性をもっと確立しないうちは一般公開は控えめに、というのが方針だ」

 すでに百数十件の使用回数があるが、その中に二件、使用者が死亡したケースがあった。どちらも、表向きは心筋梗塞ということになっている。記憶が引き金となった可能性は否定されないが、老人と心臓の持病持ちだったため、大した問題にはならなかった。

「聞いたことあります? 触れてはいけない記憶のウワサ」

 突然の佐藤のことばに、守崎は顔を上げる。それは初耳だった。

「なんだ、また若者の間の都市伝説か?」

 口ぶりはあきれた風を装うが、目は爛々と輝く。もともと好奇心旺盛な性質なのだ。

「亡くなった人に関して、『触れてはいけない記憶を刺激してしまったから亡くなったんじゃないか』というウワサです」

「ん? ショックを受けるようなことを思い出してしまい心臓発作を起こした、ということか?」

「いえ、思い出すは思い出すんでしょうけど個人が体験したことではなく、人間に最初から刻み付けられている記憶があるんじゃないか、という根も葉もない噂話ですよ」

 そうか、と守崎は納得する。可能性としてはあり得ても、恋人に手ひどくフラれたことや大事な試験に落ちたことを思い出したせいでショック死した、という理由が噂話になるとは思えない。

「人間に最初から刻み付けられた記憶ねえ。両親のまぐわいでも見たかな」

「それも嫌ですね。ウワサを教えてくれた同僚は、未来を見たんじゃないか、と言っていましたね」

 〈未来〉、それだけで死亡するだろうか。未来を変えてみようとか、確かめてみようと思わないうちに死亡するだろうか、と、守崎は疑問に思う。未来がよほど悲惨だったのか、あるいは、未来とはすべての可能性をさすのかもしれない。どう動くか、何を話すか――それらすべてへの回答を行動する前から知っていたら、生きる意味を失うかもしれない。

「となると、〈未来〉じゃなくて〈全部〉もアリかもな」

 すべてを知りつくした者はあらゆるものの視点も内包するため個を失い、〈全部〉の一部のような精神状態になり、自分として生きてはいられないかもしれない。

「色々な可能性を考えてみれば面白い話だ。記憶もまだまだ解明されていない部分が多く、内臓移植で記憶や趣味、好みが移ったなどという話もある」

「聞いたことがありますね。意識や記憶も原子や量子に含まれていて、実は全身に満遍なく存在する、という主張も読んだことがありますし」

 もしかしたら、〈記憶復帰装置〉は思わぬ知識を引き出すこともあるかもしれない。未知の領域に踏み込む可能性に好奇心を刺激され、守崎は笑みを浮かべる。それに不安を覚えたのか、佐藤は、

「あまり変なことは考えないでくださいよ、先輩」

 そうたしなめるが、守崎は上の空だった。


 翌日から少しずつ、守崎は死亡した二人の使用者について調べ上げた。装置でどこをどう刺激したのかの記録だけでなく、その日の天候や気温、死亡者の病歴や体格まで。

 それから、彼は会社が休みの日に行動を起こす。もともといつかは装置を自分で使おうと手順を考えていたので、ことはすんなり進んだ。装置の保管所のカードキーを何食わぬ顔で持ち帰り、それを元の場所へ届けるフリをして会社に入る。

 準備は前日のうちにしてあった。保管所に忍び込むと、装置のスイッチを入れて椅子に座る。部屋の状況や気温は死亡者が出たときの状況にできるだけ似せてあり、どういう風に脳を刺激するのかも装置にインプットしてある。二人の死亡者に共通するルートを辿るように。

 ――どんなに意識を揺さぶられても、多少のことなら大丈夫だ。

 装置にはもともと脈拍モニターがついているが、それだけでなく、指先に緊急停止用のボタンを置いておく。それを押せば装置は即座に記憶領域への接触をやめる。その感触を軽く確かめてから、守崎は気をしっかり持って〈記憶復帰装置〉のスイッチを入れた。

 それから間もなく、彼は動くのをやめた。指先もピクリとも動かない。脈拍モニターがけたたましいサイレンを鳴らし装置は停止するが、すでに手遅れだった。

 彼の意識を塗り潰した〈人間にもともとある記憶〉の中、彼はただの一個の原子として存在していた。



    〈了〉

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記憶復帰装置 宇多川 流 @Lui_Utakawa

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