応援コメント

『骨董』をカジって飛んだ趣味イナゴな僕は」への応援コメント

  • お世話になっております。
    多趣味のおはなし、まだまだ面白いものがたくさん出てきそうなので、今後ともぜひいっぱい語っていただきたいなあと思います。楽しみに読みます。

    人形を家に迎えるのは結構勇気がいりますけど、手放すのも同様の勇気がいりますね……。
    供養、というのはまさにこういう存在のためにあるのかもしれません。

    秋島さんのエッセイ、既に一話拝読いたしておりましたが、やっぱり面白すぎるなあとついにコメントを書くに至りました。

    作者からの返信

    夕雪さん、こんにちはぁ!

    平素よりお世話になっております。(会社員本能)


    趣味ちょい食べしてやめた系はストックあるのでまたお見せしたく思いますよ。
    ちゃんとやってる人には、
    「そこはまだこの趣味を語れるレベルではないぞ!」
    って思われそうですが。

    そうですね……こういう存在と、せめて供養だけはしたからと自分を許すためにあるのかなと思います。
    僕が罪悪感いっぱいながら言い訳程度に救われているので。やはり宗教というのは偉大です。

    面白すぎるとは本当にうれしいお言葉。
    なんか、この骨董のオハナシ、ちょっと舞台装置が出来すぎてますもんね……本当にあった店で、本当にあったことにしては。どうも書き表すと、物語の舞台じみてます。

    波長があってしまったら他のもそこそこには面白いと思いますので、ぜひぜひ御笑覧くださいませ!(欲深い)

  • コメント欄で他の作家様の作品薦めたりして恐縮なんですが
    カイエ様の「庭にはいつも、ちよろずの落ち葉」
    https://kakuyomu.jp/works/16817330652867269415
    の「はらぺこ」という回を、いつか機会がありましたらお読みになってみて下さい。
    私の好きな作家様は、人形に魅入られがちだナァって思ったエピソードでした。

    竹部本人は、モノを収集する癖が無く、装飾しない系の民でした。
    自分の車に友達乗せたら「お父さんの車?」って聞かれたくらいです。あの頃の女子は車にハイビスカスを咲かせておったからのぅ……。
    そして秋島様のモノを手放さなくてはいけなくなった理由と(たぶん)似たような状態になった時、私の男は山ほど飾り物を持ってやってきました。巨大な木彫りの像とか、ナニカの抜け殻とか。
    今まで家にお邪魔した時は、隠してやがったなみたいなモノがわんさかありました。

    だからまた、ビビっとくるものに出会ったなら、買っちゃってもしかたない!

    作者からの返信

    竹部さん、こんにちはァ!
    今日は挨拶がちょっと丁寧。一文字分。

    いやぁカイエさんのエッセイをチラ見せしてくるとは。
    チラ見せで済むと思いますか。
    しかも僕がエッセイ書いてみようというトコロに、あんなマネできないモノを。足掻いても自分に取り込めないモノを。
    残酷な方だ。いやぁ残酷な方だ。ふふ。

    あれ……そんなに離れてない気が勝手にするのですけど……ハイビスカス……?
    小さい頃にテレビで見たような覚えが(仕返し)

    いやあ、なんでしょう。
    あなたの男が正直だったのだと思いますよ。抜け殻も木彫りもすっげぇ見たい。
    こう……偶然飾ってなかっただけで……隠してたわけではないですよきっと!
    それにきわっどいフィギュアなぞでなくて良かったではないですか。
    部屋に佇むにはあまりに、ってヤツがありますからねー。

    人形は、やはり何か宿るのでしょうか。
    刀剣は非常に原型的というか、大元の希求がシンプルだと思うんです。
    人のサガってのが所有欲を見出すのに、剣はあまり理屈がいらないなと。

    人形は、あちらからも見てくるじゃないですか。
    惹かれる人には、たしかに何らか通ずるものがあるのかもしれないですね。
    文字通り、擬人化癖かな。

    今思いついた理論なんですが。
    人を模した物質に美を見出す人間は、その逆にも長けている。
    つまり、観念や主張という抽象的概念を擬人化、美化――キャラクター化し、緻密に動かすことができる。
    そのキャラクターは物語の中の役割として、あるいは進行担当としては動かない。
    そのため、行動指針に設定を一切必要としない。
    自らの母体である観念や主張、主題に従って動く。
    たとえば主人公であればストーリー主題の体現者として、敵であれば主題への反駁者として行動する。

    ……うわぁ。トンデモ理論だ。

  • 小説みたいな不思議な体験ですね!若い時分にそんな素敵な出会いをされた秋島さんがうらやましいです。

    作者からの返信

    さえさん、こんちわァ!
    死体はともだち以来のご無沙汰なのです。
    申し訳ないのです。

    いやぁ。羨ましいなんてこたぁ、決してありません。
    あのお店だったら、歳関係なく素敵な出会いになると思いますよぅ?
    一見あやしかろうが何だろうが飛び込んでいくところが若いっちゃ若いのですが、僕はあまりそういうトコ変わらないです……ね。

    私の女と2人のときは
    「マジでそこ入るのは勘弁してよ」
    と袖を引っ張られるようなトコでも、あとでこっそり行っちゃいます。
    結果、そこでも友達と名乗ってくれる人ができました。
    下書きにあるので、このエッセイにも追々でてくることでありましょう。

    ふと、ホントいま、ふと思ったんですが、僕の『ころしてやりたい』のポンコツヒロインなマキちゃんは若干、文島さんの影響を受けていますね。
    おそらく読まれたら
    「いやいや全然ちがう人じゃねぇか!」
    てなると思うんですけども。

    まあ人間は多面体と認めてくれる彼女ですから、自分の一面が僕という歪な理の水晶体をくぐって、まったく別物に反射していてもですね。
    笑って許してくれそうな気がします。
    ……いや、ちょっとも笑わないか。口角1ミリも動かなそうか。鼻すら鳴らさないか。そもそも、その時のモードによるか。

    あ、はい。ちょっとコメントされると触れてもない内容までばかすか付いてきます。楽しいやら嬉しいやらで。こういうクセなので気にしないでくださいね。

    編集済
  • 素敵なお話ですね!がらくた屋さん。銭天堂みたいな不思議なお店が実在するなんて。また、店主とのお人形購入のやり取りが、まさに小説みたいな面白さでした。まだ存在しているのですかね、そのお店。もう2度と辿り着けない…みたいな異次元感があるなーって思いました

    作者からの返信

    愛崎さん、こんちわァ!グータッチしましょう。イェイ。

    今回ノンフィクションとして、一切の誇張をしないぞ!
    と気を付けて書いたのですけど。

    ホント、物語の舞台にできるような素敵なお店でした。
    銭天堂みたいに片付いてないゴチャゴチャですが、やんわりした光のハダカ電球がぶら下がってそうな感じ、絵にしたら非常に近い色合いになると思います。

    実際、僕に骨董の知識がちゃんとあれば短編連作の舞台にしたいぐらいなのですねぇ。
    あれば、したくなったかもです。

    ちなみに検索してみたのですが、位置が近いもののどうも別のお店が出ました。
    「こんな小綺麗でコーヒー出る店じゃなかったから、違うな!」
    と思ったのですが、代変わりしたのかもしれません。
    でもなんか不思議なんですけど、まだあそこに在って、あの女性が座ってそうな気がします。

    定年あるわけじゃないですからね、あっても不思議じゃないし。
    ひっそりと今日も、あの店の定位置で、しれーっとした顔で本読んでそうな気がしてならないです。

    いつか小説にしてやるときは、だいぶ若くして知的な美人さんにしてあげます。ふふ。

    編集済