底の見えない沼にて

疾風 颯

底の見えない沼にて

 俺は昔から察しが悪い。

 相手がしてほしいことなんて気付かない。自分の行動を相手がどう思うかなんて考えもしない。相手が自分をどう思っているかなんてわからない。

 最近は、自分のことさえもわからなくなってしまった。

 自分が何をしたいのか思いつかない。自分の行動に意味がないことに気付きながら何もしない。自分が相手をどう思っているかすらもわからない。

 意味があるのかないのかわからない思考を垂れ流しながらシャワーを浴びる午前一時。塾から帰ってきて、同じく塾帰りの妹が風呂から上がるのを待ち、風呂入れと母に言われながらも大して面白くない動画を見続けていたら気付けばこんな時間だ。惰性ばかりで行動が遅いのは俺の数ある欠点の一つだ。今もシャワーの口から水道代と光熱費が吐き出され続けているが、止めるのも面倒に思えて仕方がない。

 数学の実力テストが過去最低レベルで酷い点数だった。自分がこんな点数を取るなんて思いもしていなかったが、当然のことではあった。やらなかった、だからこの結果がある。ただただ単純な問題だ。

 いつからこんなに無気力になったのか。

 小さな頃は底抜けな明るさだけが取り柄のバカだったのに、今となっては辛気臭く何もやらない愚図に成り下がってしまった。幼少期に全ての気力を使い果たしてしまったのかとでも思う程だ。

 流石にそろそろ勉強しないといけない。……何のために?

 将来のために、と大人は言う。だがどうも幸せな将来を想像することができない。ちゃんとした大人になれたら俺は幸せになれるのだろうか。いや、これは言い訳か。幸せになるためにちゃんとした人生を目指すのだ。ただ、自分の隣に人がいるビジョンが見えない。いつかこの孤独から解放されるときは来るのだろうか。

 無性に人恋しい。

 他人が信じられなくなったのはいつだろうか。何を考えているか察せられないから、どうしても嫌われてやしないかと不安と疑念がつき纏い、甘えるということができなくなった。頼るってどうすればいいんだっけ。弱みはどう見せれば良かったんだっけ。いつまでも虚勢を張って強がっているうちに、一人で居ざるを得なくなった。

 分からない。解らない。判らない。

 何もわからないから、何もできない。まるで底の見えない沼で藻掻いているようだ。

 シャワーを切り姿見を見ると、野暮ったい顔が俺を恨めしそうに見ていた。テキトーに切って、テキトーに延ばした髪。左側だけ二重の、不揃いで目付きの悪い眼。丸く少し大き目で不格好な鼻。顔だけでも三、四個はある黒子に、不摂生な生活でどんどんと増えた汚い面皰。何よりも見飽きた、大嫌いな顔だ。洗顔料で真っ白に塗り潰し、おざなりに洗い流した。

 風呂の蓋を開けると、中は白く濁った液体で満たされていた。入浴剤だ。俺は昔から入浴剤が嫌いだった。怪しげな薬液に漬けられ、標本にでもされるかのようなうすら寒さがある、この人工的な芳香がやけに鼻につく。

 不意に、この湯舟の中で溺れる自分を幻視した。

 浅い湯の中で、まるでそこが底なし沼であるかのように藻掻き苦しむ自分の姿が目に浮かぶ。必死に腕を伸ばし暴れている姿は、恐ろしく滑稽だった。

 なんでも、人は膝丈ほどの水深でも溺れることがあるんだとか。溺れた人はパニックに陥りやすく、浅い水深でも中々抜け出せないそうだ。冷静に考えれば思ったほどでは無いはずなのに、どうしてか人はそこを地獄であるかのように錯覚する。底が浅くても、見えなければ認識上では底なし沼になり得るのだ。

 そう、全て単純な話なのだ。漠然とした不安に焦燥を募らせるだけ無駄なんだ。またそうやって目を逸らして、見ないふりをしている。わからないことを理由にして、底を確かめようともしない。なあ俺、いつまでそこで溺れているんだ?

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