いつかくる『明日』の為に

競かなえ

前編

 真新しい部屋に眉間にしわを寄せている女が一人。

 新天地で頑張るぞ、と意気込んできたはいいものの、荷解きが終わらない。

 ワンルームだからもっと早くに終わっているはずだったんだけどな。


 平日が安いからという理由だけで引っ越し日を決めてしまったのがよくなかった。お母さんは出航日にしか来られないと。あと二週間もある。

 現状、ベットは服やら小物、配線ケーブルなんかの一時避難場所になっている。床には段ボールが所狭しと並べられているため、足の踏み場もない。

 このままでは片付かない荷物たちに囲まれながら座って眠る羽目になってしまう。


「あ、これ先輩がくれたストールだ。あったかくて先輩みたいなんだよね。最後にもう少し話したかったなぁ」


 前職の同僚にはとても良くしてもらった。

 先に行きます、なんて格好つけた割には最後は誰よりも泣いてしまったっけ。

 寂しいものは寂しい。当たり前だ。


 また会えるかな。

 おっといけない、また思い出に浸ってしまった。

 これだからいつまで経っても終わらないんだ。荷造りの時も同じことをしていた。

 その時はお母さんに喝を入れられながらだったから意外と早く済んだんだけど。


 そういえばもうすぐお昼だ。

 社員寮だから下りれば社員食堂もあったと思うけれど、入社日は明後日だ。正式にはまだ社員ではないので行きづらい。

 となるとご飯も作らないといけないのか。

 食材もないし、持ってきたカップラーメンでも食べよう。


「鍋はどの段ボールに入れたっけ……」


 段ボールに何もメモしていなかったのがいけなかった。手あたりしだい開けていかないと見つからないのではないだろうか。

 実家なら片付けてる間にお母さんがご飯作ってくれたのになぁ。

 念願の一人暮らしのはずだったのに、早速母の偉大さを思い知らされた。


 ひっくり返された荷物が部屋を圧迫していく。鍋はまだ出てこない。


「もう、全然進まない」


 運動してるわけでもないしお昼は諦めようか。

 諦めモードの中、ノートが詰め込まれた段ボールの中に黄色いパッケージが見えた。

 学生時代の相棒とも呼べる頼れる味方。バランス栄養食だ。しかも好きなチョコ味。

 これで夜まで生き延びられる。


 片付けは一旦中断して、お昼を食べながら一緒に入っていたノートに目を通す。

 それらのほとんどが第二の地球の可能性、生命活動記録、植物に関するものだった。

 学生時代の研究資料は社会人になった今でも役に立っている。


「明後日には仕事なんだよね。はやく片付けなきゃ」


 そんな意思に反して広がり続ける荷物の山。

 どこから手を付ければいいかもわからなくなっていた。


「配達でーす!」


 まずい、そんなこんなしてるうちに新しい荷物が来てしまった。とりあえず荷物を受け取って中身を確認する。

 中には仕事着の白衣と専門書が入っていた。


 そうだ、普段は白衣着るんだし服は適当なものでいいじゃないか。

 白衣だけハンガーに掛け、シワにならないように避けておく。専門書と研究資料は先に机の上に置いておいて、いつでも作業できるように整える。

 他はぐちゃぐちゃだけれど……まあ足の踏み場は一旦確保したから問題ない。片付けはいつでもできるし後でもいいだろう。

 それよりもしっかり仕事に集中しないと。


 人類みんなの居住地を創れるのは私たちだけなんだから。






 翌朝、カーテンもしていなかったせいで顔面に当たる直射日光によって無理やり起こされた。それにしても神秘的な朝だ。太陽が昇っているのに外は暗い。窓の外を見るとあかく輝く実家ちきゅうが「おはよう」と言っているようだった。


 もそもそと布団から出ると腕と腰が張ったように痛かった。筋肉痛だ。

 久しぶりに重いもの持ったらそうなるよね。

 でもこれは飛躍的な進歩だ。

 宇宙空間で何日も過ごせば筋肉が衰えていく。そう言われていた時代はもう終わったのだ。

 重力核を中心に放射状に居住区を伸ばしたこの仮設住宅は、可能な限り地球に近い生活ができる。無重力状態で物が宙に浮いているなんてことは起こらない。地上での生活と何ら変わりはない。

 そうだ、仮設住宅シェルターでの生活レポートも書かないといけないんだった。

 とりあえず最初の一週間くらいは使用感だけでいいか。一般人寄りの感想でいこう。


 窓からはかつて蒼く輝いていた私たちの生まれ育った星が見えている。もっぱら、今はもう緑はほとんど失われてしまった。

 赤茶色の星となりつつある。

 改めて見ると何とも言えない、感慨深いものがある。生命に満ちた美しい星だったはずなのに、今や滅びの時を待っていることしかできないのだ。

 主因は温暖化だと言われている。

 母なる大地をこんなにしてしまったのは紛れもない人類の罪なのだが。自分で犯した罪は自分で償え、といったところだろうか。すでに三分の一の人が亡くなった。

 気候変動や海面上昇、食糧不足……人は住処を終われ、ついに地球では生きていけないと判断した結果、第二の地球を創る計画が実行された。

 そして私たち研究者が駆り出されたのだ。


 私たち生命科学チームは磁界チームの後に続いて植物を育て、大気を創り出すことを目的としている。

 地球上では植物は十分に育たなくなってしまったために、ここで育てた植物を火星なり金星なり、第二の地球になり得る所へ送るのだ。

 上手く行けば数十年で成果が出るだろう。そしてその計画が成されてから三十年が経とうとしている。

 点検と称して数名、火星と金星に送り込まれていたはずだ。

 いわゆる人類の引っ越しが始まっている。

 このプロジェクトに参画している研究者、その家族が優先的に仮設住宅に通されている。安全が確保できしだい一般輸送が始まるらしい。でもそれも何年先の話か。


 私の居住区以外にも地球の周りには似たような建造物が浮かんでいる。今は他のプロジェクトチームや、他国の研究者が使っているようだ。

 そのうち他国との共同作業もあるだろう。英語話せないけど大丈夫かな……


 海外のチームは太陽系外で探していると耳にしたが、実際のところどうなんだろうか。日本のチームと協力することはないだろうか。

 チャンスがあるなら参加してみたいものだ。

 明日以降が楽しみだ。


 とりあえず片付けの続きをしないと……結局昨日の山が残ったままだった。

 誰も入ってこないとは思うけど、見られたらまずいものから片付けよう。


 結局最後まで片付かないまま日は沈んでいった。





「山本さん、おはようございます。施設の中をご案内しますね」


「……よろしくお願いします」


 先日届いた荷物の中に入社連絡が同封されていた。そこに九時になっても迎えが来なければエントランスに来ること、と記載されていたがまさか九時ちょうどに玄関のチャイムが鳴るとは思わなかった。

 白衣は持っていくつもりだったが、部屋を出た時点で着ていいらしい。そうだ、ここは研究所の中の寮みたいなものだった。


 まずはエントランスに通される。

 エントランスとは言っても研究室に入りきらなくなった植物たちが占領していた。

 苔や、蒲公英、今は地球上では絶滅したとされている桜の苗木。どれも小さいものだがしっかりと根を張っている。


 おばあちゃんが若かった頃はよく“お花見”というものをしていたらしい。

 私が産まれた時には地下でのシェルター生活が主流だったから、おとぎ話みたいだった。

 いつかおばあちゃんが見た景色を再現させるのが私の夢だ。


「こちらはスペースプラントです。太陽風をエネルギーにし、空気の薄い宇宙空間でも生き残れるように改良された植物です」


 エントランス横の鉄の扉を開けると、黒ずんだ赤い葉を持った植物が並んでいた。それらはシワシワで元気がなく、とっくに枯れているように見える。これが最新の植物とは到底考えられない。


「まだ企業秘密なので公に発表されていませんが、どの世界のチームも使用しているものですよ」


 まずスペースプラントを植えて光合成させながら太陽風を浴びさせる。根付くまで数日待てば青白く発光する花を咲かせるらしい。花が咲けば自身で生成した栄養を土に流し、他の植物の発育を助けるのだと言う。

 酸素と水をほとんど必要としないスペースプラントは人類の救世主と言えるだろう。

 まるで魔法と呼べるほど科学の進歩は凄まじい。


 そしてこれはもう既に火星に植えられていて、次の実験段階に来ているという。

 火星はある程度空気を保有することが可能になっているらしい。

 これから地球上の植物たちが生存出来るかどうか移植実験の段階のようだ。

 これはまだ未発表なので詳しいことは明日説明がある。機密情報の為、これからの仕事は責任がついてまわることになりそうだ。


 それから他チームの研究内容と部屋の説明を受け、研究所内のデスクを確認した。

 今日はデスク周りを整えることと、所属チームの研究進捗確認で終業することになった。

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