第二章

第一話

 あたしが売られて来てから二月が経った。


 仕事を一通り覚え、ようやくあたしも使用人の一人として認めてもらえるようになったような気がする。


 ほかの使用人たちには良くしてもらっている……と思う。

 特に佐和子さんには本当にお世話になっている。


 佐和子さんは女中頭だ。

 なんでも最近もう一人いた女中が辞めたそうで、その人の役職を引き継いだばかりらしい。

 その女中が辞めた理由はわからない――もしかすると旦那様に馘首クビにされたのかもしれない。

 佐和子さんは「お雪ちゃんとあたししかいないのに、頭なんて言われてもね」と言って笑うが、あたしはまだまだ半人前だ。

 きっとあたしにはわからない苦労もあるだろう。

 少しでも佐和子さんの負担が減るように、精一杯頑張ろうと思っている。


 女中は佐和子さんのほかにもう一人、スエさんという女性がいる。

 無口で穏やかな方で、厨房の補佐をしているそうだ。

 あまり話はしないが、たまにちょっとしたおやつを差し入れしてくれるところをみると、嫌われているわけではいないようだ。

 庭など、あたしと佐和子さんだけで手が回らないところは、スエさんも箒を持って掃除に参加する。


 厨房には新庄さんという料理人がいる。

 旦那様と同じくらいの歳で、旦那様を強く敬愛しているがわかる。

「旦那様のお口に合うように」というのが口癖だ。

 厨房は女中の仕事とは完全に分離されているので、新庄さんとスエさんとは食事中以外に顔を合わせることはほとんどない。


 宮川さんという初老の男性もいる。

 普段は給仕をしているが、本来の仕事は執事なのだろう。

 たまに書斎で旦那様と予定について話し合っているのを見かける。

 たまの来客時などで、使用人全員に指示を出すのもこの人だ。

 だけど、旦那様は書斎に人がいる状態を好まないらしく、やはり宮川さんは執事というよりも給仕長といったほうがしっくり来る。

 普段はあたしたち女中に混じって屋敷の掃除や、ときにはちょっとした力仕事もしているようだ。


 たったこれだけの使用人。

 スエさんと新庄さんを入れてもたった五人だ。

 この広い屋敷を、この少人数でよく維持ができるものだと思っていたが、やってみればなんとかなるようだ。

 もちろん、屋敷の修理などは大工に任せているし、やたらと広い庭も近隣の住人に賃金を払って手伝ってもらったりしている。


 それでも仕事は楽ではない。

 故郷の畑仕事とどちらがきついだろうか――あたしがここに来る前にはもうひとり女中がいたらしいが、流石に佐和子さん一人でここを維持するのは不可能だろう。

 本当に最低限の人数で屋敷を回していると言える。

 仕事時間は長いし、やることもとにかく多い。


 それでも、苦ではなかった。

 ここで働けるおかげで、娼婦にならずに済んだのだ。

 きっとあたしは恵まれている。


 感謝しなくては。


 ▽


 未だに旦那様のはなかった。

 単にあたしの女性としての魅力がないだけかもしれないが、だからといって安心できるというものでもない。


 まさか、佐和子さんに「夜のお相手」の事を聞くわけにもいかない。

 だから、あたしは相変わらず旦那様が恐ろしかった。


 骨ばった顔、鋭い目付き、立派な口髭、大柄な着流し姿、どれもが威圧感がある。

 他の使用人たちも食卓でこそ賑やかだが、仕事中に旦那様とすれ違うと緊張するようだ。


「仕事を覚えてきたようだな、雪」


 旦那様が言う。


「ありがとうございます」

「雪の出身は山形だったか?」

「はい」

「それにしては言葉が綺麗だな。田舎女を雇うと、何を言ってるのかさっぱりわからんものなのに」

「そう、ですか」


 こういう時、どういう顔をするのが正解なのか未だに迷う。

 しかし旦那様はあたしの反応など気にもされないようだ。


「しっかり働けよ。高い金を出してお前を買ったのだ。役に立て」


 言いたいことを言うと、旦那様はのしのしと歩いて行ってしまう。

 きっと、本当はあたしのことなどどうでも良いのだろう。


 ほっとする。


 こうしたことがあるたび、あたしはいつ「雪、今夜俺の寝所に忍んで来い」と命じられるかと気が気ではなかった。

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