第六話
食事は、使用人も旦那様と同じものを同じ食卓で取るらしい。
あたしには、それはとても意外なことだった。
口にしている食べ物の贅沢さに恐怖さえ覚えた。
召使達は皆それを当たり前と受けとっている様子で、特に緊張する様子もなく語り合う。
佐和子さんも食事を口に運びながら言う。
「まさか、初めての旦那様のお呼びかけに成功するとは思わなかったわ」
他の面々にもずいぶんとからかわれる。
「これなら佐和子が呼ぶよりも早いくらいかもしれないな」
「では、これから旦那様のお呼びかけ役は雪に任せようか」
「冗談だろう」
旦那様が不機嫌そうに答える。
「俺がいくら邪魔だと言っても聞きもしない。食事が冷めるだの、体に悪いだのといつまでもごねてきよる! 仕事が手につかんではないか!」
「も、申し訳ありませんでした、旦那様……その」
「いいえ、雪さんは謝らなくていいのよ」
あたしが申し訳なくて縮こまると、佐和子さんが言った。
「旦那様は、仕事が忙しくなるといくらお呼びかけしても動こうとされないから。そのくらい強引でもちょうどいいくらいだわ」
「でも……」
「……貴様ら」
旦那様は不機嫌そうに皆を睨む。
睨みながらも、手だけは忙しく動かしている。
どうやらゆっくりと食事を楽しむ方ではないようだ。
「俺が来るまで自分達が飯にありつけないからと、そんなことを」
「違いますわ! お体にも障りますし、先日も新庄がサンドイッチを用意しましたのに、いつのまにか書斎で
全員が笑った。
「やかましい! 食おうと思ったときにはすでに干物になっていたんだから仕方ないだろう。それに、俺はちゃんとあの後全部食ったぞ」
「えっ! 召し上がられたのですか!」
「旦那様……そういう時は、私どもに作り直すように仰っていただきませんと」
「ならあの干物は誰が食うんだ。まだ食えるのに勿体無い」
旦那様は怒ったように言う。
あたしはといえば、この食卓風景にひどく驚かされていた。
まるで家長と子供達のような、そんな光景に思えた。
▽
食事が終わると、佐和子さんが簡単にあたしの紹介をしてくれた。
なんでも、最近一人の女中が辞めてしまったとのことで、あたしはその補充ということだ。
それが終わると、旦那様は何も言わずに食堂を後にされた。
「驚いたでしょう、雪さん」
佐和子さんが言う。
「はい、驚きました。いつもこうなんですか?」
「そうね。旦那様は、全員が揃わないと食事を取ることを許して下さらないの」
「なんと……」
「そして、全ての使用人が旦那様と同じ物を食べるように命じられている」
一人で食事されるのがお嫌いなのだろうか。
そもそも、ご家族はいらっしゃらないのだろうか……何も聞かされていないので、これからの立ち回りには苦労しそうだ。
「なぜそんなことを」
「旦那様は、見てのとおり変人でいらっしゃるから。でも、良いことばかりではないわよ」
佐和子さんは少し困ったように苦笑する。
言われなくとも、あの恐ろしげな旦那様と一緒の食卓は緊張する。
「なぜですか?」
「旦那様は忙しくなると、食事をなかなかお取りにならないから」
「お仕事熱心なのでしょうか」
「それにしても度と言うものがあるわ」
佐和子さんは何かを思い出したように顔をしかめた。
「ひどいときには丸三日も何も口にしないし、眠りもしない。もちろんお風呂にも入らない。そんなときには、あたしたちも空腹でふらふら」
それは確かに度が過ぎている。
「とにかく、今はしばらくはあたしに付いて仕事を覚えなさい」
「はい」
「一番大切なのは、いつも聞き耳を立てておくこと」
「聞き耳ですか」
「そう。旦那様は、何かご用事を思いつかれたら必ず名前を呼んで命令される。だからもし自分の名前を呼ばれたときには、どんなに遠くにいても『はい、ただいま』と返事しなければならない」
「聞こえない場所もあるのでは」
この屋敷の広さでは、離れていれば声は聞こえないだろう。
「その場合、返事がないことを他の使用人が気付くから、代わりに返事して、あなたを探す――あなたも、他の使用人が呼ばれて返事がなければ、とにかく大声で『はい、ただいま』と答えること」
「はい」
あたしはここで、ずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「あの、旦那様は耳が遠くていらっしゃるのでしょうか?」
「……ああ」
佐和子さんは頷いて、
「耳は遠くない」
「では……」
「旦那様は何かに夢中になると、周りの声が聞こえなくなるの。あと、邪魔をされたくない時は『聞こえない』と仰って、先送りにされることがよくあるわ」
「なるほど……」
ご自身の声も大きいので、お耳が遠いのかと思ってしまったが、どうやら違うようだ。
「じゃあ、まずは普段の仕事を覚えていきましょう。旦那様から特にご要望がないかぎりは、屋敷中をいつも綺麗にしておくために一日中忙しく働くことになるわ」
特別なご要望。
きっとそれは、おそらく「女中」としての仕事ではないのだろう。
▽
そして、あたしはその日夜遅くまで仕事をし、他の女中達と一緒に部屋へ戻った。
今日は旦那様のお求めは無いようだ。
あたしはほっとして、昨夜眠れなかった分、ぐっすりと眠った。
こうしてあたしの鳴滝家での一日が終わった。
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