シュレッダー

未来屋 環

シュレッダーと向き合う彼女、彼女を静かに眺める俺。

 がりがりがり、と紙を食む音が鈍く響いた。



 『シュレッダー』



 デスクから顔を上げると、彼女のぴんと伸びた背中が視界に入る。


 ――また、やってるのか。


 声にならない声で、呟く。

 勿論聞こえるわけもないので、そのすらりとした後ろ姿は、黙々と紙の束を塵の海へと変えていく一方だった。



「やなことがあると、モノにあたりたくなるじゃない」


 あれは初めてふたりで飲みに行った時だった。

 グラスビールを煽り、雀の涙ほどの先付に手を伸ばしながら、唐突に彼女は言ったのだ。


「……まぁね。怒りの矛先を何かに向けて解消するのは、人のさがだ」

「でも、見苦しい」


 グラスビールは半分ほど残っている。

 短い前髪が小さく揺れた。


「――見苦しくなりたくないのよ、私は。だから、もう我慢できなくなったら、シュレッダーするの。ひたすら。人のモノまで集めて回って、やるわけ」

「病的だな」

「悪い?」


 彼女はもう一度グラスに口をつける。

 しかし、飲むことはせずに、ぽつりと一言呟いた。


「見苦しいのは、いや」



 その時の寂しげな表情が印象的で、それから彼女がシュレッダーの前に立つ度に、視線を送るようになってしまった。

 ぴたりとその手が止まる。

 裂く紙がなくなってしまったのだろうか。

 しかし、他に書類を集めに行くでもなく、彼女はそのまま立ち尽くしていた。


 ――仕方ないな。


 明日の会議資料を持ち、俺は席を立った。

 つかつかとその小さい背中に近寄り、紙の束で肩を叩く。


「ほら」


 びくりとわななき、振り返った瞳には、うすく涙の膜が張っていて――思わず一瞬どきりとする。


「これ、もういらないから。思い切りやってくれない?」


 胸の動悸を隠すように、早口で伝える。

 エコの神様が見ていたら怒るだろうが、なに、かまいやしない。

 これで少しでも彼女の気が晴れるなら、きっとこの紙達はその為に生まれてきたのだ。


「――ありがと」


 小さい声で呟いて、彼女は紙の束を受け取った。

 涙目を悟られたくないのか、瞳を伏せ、決して俺と目を合わせようとしない。


 ああ。

 その細い肢体からだには、この日常で戦っていく為に築き上げてきた、頑ななプライドという名の芯が通っているのだ。


 それを、とても愛しく、美しいと思った。


「見苦しくなんて、ないよ」


 彼女が驚いたように俺を見る。

 やっと、こっちを見たな。


 今晩はどの店に誘ってやろうか、俺は思いを巡らせながら、席に戻った。



(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シュレッダー 未来屋 環 @tmk-mikuriya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ