彼女と友達でいられた、最後の夏

畔柳小凪

本編

 ――わたし達が1番の友達でいられるのは今年が最後なんだし、一緒に夏祭りに行かない?


 幼馴染の松原千夏がそんなことを言ってきたのは、夏祭りを目前に控えた1週間前のことだった。


 松原千夏。家がお隣同士で物心つく前からいつも一緒にいた、俺にとって誰よりも心を許せる、一番の親友。千夏は男子の俺とは性別の違う女の子だけど、俺は千夏のことを女の子として見たことはなかった。そしてそれはきっと千夏の方もそう。俺と千夏は性別とかそんなことを超えた、もっと深いところで繋がってる大切な友達。そう、お互いに思っていた。


 そんな俺達だけど、いつまでも親友でいられるわけじゃないと言うことは年を重ねていくうちに嫌が応でも受け入れざるを得なかった。俺と千夏はそれぞれ、日本を代表する財閥の御曹司と令嬢で、生まれた頃から進むべきレールが親によってきめられていた。それはもう進学先から、結婚相手まで。


 そして高校を卒業して満18歳を迎える来年。俺達はそれぞれ、親が決めた許嫁相手と結婚することになっていた。そうなると、俺達はもう、『一番』の『友達』ではいられなくなる。だから、高校3年生のこの夏は千夏が言う通り俺達が『友達でいられる最後の夏』だった。そんな大親友からの提案に、俺は一も二もなく頷いた。


 そして迎えた7月7日の夕暮れ時、夏祭り当日。待ち合わせ場所の最寄駅までやってくると。


「あっ。しゅうくん! やっほー」


 俺に気づいたらしい千夏がぱっと顔を明るくして、子供のように大きく手を振ってくる。そんな千夏は乳白色の生地に赤紫・青紫・黄など色とりどりの朝顔があしらわれた浴衣に身を包んでいて、大和撫子の千夏によく似合っていた。そんな気合いを入れてきたような千夏に対していつもの格好できてしまった俺は、少し恥ずかしくなる。


「……なんかごめん。いつもの格好で来ちゃって」


 俺がついそう謝ると、千夏は不思議なものでも見るかのような表情で俺のことを覗き込んでくる。


「なんで謝るの? わたし達、別に付き合ってるわけじゃないんだし、今日は『友達』として秋くんを誘ったんだよ。だから別にお洒落なんてして欲しいと思わないし、へんに気を遣われるのは逆に嫌だな。だって、へんに気を遣われたら気兼ねない友達じゃなくって、彼氏彼女みたいじゃん」


 千夏にそう言ってもらえたおかげで俺の心は少し軽くなる。


「…‥そうだな、そうだよな」


「そうだよ! じゃ、行こっか」


 そう言って俺達は隣り合わせで歩き出す。その手は当然繋がれたりなんてしない。この『恋人』ではない幼馴染との距離感が、俺は大好きだった。




「それにしても、今年は秋くんがフリーで良かったよ。去年の夏祭りは彼女さんがいたから声かけづらかったんだよね〜」


 様々な出店に目を輝かせながらも千夏はそうやって痛いところをついてくる。


「1ヶ月前に前に最後の彼女と別れたんだよね? なんで別れたんだっけ」


「……お互いに大学受験もあるし、それに俺には許嫁がいてどんなに長くても俺達の関係は高校卒業までだ、ってわかってたから、ここら辺が潮時だろうって2人で話してなったんだ。別に愛想を尽かされて一方的にフラれた、ってわけじゃない」


「そっか、それは良かった……けど、ちょっと、寂しいね」


「なんで千夏が寂しがるんだよ? 」


 俺がそう尋ねると、千夏は何故か頬を膨らませてみせる。


「こう見えてもわたし、『一番の友人キャラ』として秋くんに恋愛相談されてたの、割と好きだったんだよ。一途に恋をしてる秋くんは弟みたいに可愛くって、心の底から友達として秋くん達のことを応援してた。告白するかどうか迷ってる時から相談乗ってたから、秋くんと彼女さんが付き合いはじめた時、わたしだって自分のことみたいに嬉しかったし、秋くんとわたしの2人きりの時間が減るのはちょっぴり寂しかったけど、それでも2人にはいつまでも幸せでいてほしかった」


 千夏の独白に俺は驚いていた。確かに千夏には俺にとって1番頼りになる親友で、恋愛相談にだって何度乗ってもらったかわからない。だけど、千夏がそこまで俺の恋を応援してくれてるなんて考えたこともなかった。


「でも、いくら応援したところで秋くんは恋愛結婚なんて許されないんだよね。秋くんには許嫁がいるから。――って、それはわたしも同じか」


 遠いところを見るように目を細める千夏。そう、俺達には許嫁がいるからどんなに願ったところで『恋愛』はあくまで『学生のお遊び』で止まってしまう。いくら愛し合ったところでその相手と永遠に結ばれることはない。


 そのことは最初からわかっていた。そういう家系に生まれてしまったのだと、もうずっと前に受け入れたはずだった。それでも俺は、人生で一度も恋愛を経験せずに親に決められた相手と結婚することは嫌だった。だから高校生の最後の最後のタイミングで本当の『恋愛』ができたことは良かったと思ってる。でも、大好きだった彼女と別れるのは身を引きちぎられるような思いがした。だって俺達は、別れるその瞬間まで愛し合っていたのだから。


「そ、そういや千夏って高校生になっても全く恋愛っ気なかったよな。許嫁と結婚せざるをえなくなる前に恋愛してみたいとか、千夏は思わなかったのか? 」


 どんよりとした空気が息苦しくなった俺は話題を変えようと努めて明るい声で言ってみる。すると、千夏は金魚みたいに頬を赤らめた。


「しゅ、秋くん! それ、セクハラだよぉ! 」


「俺は根掘り葉掘り聞かれたのに!? 理不尽だ、男女差別反対! 」


 大袈裟に俺がそう言うと千夏はぷっ、と小さく吹き出す。


「あはは。でも確かにわたし、誰かとお付き合いするなんて考えたことなかったかも。最初っからフリーでいられるのは18歳まで、ってわかってたから、その限られた時間を少しでも長く、秋くんの『友人キャラ』っていうポジションに捧げたいと思ったんだ。友人キャラとして秋くんの恋の悩みに一緒に悩んであげたかったし、そのことに時間を割こうと思うと、自分が恋愛なんかにうつつを抜かしてる暇なんてないし。時間は有限なんだよ、秋くん! 」


「千夏、なんというかお前って……残念美人だよな」


「なっ! ここまで尽くしてあげてる美少女幼馴染に対する扱いが酷くない!?」


 そう言い合いながらも俺と千夏は、どちらともなく爆笑してしまう。俺達の友情に辛気臭いのは似合わない。やっぱり千夏とはバカなことで笑い合っている関係でいるのが心地いい。そんなことを思った。


「あっ、金魚掬いがある! 秋くんは覚えてるかな。子供の頃、どっちが早く金魚を掬えるか競争したの」


 千夏のその言葉に俺は現実に引き戻される。千夏が指差す方には昔ながらの金魚掬いの屋台があった。


「あの時は確かわたしの圧勝だったっけ」


 懐かしそうにそう語る千夏。そんな千夏に俺は危うく頷きかけて、ギリギリのところで引っ掛かる。


「なに事実を捻じ曲げてる。あの時は俺の圧勝だっただろ」


「ん? 秋くんの方こそ何言ってるの? 不器用な秋くんにわたしが金魚掬いで負けるわけないじゃん」


「…‥」


「……」


 沈黙のまま、互いに見つめ合う。そして。


「秋くん、今からまた勝負して白黒はっきりつけない? 」


 冷たい口調で宣戦布告する千夏に、俺は不敵に笑って答える。


「望むところだ」




 それから20分後。数十本のポイの残骸を脇に積んだ末。


「ほら言った通りだろ。俺の方がやっぱり金魚掬いが上手い」


 そう言って高らかに金魚の入ったビニール袋を掲げる俺のことを千夏は「ぐぬぬ……」と見上げてくる。因みにこの瞬間まで俺と千夏はお互いに39本のポイを破いていて、いよいよ後がなくなった40本目でポイを破かずに先に金魚を掬いあげたのは千夏ではなく俺だった。そこまで勝負に固執する(しかもどっちもド下手)な俺達のことを金魚屋のおじちゃん含めて白い目で見てるような気もするが、気にしたら負けな気がするので気にしないようにする。


「全く。千夏は不器用だし料理も料理という名の凶器を生み出してしまうほど料理が苦手だし、そんな千夏と結婚する男は大変そうだな」


「しゅ、秋くんだって家事とか全然手伝ってくれなそうだし、手伝ったら手伝ったで逆に仕事を増やしそうだし、ほんと秋くんのお嫁さんになる女の子は大変そうだわ〜」


 交錯する俺と千夏の視線。それから。


 俺達はまた、どちらともなくぷっ、と吹き出してしまう。一番の友達同士だからこそ、こう言ったことが言い合える。そんな千夏との距離感が俺はやっぱり好きだ。いつまでもこのままでいられればいいのに。そんな、もう何度も頭をよぎってはずっと諦め続けてきたことをまた考えていた時だった。


「おやおや、これはこれは九条家のお坊ちゃんに西宮家のお嬢ちゃんではないですか。2人で仲良くお祭りデートですか? まあそうですよね。だって2人はお似合いの許嫁同士なんですから」


 聞き覚えのある老紳士の声に気付いていて、これまで興奮気味だった俺の心は一気に冷めて体が硬直する。振り向くと、そこにいたのは俺の父や千夏の父親の友人にして日本を代表する第三の財閥・近衛家の当主のおじさんだった。



※※※※※



 高校を卒業したら結婚することになっている相手。


 物心つく前に決められていた許嫁。


 それは全て、千夏のことだ。そして千夏にとっての許嫁もまた、当然俺のことだった。物心つく前から俺達はずっと一緒にいた、と言った。それはなんのことはない。日本を代表する二大財閥・九条家と西宮の子同士で結婚させてお互いにより強固な関係を築こうという大人達の策略により、許嫁とされた俺達が、物心つく前から常にそばに居させられたというだけのことだった。


 大人達は俺と千夏をくっつけることで、親同士によってきめられた結婚相手だと言っても俺と千夏の間に本当の恋愛感情を芽生えさせようとしていたんだと思う。そんな大人達の魂胆とは裏腹に、常に一緒にいた俺と千夏の間に芽生えた感情――それは、男女を超えた友情関係だった。そしてそんな感情は次第に肥大化し、お互いがお互いのことを異性としてみたくない、結婚相手としてみたくないと思うようになっていった。なぜなら、友達としての今の関係があまりにも心地よかったから。


 でも俺も千夏も、そんなことを親に言う勇気はなかった。俺達の『許嫁相手と結婚したくない』という我儘でどれだけ多くの人に迷惑をかけるかなんてことは、容易に想像がついたから。それでも、俺達は残り僅かな『婚約者』ではなく『友達』として過ごせる2人の時間を大切にしたかった。だから千夏も今回、『友達として』夏祭りに誘ってくれたのに……俺達のことを『許嫁同士』と思ってる人に見られるなんて最悪だ。そんな人の前で俺達は『友達同士』のままではいられない。振りだとしても、恋人の振りをしなくちゃ。


 そう頭ではわかっているはずだった。それでも俺はそのための一歩が踏み出せなかった。だってこれは、千夏が『最後のチャンス』だからって誘ってくれた、俺達が友達同士でいられる最後の夏の思い出になるはずのイベントなんだ。それなのに友達じゃなくてお互いに『恋愛感情』がないくせに恋人同士の振りをするなんて……そんなの受け入れ難かったし、悔しかった。そう思って、俺がぎゅっと拳を握りしめていると……。


 不意に俺の唇を柔らかい感触が奪う。


 ――何が起こってるんだ?


 溶けかけた脳で頭が働かない。そして2分くらい経ってようやく状況が把握できるようになる。そう、あろうことが千夏が俺の唇を奪ったのだ。その理由はすぐに見当がついた。俺達のことを許嫁だと思っている大人に俺達が恋人同士だと思わせて余計なトラブルを避けるため。そして、早く目の前の老紳士を俺達の前から立ち去らせるために。


 そして、そんな千夏の思い切った接吻は期待通りの効果を発揮した。


「今の若い子は熱々ですなぁ。――そして、せっかくのデートを私みたいなおじさんが邪魔するのは、あまりに無粋というものでしょう」


 そう言って近衛財閥の老紳士は俺達に軽く礼をして去っていく。彼の姿が完全に視界から消えると。千夏はようやく俺から唇を離す。


 長時間にわたる接吻を終えた千夏の顔は惚けたようで、口元から垂れた唾液が屋台のネオンの光を反射し、妙に艶かしかった。


「あはは、せっかく友達として最後に過ごせる夏祭りだと思ったのに……『恋人』として最初の夏祭りになっちゃったね」


 掠れたような笑い声を漏らす千夏。でもそんな千夏の目元には今にも零れ落ちそうなほど涙が溜まっていた。


「べ、別に秋くんのことが嫌いなわけじゃないの。むしろ大好きだよ。でも、それはあくまで『友達』として。わたしじゃ大好きな秋くんを幸せにできる自信がないし、秋くんのことを男の子としてしか見れなくなるのが怖い。秋くんとはいつまでも友達のままでいたいから。幼馴染で、大親友としての秋くんが、わたしは大好きだから……」


 それは俺も同じだった。幼馴染で、一番の友達である千夏のことが大好きで、心から幸せになって欲しい。けれど、彼女の隣に相応しいのは俺じゃない。もっと違う人と、花嫁として幸福に満ち足りた表情をした千夏のことを俺は結婚式の友人席で、祝福したかった。間違っても友達でいたい相手と結婚せざるを得なくて泣きそうになっている彼女の顔なんて見たくなかった。


「それは俺も同じだよ。千夏のことを女としてしか見れなくなるのが怖い。お前とはいつまでも気兼ねなく話して、なんでも相談に乗ってもらえる間柄でいたかった」


 そう優しい口調で言いながら俺は友達として、、、、、優しく千夏のことを抱き締める。


「秋くん……」


 千夏は俺の胸に顔をうずめて、声を押し殺しながら泣き始める。と、その時。


 七夕の空を満面の花火が咲き誇り、人々の注目が一斉に空に集まる。火薬の音と人々の歓声に、千夏の嗚咽はかき消されて俺達に注目してる人なんて誰もいない。



 それから人々が花火に魅せられている間中。


 賑わう人々と対照的に、『友達でいられなくなった夏』を嘆いた小さな女の子は、俺の腕の中で泣き続けた。

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