4話
緊張する。
青いネクタイの二年生だらけの教室の前を通過し、見られるたびに声をかけられるんじゃないかとドキドキしながら私は生徒会室を目指した。
校舎の三階が一年生、二階が二年生、一階が三年生となっている作りである以上、自分の教室以外に行く用事がなければ他の学年と会うことは無い。
唯一あるとしたら二階にある職員室がそれにあたるんだろうけれど、まさか初日から生徒会室に行くことになろうとは。
もちろん「一年のアンタがなんで二階にいるよの?」なんて言われることは無く、あいさつするとどの先輩方も優雅に返してくれる。
それでも天堂先輩たちトリニティ・ビューティーのすごさを目の当たりにしてから、上級生は全部すごい存在に見えてしまい萎縮しちゃうのもの本当だ。
三階からの階段を下りて職員室の前を通り、二年生のクラスの前を通過すると今度は渡り廊下が見えてくる。生徒会室はその別棟にある。
別棟も校舎と同じく一階から三階の造りになっていてその二階に生徒会室があるわけだ。
もちろん一度校舎を出てから入りなおすという手段もあって、それだと緊張することもないんだけれどすごく大変そうなので私は頑張ってこの道を歩いてきた。えらいぞ、私!
生徒会室というプレートがついている扉を前にして私は緊張した。
歩いてきた方からは廊下を掃除する音や、忙しく職員室を出入りする先生の足跡。そして早くも校舎の外からは運動部の声も聞こえてきた。
この扉の奥にいるのはあのトリニティ・ビューティー。
朝、天堂先輩に会った時はそんなにすごい人だって知らなかったけれど今となってはまるで有名人の楽屋にあいさつに行く気分だ。
帰りたい……そう思ったけれど昼間の事を思い出すと大きく深呼吸してノックをする。
「どうぞ」
と天堂先輩の声がした。
ドキリと動く心臓を胸の上から二、三度なでると「失礼します!」と自分でもびっくりするぐらい大きな声が出た。
教室の引き扉とは違う木製の扉。ドアノブをゆっくり回して扉を押すとピリッとした空気が漏れ出てくる。
天堂先輩と目が合って、軽くお辞儀をしながら扉を閉める。
わっ、七楽先輩と桃鳳先輩もいる。そりゃ生徒会の役員だし生徒会室だから当たり前か。
お昼に私の教室に来たのは天堂先輩だけだったから、どこか気持ちの中では一対一っていう思い込みがあった。うー、初日から大変なことになってきたなぁ。
視界に入った部屋はけっこう広かった。十畳から十二畳くらいかな。
入って正面には白いクロスがかかった細長いテーブルと椅子が数脚。もちろんテーブルを挟んで向こう側には天堂先輩を中心に二人の先輩が座っている。
ガラス格子の出窓からは日が差し込んでいて、その陽光が三人をさらに際立たせている。
「織原さん、座って頂戴」
天堂先輩が視線で示したのは、彼女のちょうど対面に空いている椅子。
そこに腰を下ろすと改めて三人と向き合うことになった。受験の面接で何人かの先生が目の前にいたけれど、あれだけ噂になっているトリニティ・ビューティーの人たちが前だとあの時以上の緊張だ。
何も言い出せないでいると黒髪の先輩が「緊張しないで。今お茶持ってくるわね」とほほ笑んで立ち上がる。
「そんな、お気遣いなく!」
役員の人にお茶を淹れさせてしまうことに気づいてそうさけんだけれど「お呼び立てしたのはこちらですから。気になさらないで」と流し台に向かって歩いてく。
うわぁ、お人形さんみたいに綺麗な人。この人が《リベルタのビスクドール》って呼ばれてる七楽先輩なんだ。
部屋に入ってきたときは気づかなかったけれど流し台は扉のすぐ横にあった。
ポットにお湯が沸いていたこともあって、気まずい沈黙はそれほど長く続かなかったのはありがたい。
綺麗なティーカップが目の前に置かれると七楽先輩が「お砂糖とミルクは?」と聞いてくるので「このままでいいです」と丁重にお断りする。
本当はミルクティーが好きなんだけれど入学初日にそこまで厚かましくする度胸は持ち合わせていないのだ。
御三方がカップに口をつけ始めるので自分もそれに倣う。うーん、正直ストレートの紅茶なんてほとんど飲まないから味なんてわかんないよー。
「すごく美味しいです」
「そう、よかった。おかわりもしていいからね」
ふわりと微笑む黒髪のお人形七楽先輩いいひとだー!
「それで本題なのだけれど」
と、表情を変えずに真剣な眼差しで私を見る天童先輩に対して今度は桃鳳(とうほう)先輩が「あなたっていつもそうやって急ぐわね。……まぁ私も創作の時間が大切だから用事はさっさと済ませたいところだけど」とこちらを向く。
桃鳳先輩も天堂先輩寄りかー。創作ってなんだろ?
「お昼に話したことは覚えているわね?」
「はい。生徒会への入会のことですよね」
「覚えてくれていてありがとう。単刀直入に言ってあなたを生徒会のメンバーにしたいと思っているわ。ここにいる二人も了承済みよ。ただ役員は二年になってからだから見習い補佐って感じではあるけれど」
「私が……ですか!?」
「そうよ。嫌かしら?」
「いえ……」
嫌とかどうこうよりも入学初日の一年生に判断できる内容じゃないよ~。
「大丈夫。難しいことはなにも無いわ。書類の整理をお願いしたり、言ったことをしてくれればそれで充分に助かるわ。週の半分ぐらいでどう? ああ、それと――」
「ねえ、紅礼奈。そんな矢継ぎ早に話しても。織原さん困っているわよ?」
と七楽先輩が助け船を出すと桃鳳先輩も「だからそういうところよ」と言う。
「え、ええと……どうして私なんでしょうか?」
そこでようやくまともに喋れた。
「……そうね。一言でいうならあなたが優秀だからよ。十年ぶりの外部受験生で成績も優秀。それに一番大切なのはリベルタのエスカレーター組ではないということ」
「リベルタじゃないことが大切?」
「そう。確かにこの学園には優秀な子たちがたくさんいるわ。……でもどこか檻の中にいるような気がするのよ」
そう話し出した天堂先輩は初めて少しだけ陰りのようなものを見せる。それに森野さんもお昼に似たようなことを話していた。
「なんていうのかしら。勝てる正解の上を歩ているというかそんな気がするのよね。それは間違っていないと思うわ。わたくしも経営をしていているから資本主義での勝利は大切よ。でも学園生活にはもっと違う風が入ってもいいと思うの」
天堂先輩がそこまで言い切ると二人もそれには同意するというように頷いた。
そっか。ちょっとずつ見えて来たぞ。
リベルタは幼稚舎から優秀な子が集まっているけれどその分変化もないから、ぽっと入学してきた私が何かの起爆剤になるかもと考えてるんだ。
そんなに上手くいくのかな? ……それに私には別の目的もある。
「確かに仰るとおりかもしれません。ですがすみません。そのお話には乗れません」
「あら。どうして? 一年生の時から生徒会に関われば学園のことが見えてくるわ。外から来たあなたがリベルタのことを知るにはいい機会だと思うわよ? それに先生からの評価も上がって進学にも有利になるわ」
うっ、それは大きい……! いや、でも生徒会に入らなくてもここでしっかりとした成績を取れたらそれで充分。
「それでもすみません。私、放課後にはやりたいことがあるんです」
「それは生徒会と両立できないの?」
「私、アルバイトがしたいんです」
「アルバイト?」
「はい。校則では社会勉強のためと禁止されていません。私の家は裕福とは言えません。お父さんが勤めている会社も業績が下がってきてお母さんもパートに出ています。だから私はアルバイトで両親の役に立って、将来はいい学校、いい会社に入るのが夢なんです。……リベルタにくればその両方が叶うと思って必死に勉強してきたんです」
たぶんこの人たちにはわからないことかもしれない。それでも私は成すべきことを初日から見失うわけにはいかないんだ。お金と学歴を稼ぐ。これだけは見失っちゃだめだ。
真剣に天堂先輩の瞳を見つめると、
「あなたの意思は固いのね」
「はい」
天堂先輩は冷めてきた紅茶を一口含む。
「一つだけ確認させてもらっていいかしら?」
「なんでしょう?」
「生徒会を手伝うということが嫌というのではなく、アルバイトの時間が無くなってしまうからということが問題なのね?」
「それは、はい。」
確かに学園に馴染んでしまえば勉強やアルバイトにも支障が出づらくなる。そういう意味では生徒会の仕事を知るというのはいいことだけど。
……はっ!? まさか生徒会が終わってから夜にバイトしたら? なんて無茶を言ってくるんじゃ。それじゃあ今度は勉強が出来ないよ~。
「大丈夫よ。あなたが思っているようなことはしないわ。……まったくわたくしのことを何だと思っているのかしら」
「顔に出てましたか?」
「出ていたわよ。生徒会が終わってからアルバイトをしたら? ってわたくしが言うと思ったのでしょう?」
「……失礼いたしました」
「だからわたくしがあなたを雇うわ」
「はい?」
どういうこと? 今私を雇うって言った!?
「聞こえなかったかしら。わたくしがあなたの放課後を買うって言っているの。生徒会の仕事や……多少プライベートなことにも付き合ってもらうわ。契約時間は放課後から……そうね。長くても19時ぐらい。一日十万円でどうかしら?」
「ええええええっ!?」
「ちょっとそんな大きな声を出さないでくれる?」
「す、すみません。え、でも十万円ってそんな!」
「問題ないわ。わたくしは経営者もやっているの。お金のことのは気にしないで」
「だって十万円ですよ!」
わずか三時間でそんな大金受け取れない。
「もしかして少なかったかしら」
「お・お・す・ぎ・で・す! そんなに貰えませんよ」
いや欲しいけど。欲しいけどほいほいそんな大金貰ってたらそれこそ人生が狂いそうだ。
仮に月から金まで十万円を貰ったら平日だけで五十万。一ヶ月で二百万円だ。
毎月貰っているお小遣いでもありがたいのに、これじゃあ金銭感覚がおかしくなっちゃうよ~。
織原葵、将来のためにリベルタに入学するも毎月楽に数百万で人生崩壊! なんて嫌すぎる。
「だったらいくらならいいのよ」
天堂先輩はため息をつきめんどくさそうにそう言った。やば、機嫌悪くさせちゃったかな。
半分の五万。……いや、まてまてそれでもヤバい。朝に十万円が振り込まれてるからすでに金銭感覚がおかしくなってる!?
三万、いや……ここは。
「い、一万円で! そ、それならお受けします!」
「そんなんでいいの?」
「はい! むしろそれでやらせてください!」
それでも十分大金だよ! 仮に十六時から十九時まで拘束されても時給にしたら三千円以上だ。家に帰ってごはんやお風呂を済ませても勉強する時間も寝る時間もしっかり確保できる。
めっちゃホワイト! そして初日にしてアルバイト問題は解決。あとは金銭感覚が狂わないように気を付けないと。
「それじゃあこれにサインして」
天堂先輩は学生鞄からタブレットとタッチペンを取り出し渡してくる。
そこには《雇用契約書》と書かれていた。
おおよその拘束時間(変動あり)や業務内容。入金先は今朝作った口座の番号が書いてある。他には難しい文章がつらつらと書いてあったがおおむね理解は出来た。不利益になることは――なさそう。
私は署名欄にタッチペンでサインをすると確認ボタンをタップして彼女に戻す。
「ありがとう。それじゃあ改めてよろしくね。織原さん。生徒会の業務は明日からでいいので今日は帰っていいわよ」
そう言われてはいわかりました、と年下の自分から部屋を後にするのも気が引けるな……なんて思っているとずっとだまって聞いていた桃鳳(とうほう)先輩が、
「終わったみたいね。じゃあ私は工房に戻るわ。明日からこっちと行き来したりでこれない日もあるから――よろしくね、織原さん」
「は、はい。よろしくお願いします!」
途中から視線が私に向けられ、桃鳳先輩は要件だけ伝えるとカップを片付けて出ていった。
「それでは私も失礼します」
「紅礼奈のこと、よろしくお願いするわね。葵さん」
「調(しらべ)、そういうことは言わないでよ」
先輩たちのじゃれ合い? を見ながら私もカップを洗って水切りに伏せて置くと「失礼しました」と一言添えて廊下へ出る。
まず最初に多くため息が出た。
ああー、疲れたよー。
ヘリとの遭遇。生徒会への勧誘。そして高時給のアルバイト。
入学初日にしては色んな事が起きすぎで脳の処理が追い付かない。明日から本格的に授業と生徒会の仕事が始まる。
とにかく今日はしっかり休まないと。
そんなことをぐるぐると考えながら家に帰るとすぐにベッドに倒れ込む。
お母さんが夕飯が出来たと呼んでくれるまで私は眠りに落ちていた。
31回のビリビリ的ないつものやつのメモ書き あお @Thanatos_ao
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