3話

 一年A組。ここが一年間お世話になる教室だ。

 外観は近代建築で博物館や美術館をイメージさせる造りの学校なので、中も見たことのないような造りなのかな……とドキドキしていたけど意外と今までみてきた教室と一緒だった。

 その方が庶民の私にとっては馴染みやすいのでありがたいんだけど。

 十時ごろに入学式が終わって教室に入る。

 机の上には名札が貼ってあり織原の文字を見つけて椅子に座る。場所は廊下側の一番後ろの席。うーん、冬はちょっと寒そうだな。

 配られた予定表を見るとこのあと簡単なホームルームが行われて、授業→昼休み→午後の授業という流れになっている。

 リベルタは一流の女学園。初日はホームルームだけで解散ということはなくさっそく授業が詰め込まれている。教科書なんかは明日以降順次準備されていくのでプリントとかで対応になるのかな?

 そんなことを考えていると周囲の違和感に気が付いた。

 クラスのみんなが私を見てる?

 露骨に見ているというわけじゃない。それでも雑談をしている子たちや歩いて席に座る瞬間、視線をこちらに向ける子もいる。

 目で見ているというよりは、この場の空気が私に注目しているという感じだ。

 すると窓側の席に座っていた一人の子が私の席まで歩いてきて、

「こんにちは。あなたが織原葵さん?」

 と声をかけてきた。

 黒髪を両サイドで三つ編みにしておさげにしていて、メガネをかけた可愛らしい女の子だ。

 今度こそみんなの視線が私たちに集まる。

「は、はい。そうですけど……」

「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。って言われても外部受験生の織原さんは少し不安よね。私は森野優衣(もりのゆい)。幼稚舎からのエスカレーター組で他のみんなもそうね。なにせ今年の外部受験生は織原さんただ一人。それに十年ぶりって聞くもの。みんなあなたに興味があるんだと思うわ」

 一方的に話してくるこの子に気圧されながら、それでも誰も知らない環境で話しかけてくれたことは素直に嬉しい。なにせ高校生活は勉強とバイト漬けの三年間を送る予定だったから森野さんとはぜひ仲良くなっておきたい。

「改めて、織原葵です。よろしくお願いします」

「ふふ。織原さんは真面目なのね」

 クスッといたずらをした子供がするような笑みを見せると、空いている隣の席に腰を下ろした。そして周囲を見渡すと不思議と視線の圧がふっと消えた。それは「これから織原さんと個人的にお話がしたいから」という合図だったんだろう。

 私にはわからないリベルタの空気感というやつなのかもしれない。

 周囲の注目が薄れると、少し小声になった森野さんは、

「ねえ織原さん。差し支えなければ今朝のこと教えてくれない?」

「今朝の事?」

「そうそう! あなた天堂様とお話していたでしょ? 実はあの場所に私もいて遠くから見てたのよ」

 興奮気味に話す彼女はスマホを取り出すと「私も十万円、入金されたんだ」と銀行アプリを見せてくる。

 あの時は突然のことで周りをみている暇なんてなかったけど、森野さんも十万円の人だったんだ。さっそく共通の話題が出来てラッキーだ。

 私もスマホを取り出して、

「そうなんです。初めてのことでびっくりしちゃいました。あれってよくあることなんですか?」

「もうリベルタの恒例行事ね。天堂様は天堂グループの跡取り娘で色んな事業もやっているわ。その辺の社会人よりお忙しくされていて、地上の交通機関だとスケジュールに遅れが出るみたいなのよね。噂によると横断歩道や信号機を見たことが無いらしいわ」

 さすがにそれは尾ひれが付きすぎだろうとは思うけれど、確かにみんな馴れっこだったとは思った。

「お話するとお優しい方なんだけれど住む世界が違いすぎるわ。だから天堂様に声をかけられた織原さんがちょっと羨ましくて声をかけてしまったの。期待しているわって言われたんでしょ? 何かあったのかと思ってしまって。あっ、ごめんなさい。偶然聞こえてしまって」

「あ、いいんです」

「よかった。それでご入学前にもう天堂様とコンタクトがあったとか?」

「いえ」

 今日の朝初めて会いました。

「じゃあ生徒会に興味がおありとか?」

「それもないです……かね」

 勘弁して~。放課後はアルバイトでお金を稼ぎたいの!

「そうだったんですね。早とちりみたいでごめんなさいね。……それでもすごいですわ。天堂様に声をかけて頂けるなんてきっといい日になりますわ」

「やっぱり天堂先輩ってすごいんですね」

「ええ。七楽(ならく)様、桃鳳(とうほう)様も素晴らしいですが、天堂様は別格ですわ。天堂グループはご存じですよね?」

 日本に住んでいたら知らない人はいないと思う。

 エネルギーや製造、情報、金融……あらゆる分野で国内外活躍している超大手企業だ。

 最近のニュースでも事業投資分野で大きく成長したって聞いている。

「天堂様は大企業の跡取り娘ですでに事業もされていますわ。先日も校舎の防音不備で学園に苦情がきたらしいんですが、天堂様が業者を手配してすぐに解決してくれたと聞いています」

「そうなんだ。高校二年生とは思えないね」

「住む世界が違いますわ。中にはなんでもお金で可決することに疑問を持っている人もいるみたいですけど……あっ、これは決して陰口などではないので!!」

「大丈夫。言ったりしないよ」

 森野さんはほっと溜息を洩らしあからさまに安堵すると、

「何かわからないことがあったら言ってちょうだいね。ぜひ私も織原さんのお力になりたいですから」

 そう言うと自分の席へと戻っていった。すぐに彼女の周りに数人のクラスメイトが集まってきて話を聞き出そうとするも「織原さんのプライベートに関わりますので」とその話題はそれっきりになった。

 噂話が好きそうな人だけど、むやみに他言しないあたりはさすがリベルタの温室育ちだなと感心した。

 友達が出来るか不安だったけれど初日はまずまずのスタートを切れそうだ。

 あとは勉強がどのぐらい難しいか。それによってはアルバイトの日数も変わってきちゃうし。

 ぼーっとそんなことを考えていると担任の教師が入ってきた。

「皆さん、初めまして。一年A組の担任をする各務原ひとまです。一年間よろしくお願いしますね」

 黒髪のボブカットでスーツを着ているがゆるっとした印象を与える不思議な人だ。

 各務原先生は黒板に自分の名前を書くと、

「ホームルームでは自己紹介をしてもらいます。その後あとそのまま現代文の授業に入ります。担当は私なのでお昼まではそのままね。それじゃあ出席番号一番の阿部さんからお願いします」

 そうして順繰りと自己紹介は進んでいく。

 私以外はみんな中等部からの進学で、クラスがシャッフルされた程度である程度関係性は出来ている……と言った感じだ。

 そして私の番。

「初めまして。外部受験生の織原葵です。去年までは公立の中学校に通っていてリベルタのことはまだわからないことだらけですが、よろしくお願いします」

 頭を下げると拍手が起こり各務原先生も、

「ようこそリベルタへ。織原さんは緊張してる?」

「は、はい。馴染めるか不安で」

「そうよね。最初はちょっと大変かもしれないけれど私も出身はリベルタじゃないの」

「先生もですか?」

「そうね。だから私も織原さんの気持ちはわかるし、クラスのみんなも良い人だから安心してちょうだいね。それでは次の――」

 先生もリベルタの出身かなって勝手に思ってたけどそうじゃないんだ。

 そう思うと少しだけ安心する。さっき声をかけてくれた森野さんもいるしだんだんと慣れていこう。

 そうして自己紹介が終わると十分の休憩が入り現代文の授業が始まる。

 職員室に戻っていた各務原先生はプリントの束を持ってくると「後ろに回してくださいね」と前列の人たちにそれを渡した。

 何かな? と思ってめくって見ると入試の時に見たような紙。私知ってる。これテストってやつだ!

 同じことを思ったクラスメイトたちから戦慄の空気を感じる。

 各務原先生の口角が少しだけ上がった気がした。

「初日でまだ教科書も準備出来ていないので今日は“小テスト”を行います。外部入試問題を私なりに改良したのでみなさん頑張ってくださいね」

 ふわっととんでもないこと言うなぁこの先生!

 あの入試問題相当大変だったのにその改良版が小テスト!?

「それではスタート」

 おっとりした口調の中に、どこか厳しさと楽しさが混ざっているような気がした。

 シャーペンをカチカチして芯を出すとあとはひたすらに解答欄を埋めて午前中は終わりになった。


 お昼休み。

「織原さん、ご一緒していいかしら?」

「森野さん! うん、いいよ」

 昼休みが始まると同時に、すでに仲のいい子たちはグループを作ってお弁当を広げたり食堂に移動したりしていた。私を誘っていいのかどうしようかと迷っている子たちもいたけど、そんな中颯爽と飛んできてくれた森野さんはマジで神。ありがとう森野さん。

 彼女は空いている隣の机を勝手に引っ張り私の横に付けると「今日はお母さんが作ってくれた卵焼きが入ってるんだ~」とニコニコ顔で黄色いランチクロスの結び目をほどく。

 きめ細かい雪原のように敷き詰められた白米にふわりと薫るだし巻き卵。他にも魚の煮物やお浸しなんかがちらっと見えた。

 そういえば私のお弁当は何だろう。

 中学の時から使っている四角いお弁当箱にピンクのクロス。それを解いて蓋を開けると、ごはんにふりかけ。ミニトマトにきんぴらごぼう。そして大好きな唐揚げが……三つも!

「織原さんのお弁当も素敵ね」

「よかったら唐揚げ一つ食べる?」

「よろしいの?」

「うん。今日は色々と助けてもらったから」

 知らない学校、知らないクラスメイトたち。朝から天堂先輩のことでバタバタしていた私が無事半日を乗り越えることが出来たのは間違いなく森野さんのお陰だ。

「それではお言葉に甘えて」

 ニコッと笑う彼女の笑顔に私も嬉しくなり、彼女のお弁当箱の蓋の上に唐揚げを一つ乗せると、

「それでは私のもお一つ」

 と卵焼きを貰った。

 二人でそれを食べながら「おいしいね」と笑い合うとようやく私に纏わりついていた緊張の糸がほぐれ始める。

 中学まで当たり前のように友達や知り合いが周りにいたけど、それがどれだけ幸せだったことか改めて思い知った。

 二人とも半分ぐらい食べ進めたところで森野さんが聞いてきた。

「織原さんはどうしてリベルタにいらしたの?」

「うーん……」

「ごめんなさい。答えにくいことでしたら別にいいの」

「いや、そうじゃなくて私のはみんなみたいな立派な志じゃないから。……私の家は特別お金持ちってわけじゃなくてどっちかって言うと貧乏な方なんだよね。だから将来のために学歴が欲しくて。それと空いた時間でアルバイトをして家族の役に立ちたいなって」

 言った瞬間、森野さんはお弁当を食べる動きを止めてじーっと見つめてくる。

 しまった。私、やっちゃったかな。……そう思った次の瞬間、

「素晴らしい志じゃありませんか。それこそまさにリベルタの鏡です。私なんて幼稚舎に入る頃はすでに親が『立派な女性に育ちなさいね』と言われて気が付いたら高校生になってしまいました」

「みんなそうなの?」

「大体はそうですわね。意思の自立を促して……と学園は言うものの殆どがレールに乗っているだけのようにも見えますわ。って私ったら本当に愚痴が多いわね。気分を悪くしたらごめんなさいね」

 私の悪い癖なの、としょんぼりしながら口に卵焼きを運ぶ姿はちょっとだけ可愛かった。

 それから再び今朝のヘリの話やいかに今期の生徒会、通称トリニティ・ビューティーがすごいかという話を聞いていると教室の前の扉がガラッと開いた。

 午後の授業がもう始まったの?

 と思ったけれど、そこに立っていたのはなんと天堂先輩だった。

 クラスメイトの全員の視線がそこに集まり、一瞬の静寂の後にどこからか「天堂様だわ」という声が聞こえてきた。

 明らかに動揺したクラスの空気を物ともせず、金髪のスーパーお嬢様はこちらに向かって歩いてきた。

「織原葵さん。朝は手間を取らせたわね。ちゃんと入金は出来ているかしら?」

「て、天堂先輩!? こ、こんにち……ごきげんよう!? その、入金はちゃんとされておりましてよ!」

 わわわ! どうしよう! 私ちゃんとした言葉遣いなんてわかんないよう~。そもそも挨拶はごきげんようでいいんだっけ?

 助けを求めて森野さんに視線を送るもあちゃーという表情と、今話しかけられているのは織原さんなんだからファイト! という視線を感じる。一人で頑張れってことか~。

 大丈夫。落ち着け私。相手は天堂グループのお嬢様でも歳は一つしか違わないんだ。お姉ちゃんだと思えば大丈夫……! お姉ちゃんいないけど。

 大きく深呼吸すると、

「はい。入金はされていました。口座の作成からありがとうございます」

 同じ目線に立ち上がりそれから深々と頭を下げる。やった……乗り越えた! 今度は私のターンだ。

「あの、他に何か御用がおありでしょうか?」

 落ち着きを取り戻すと私も森野さんのようなお嬢様言葉? が自然と出る。

「普通に話して大丈夫よ。楽にして――わたくしってそんなに怖いかしら?」

「はい?」

「……いえ、何でもないわ。お昼の貴重な時間にごめんなさいね。実はあなたを生徒会にスカウトしに来たの」

「――えええええええええっ!?」

 大きな声は森野さんだった。それをきっかけに周囲からも「一年生で生徒会役員に推薦?」「外部からの人が抜擢なんてすごいですわ!」「わたくし、織原さんと同じA組に入れて誇りに思いますわ!」

 そして気が付けば周囲からはパチパチパチと盛大な拍手が盛り上がっていた。

 あれ? ちょっとまってー! なんで私生徒会役員に入る流れになってるのー!

 私の困惑を見通してかはわからないが天堂先輩がスッと手のひらをかざすように上げると、無責任なざわめきはすぐに収束する。さすがカリスマ。

「混乱させてごめんなさいね。ただわたくし“たち”はあなたに興味があるの。殆どの人間が幼稚舎からのエスカレーター組。そんな中に飛び込んでこようって人は多くは無いわ。あなたには何かを変えたいという気持ち……勇気があるって思うわ」

 それに、と天堂先輩は続ける。

「何よりあなたは外部受験生。中等部からの進学者も試験はあるけれど外部受験生のそれはその何倍も難しい。偏差値という物差しで計ればあなたが一年生の中で一番頭が良いのは明らかだわ。だからその頭脳をリベルタのために活用して欲しい。……どうかしら?」

 緊張が走る。

 孤立無援を覚悟して入学したリベルタ。だけど森野さんという友達もできたし、クラスからの反応も悪くはない。

 それでも次の一言で決まる気がした。

 もしこれを断ればみんなの憧れである天堂紅礼奈に恥をかかせちゃう。だけどそれを飲めばよそから入ってきたやつが生徒会? と反感を買うかもしれない。

 入学式あいさつの時に見たけれど七楽先輩、桃鳳先輩もネクタイの色からして天堂先輩と同じ上級生だった。

 そんなところに外野の私が入っていったらどうなるか、考えただけでも恐ろしい。

 どうするか。どう答えるか。断るか。受け入れるか。

 時間にしてどのぐらいだろう。一分? それとも十秒? まったくわからなかったけれど考えられる最善手は、

「少し考える時間を頂いていもよろしいでしょうか? まだ色々と慣れていなくて」

「そう。わかったわ。それじゃあ放課後生徒会室で待ってるわ。場所はわかるかしら?」

「はい。一応」

 入学の手引きの施設案内は読み込んでいるから施設に関しては大体把握しているつもりだ。

「待っているわね」

 そう言うと天堂先輩は教室を後にした。

 彼女が出て言った瞬間、張り詰めていた空気がどっと抜ける。まるでパンパンの風船の結び目を解いたみたいだ。

「ああ~なんだか怖かったー」

「すごいわ織原さん。一年生であそこまでしっかり天堂様とお話出来るなんて!」

 他の子たちも解けた緊張の余波か私の周りに寄ってくると「堂々とされていましたわ」「生徒会にはお入りになるの?」「もし織原さんが生徒会の一員になったら応援しますわ!」とワイワイとはしゃいでいる。

 うーん。全然そんな想像は出来ないし放課後はアルバイトをしたいんだよね。……でもああ言った手前生徒会室には顔を出さないといけないし。

 とにかく一度顔を出してそれから事情を説明してごめんしてもらおう。取って食われるわけじゃないしね。

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