夜のタクシーで
NAZUNA
第1話 夜のタクシーで
「あーあ、疲れたな」
私、百合香は電車を下りてやっと自宅からの最寄り駅に到着した。
今の時刻は午後九時半。大学のゼミがすっかり長引いたせいでこんな時間になってしまった。
自宅から大学までは電車を乗り継いで1時間は余裕でかかる。
普段ならば午後6時過ぎには最寄り駅に到着するのに、こんなに遅くなったのは初めてだ。
こんな夜更けに家族に迎えに来て貰うのも申し訳ないので駅に止まっていた1台のタクシーに乗ることにした。
「すみません、○○中学までお願いします」
私はタクシーの運転手さんに声を掛けた。○○中学とは私の近所にある中学校のことだ。
「すみません、私も○○中学まで乗せてもらって大丈夫ですか?」
一体何処から現れたのだろうか?いつの間にか私の後ろに女の子が立っていた。
「いいですよ」
タクシーの運転手さんは快く了承し、私は女の子と共に後部座席に乗り込む。
女の子は私よりも3つ、4つ程年下で高校生くらいだろうか。白い肌に胸まで伸ばした艶やかな黒髪、ぱっちりとした平行二重の目にスッキリとした鼻。
女である私から見てもかなりの美人だと言える程の容姿だった。
「お姉さんは大学生の方ですか?」
ふと女の子が話しかけてくる。まるで奏でられた楽器のように綺麗な声だった。
「そうですね。あなたは高校生の方かしら?」
私が聞き返すと彼女は流れる景色に目を向けて言った。
「高校2年生でした」
ということは女の子は16、17歳くらいということになる。返した言葉が過去形だというのが引っ掛かるけれど。
「あの、ついこの間この辺で女子高生が車に轢かれて亡くなった話って知っていますか?」
ふと女の子が口を開いた。確か、数日前に高校生が下校中、飲酒運転の車に轢かれて亡くなってしまうというニュースをみた気がする。
有名人の不祥事はあんなに長く報道されるのに、その報道はたったの数十秒しか報道されなくて何とも言えない気持ちになったことだけは覚えていた。
「その…亡くなった高校生、実は私なんです」
「え…」
女の子の言葉が信じられずに私は思わず隣を見る。彼女は悲しそうな顔で
「あなたは私よりも長く生きてきましたよね。なのに、私はあなたの年齢までは生きられなかった。だから、私と代わってください。私はまだ死にたくなんかなかった。」
そう言う彼女の美しい顔は忽ち、血にまみれた痛々しい姿へと変わっていった。
きっとこれが事故に遭った直後の姿なのだろう。
けれど、何故か私の心は穏やかな凪のようにあまりにも冷静であった。
私は考えるよりも先に手を伸ばし彼女の身体を抱きしめていた。
そして彼女の背中と髪の毛を優しく撫でる。背中はとても冷たかった。
「辛かったね。まだ生きていたかったよね。これからいっぱい好きなことやりたかったよね。」
私がそう言うと、彼女が一瞬固まった。その顔はあの血まみれの痛々しい姿ではなく、元の綺麗な女の子のものに戻っていた。
すると、女の子の茶色く透き通った瞳から大粒の涙が次々溢れ出す。
「ごめんなさい。お姉さんの命を奪おうとして。私は…」
彼女は私の胸の中で思う存分泣いた。私は何度も何度もその頭を撫でる。
そして、○○中学に着く頃に彼女は私の腕の中で光に包まれながら消えていった。
最後に見た女の子はとても穏やかで美しかった。
「1700円です」
タクシーの運転手さんが静かな声で運賃を告げる。私は財布から3400円を取り出すと運転手さんへと差し出す。もちろん私とあの女の子の分だ。
「いいのですか?彼女の分まで払っても」
運転手さんが一瞬戸惑った表情を浮かべる。
「受け取ってください。彼女だってこれを望んでいるはずですから」
私は一言、そう告げてタクシーを降りて自宅へと入っていった。
どうか生まれ変わったらあの女の子には幸せになってほしいと願いながら。
夜のタクシーで NAZUNA @2004NAZUNA
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