メイクという魔法を、クラスのアイドルである君に

@puroa

メイクという名の、心の魔法

「先生、今日もメイクをサボっているね」


 陽光が燦々降り注ぐ青空。

 高校なんてものに似合わず、グラウンドの隅でのフィールドワークを終えた生物の授業で、額に汗をかいた教師に一人の女子生徒が話しかけてきた。

 青く澄んだ声は、蝉の声やチャイムの余韻が耳を覆う初夏の太陽の下でも十分よく聞こえる。


「そういう柊は綺麗だね……っんん」

「あいにく母親譲りだからさ」


 生徒を揶揄ったつもりが、自分の想像以上にしわがれた声に、静流は驚いてしまった。幼いころから夢だった教師になり、田舎の高校に赴任してきて幾らか経つが、その日常は中々にハードなもので。

 このハードさ、学生の頃の自分に言い聞かせたなら、きっとマッハの速度で進路希望調査書を書き換えることだろう。


 対して、生徒の方は本当に綺麗である。

 ヒイラギと呼ばれた少女は、遠目から見ると男性と見間違えるほどのすらっとした長身。八頭身のモデル体型である彼女は、そのままの姿で何処かのファッション雑誌に載っていてもおかしくない。

 クラス内でも 【抜け駆け禁止】 の御触れが出されるほどの、とびきりの美人。夏の強い日差しの下でも、一滴も汗をかいていない。揶揄うふりをして一瞬でもドキッとしたのは誤魔化しきれないか。


 だが、疲れているのも嘘じゃない。


「今日で何連勤。流石に一度家に戻って、メイクしてきた方が良いんじゃないのかい? もちろん、たっぷりと休んでね」


 連勤なんて言葉に、先ほどとはちがう意味でドキッとする。柊の方を見ると、こちらを見ている瞳の奥で、夏の日差しが揺れているのが分かった。

 妙に大人びた雰囲気のある彼女がそういう言葉を使うと、本当に高校生かと疑いたくなる。


「あはは、まぁ、そんな感じね」


 そう言って笑うと、口角が引きつってプルプルと震えた。最近は視界に浮かぶ透明な虫も増えてきて、本格的に疲労を感じ始めていた。

 流石に心配してくれた柊には申し訳なさを感じる。

 毎日家に帰っているのは、本当。だが酷い時には終電さえ逃しているのを、これは嘘を吐いてないと言えるのか。微妙なラインなのは確かだ。


「メイクは、まぁね……教員は出会いとか無いし、別に飾る必要もないかな」


 だが、それはあくまで教師の事情だ。生徒側が気に病む事じゃない。だからこそ、無理矢理にでも笑顔をつくって対応したのだが。


「そんなことないよ。先生が綺麗でいると、教室全体が華やぐからね……ネイルはどうかな? 最近はプロに全部任せられるし。指先が変わるだけで、気分も変わるよ」


 なかなか折れてくれなかった。瞳の光を揺らしながら一生懸命勧めてくる。生徒だしそんな姿は可愛いのだが、こうもグイグイ来るとさすがに温度差を感じて余りある。

 そうまでしてオバサンにメイクを勧めることに、何の意味があるのやら。


「こだわるね~。でも、ネイルは校則違反だぞ? お前まさか……」

「な、何のことかなぁ? 私にはサッパリだ」


 自分の手を見る。この歳になってなお指輪を嵌めていない自分の手に、特に後悔はしていない。

 社会人になり、結婚した友人から招待状も届くこともしばしば。親にアンタもいい人いないのかなんて、ちょっかいを出されたりもする。まるで結婚が良いことのように。


 でも、本当にそうなのか? とも思う。

 結婚した人を否定するつもりは無いが、今の仕事は比較的楽しいし、好きでもある。だからしんどくてもやっていけるし、辛いことも乗り越えられた。

 辛くてだるくて、もう嫌だ、なんて言ってる教師は、フィールドワークなんて絶対やらないだろうし。


 まぁしばらくは仕事が恋人かな、なんて思いながら、次の句を告げた。本当に、それだけ。深い意味なんて無かった。


「メイクで可愛くなっても、独り身じゃ意味ないしさー」


 同世代の友人と叩くような軽口。生徒に対してあまりに配慮が欠けていた発言を恥じた。

 もっと考えるべきだったのだ。どんなに大人びていても相手はまだ、高校生の子どもだということに。


 柊が片親だということに。


「ご、ごめん! 先生、そんなつもりで言ったんじゃ」


 自らの失言に気付き慌てて訂正する。その教師の言葉に彼女もまた、頷いて手を振っているが、その頭もとても重そうにゆらゆらとしている。

 初夏の日差しが眩しい。夏も始まったばかりだし今のうちにしておかないと出来なくなる、なんて思い上がりが此処で出たか。


「う、うん……分かってる。分かっているよ。そんなの、言われなくて……も……」


 グラウンド隅の草原に、彼女は倒れ込んだ。ずっと体調が悪い状態で話をしていたのか。


「柊!」


 必死に呼びかけるが、返事はなく。授業が終わり他の生徒が去ってしまった校庭で、静流は急いで柊を保健室へと運んだ。




 ***




「母が一時期、売春婦だったことがあるんです……」


 頭に氷の入った袋を乗せながら、柊は話し始めた。もう時間的に次の授業が始まっている頃だろうが、彼女は体調不良、静流も空きコマであるから、目の前で話を聞いている。

 すべきことなど腐るほどあったが、彼女の傍に居てやりたかった。


「母は、綺麗な人でした。優しくてたくさん愛してくれて。仕事に行くときには、お洒落な服とか着込んで、凄かったな」


 熱中症と学校医に診断され、そのままベッドの上で休まされた柊。身体を冷やし落ち着く過程で顔を洗い、メイクを落とした彼女の素顔は、お世辞にも美人とは言えないものだった。


 静流も三者面談で一応会った事があるが、親子揃ってかなりの美形だったのをよく覚えている。だけど、メイクを落としたらもしかして……。


「母もこんな感じなのか、って思ったでしょう」

「……オモッテナイヨ」


 思いをドンピシャで突かれて、静流は目を反らした。一度失言で彼女を傷つけているのに、また言ってしまうわけにはいかない。

 下手な嘘を吐いた静流の耳に、柊のため息が伝わってくる。


「私は父親似なんです。母に似てたら、こんな手の込んだメイクもしなくてよかったのに」


 柊は拗ねたように言った。たしかに身体を売るのであれば、顔も大切な要素でもあるから、メイクにも関心を持つか。

 ましてや本業の母親に教えてもらったのであれば、それは上手い筈だと、静流はうんうんと頷いた。


「まぁ私も、顔に関してはとやかく言える女じゃないからね~」

「ちがう、そんなことはない! 貴女だって綺麗さ。それは、変わらないよ」


 柊は教師の発言を急いで訂正する。

 ベッドの上から上体を起こして顔を近づけてきた彼女を、肩を押して戻し、はだけたタオルケットをもとに戻してやる。こんなにときめかないナンパは初めてだ。

 さっきから何だか、柊に余裕が無くて可愛らしい。成人女性の胸の内から湧いて出る庇護欲に、静流は薄っすら母の気持ちを味わっていた。


「でも、メイク勧めてきてたじゃない」

「違うんだよ。そうじゃなくて……その……」


 アワアワと手を振る柊は、大きな動作で反応を返す。

 その様子は、次の言葉を言おうかどうか、悩んでいるようであった。


「ち、近しい人には、身体を大切にしてほしくて」


 言いにくい言葉を恥ずかしそうに、しかし真っ直ぐに伝えてくる。

 まったく抜け駆け禁止のルールが惜しい。これが無ければ、柊は相手の気持ちをおもんぱかれるとても良い彼女になっていただろう。

 でもその気持ちを忘れずに大人になってほしいとも思う。何だか目の前の生徒が、アイドルみたいに思えてきた。


「可愛いね」

「え? それは先生の方が……」


 柊が、静流の言った意味を不思議そうに聞いてくる。

 指先が顔の周りにペタペタと触れられる。彼女はきっと、可愛いかどうかを顔の良さだけで判別しているのだろう。愛情が常に外向きに、一方通行なのだ。だから自分を濃いメイクで飾ろうとする。

 でも大事なのは其処じゃない。


「自分が好きなのは悪いことじゃないよ。その歳でその覚悟があるの、凄いことだと思うし」


 自分を好きになることは、社会を生きていく上で結構大事だったりする。他人の気持ちをよく考えて、人の為になることをしなさいなんて言われるけれど、ホントにそればっかりじゃあたま固くなっちゃうし、生きるのがイヤになる。

 大人になると、良いことも悪いことも人に押し付けてばっかりじゃなく、自分でどうにかしないといけなくなるから。

 静流は短い教師としての経験と数少ないバイトの場数から、それらを学んでいた。柊にだってできるだろう。だって自分に出来たのだから。


「じゃあ先生も」

「ん~や、いいや。人を活かす仕事してますんで」


 そう言った静流に柊は、パッチリ見開いた期待の眼差しを向けてくる。そういえば、彼女とはメイクの押し売られの途中であったか。

 彼女は恐らく、軽い世間話程度に捕らえているのだろう。いま言ったことの意味が分かるのは、まだ先になりそうだ。

 まぁ焦らなくてもいい。子どもが大人になるための道しるべに私たち教師がいるんだ。私の下にいる間は、好きに失敗してくれても構わない。


 もう大丈夫そうだな。そう判断した静流は、そのままベッドに背を向けて保健室を出て行った。授業中で誰も来ることのない保健室に、彼女は取り残される。

 そんなベッドの上で、


「私、先生みたいな大人になりたいな」


 柊は、たしかにそう呟いた。

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