第44話 再点火/Rekindle
病院の一階にある待合ラウンジは、騒然としていた。
病棟のすぐそばで爆発が発生したことで、緊急避難指示が出たのが数分前のこと。逃げ惑う患者や、看護師と警備スタッフの混乱に紛れて、紗香と繚介も待合ラウンジへと移動していた。
電話対応に忙殺される受付スタッフ、不安に身を震わせる患者たちのなかで、二人だけが普段の平静さを保っていた。
紗香はポケットから携帯を取り出す。ワイルドファイアとの交戦により端末に傷はついているものの、まだ動くことを確認する。
携帯をしまって、隣に座る繚介の方を見た。
「まさか、あの〈649番〉が戻ってくるなんてね」
彼女は思い出す。
まだ監理局の施設にいた頃、彼とは何度も会ったことがあった。
とは言っても、いつも彼から一方的に突っかかってきたのだが。
その原因は、同じ
醜い嫉妬心の塊、というのが彼女にとっての〈649番〉への印象だ。
「また、生き返るかもしれないな」
「〝また〟? まるで前にも生き返ったことがあるみたいね?」
紗香はわざと、困惑を隠しきれなかったように大きな声で聞いた。
通常ならば病院で大声を出せば不審な視線を浴びることになるのだろうが、混乱のなかにある今では、誰も彼らに目を向けることはない。
「紗香、聞いてくれ」
「いったい何を? あいつを殺したけど、わたしに黙ってた話とか?」
「いいか紗香、それはお前たちのためで――」
「――自分のため、の間違いでしょ」
「もう、俺たちに戦いや殺しは要らないんだよ」
「でも、あなたは殺してた。わたしと同じようにね」
繚介は黙り込んでしまう。
紗香も、しばらく何も言わなかった。
一度だけ頭を冷やして、紗香は静かに訊いた。
「前にあいつと戦ったのは、いつの話?」
「夏祭りのときだ。俺の
「……もしかして、お腹が痛いとか言ってどこかに行ったとき?」
「……そうだ」
「やっぱり。何かおかしいとは思ってたけど……」
すると繚介は自嘲するように、くすりと笑った。
「神崎も同じことを言ってたな。二人ともよく気付くもんだ」
と言って、彼は褒めつつ紗香の頭を撫でようと腕を伸ばしたが、彼女はその腕をさっと掴んで、止めた。
そして彼の目を真っ直ぐに見据えて、真剣なまま訊いた。
「どうして、わたしを頼らなかったの?」
「お前には、平穏に暮らしてほしかった」
そう答える繚介の声も今は真剣なものに戻っていて、芯が通っていた。
何度も聞いてきた言葉。
紗香は呆れたように天を仰いで、そして辺りを見回した。
「そんなの、今さら無理に決まってるでしょ。すでに刺客はこんな普通の病院にまで堂々と姿を現しているのよ? 次はいつ、誰が攻めてくるかわからない」
「だったら――俺が、あいつらを全員潰しに行く」
繚介は、唐突にそう宣言してみせた。
長い前髪の隙間から覗く鋭い目が、紗香の視線とぶつかり合う。
その瞳の奥には、強い決意を湛えていた。
ただ単に敵を殲滅することを志向するような好戦的なものではなく、もっと防御的で、誰にも揺るがすことのできないような――妹を絶対に守り抜くという、そんな決意だった。
「〈649番〉……ワイルドファイアを殺したときと、同じように?」
「そうだ」
「いったい、一人でどれだけの敵を相手にすることになるかわかってるの? それに、いまや敵はワイルドファイアのような監理局の
「さあな。……だが、お前も気付いているだろ? ワイルドファイアの襲来は、初めから俺たちを倒す絶対的な確信があって送り込まれたんじゃない。あれは、俺たちを呼び出すための挑発であり、脅迫だった」
「それであなた一人が行ってどうするの? 監理局はともかく、〈奴ら〉はわたしを殺すまで絶対に退かないし――あなたには、勝てないと思う」
「どちらにしたって、お前もその身体じゃ戦えないだろう」
と、繚介が言うと、紗香は押し黙ってしまった。
自分の身体を見下ろしてみる。レインバードの攻撃による全身への傷がまだ治っていないだけでなく、先ほどのワイルドファイアとの交戦でできた傷から溢れ出した血までもが、彼女の病衣を赤黒く染めていた。
もう一度、紗香は大きな溜息をついて、繚介に言った。
「……そうね。とりあえず、手当てできるものでも持ってきて」
「わかった」
そう言うと繚介はすぐに立ち上がり、大切な妹を手当てする医療品を揃えるべく、混乱する人々の流れに逆らうように病院の奥へと走っていった。
兄の背中が消えていくのをしっかりと見届けてから、紗香は呟く。
「結局のところ、わたしたちは嘘をつき続けるしかないのね」
そして繚介とは真逆の方向、病院の出口へと駆けていく。
(ごめんなさい)
と走りながら、心の中だけで紗香は言った。
病院を出てすぐに人目のつかない路地に跳び込むと、今度は発火能力を発動して、ジェット噴射のように空中に浮かび上がった。
そのまま、少女は高速で夜空を横切って飛んでいく。
監理局と、奴ら――今日までのすべてと決着をつけるために。
彼女がかつて生まれ育った、忌まわしき領域へと――。
*
通話は、突然切れてしまった。
まるで誰かに襲われたかのように、音がぷつりと途絶えたのだ。
神崎はしばらくスマホを耳に当てたまま、動けなかった。
画面を確認すれば、電波は繋がっている。切れた理由がわからない。
「……なんだよ、これ」
わずかに手が震える。悪い予感が、腹の底に沈んでいく。
巨大な満月の下で、何か大きく取り返しのつかないことが起きた気がした。
扉を閉めて戻ったリビングでは、雨宮がソファの上にいた。
神崎が黙って部屋に入ると、ソファに寝転んでいた雨宮は急に体を起こし、携帯の画面をこちらに向けてきた。
「おい、神崎。これ……見ろ」
差し出された携帯の画面には、動画ニュースのサムネイルがあった。
『如月大学付属病院周辺の上空で爆発』
見出しを読んで、神崎の呼吸が一瞬止まった。
如月大学付属病院――それは、紗香が入院している病院だった。
「映像も、ある。再生するぞ」
雨宮が言い、携帯を操作すると、動画が始まる。
遠くから携帯で撮られたと思しき映像。
粗い画質の中、病院の上階の窓が吹き飛び、何かが空中に放たれる。
色とりどりの閃光が夜空を裂き、数秒後に小さな爆音。
爆発の中心から赤い炎が拡散し、そこで映像は止まった。
「これって……まさか、紗香の……」
言い終わらぬうちに、雨宮のスマホが再び震えた。
ニュース速報の通知だ。
『夜空を横切る赤い光――隕石?火球?それとも』
今度は比較的鮮明な映像だった。
満月を背に、火球が大気を引き裂いて飛んでいく。
赤く、揺らめく尾を引いて。
そのエネルギーの質には見覚えがあった。
――いや、一度見れば、誰も忘れるわけがない。
「紗香……あいつの能力だ」
雨宮が呟く。
そのとき、神崎と雨宮の携帯が同時に震えた。
ニュースの通知ではなかった。
〝彼女〟からのメッセージだ。
『ごめんなさい』
一瞬、息が止まった。
「……神崎、お前にも来たか」
雨宮も、同じ言葉を受け取っていた。
まるで終わりを告げるような、六文字。
それは、彼女から届いた最後の言葉のように感じられた。
「あいつ、いったいどこに……」
神崎は居ても立ってもいられなくなった。
迷いはない。追いかけなければ。後悔する前に。
でも、そもそも彼女はどこに?
そんな彼の思考を追い越すように、雨宮が小さく息を吐いて言った。
「……実はな」
携帯を操作して、また画面を差し出して来る。
地図アプリのような画面の上に、ピンが一つ表示されていた。
「管理されっぱなしってのも癪だろ。こっちからも、一手入れておいたんだよ」
と雨宮は無感情な調子で言った。
救世少女たちのリビルド:Red and Blue かわべり @edakura333
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