人目を気にして三千里

@5nke

人目を気にして三千里

 生きていると、自分にはこんな行動力があったのか、と自分で自分にびっくりすることがたまにある。友達が少なく目立たなかった僕が、ほとんど話したこともないクラスの女の子にメールで告白してみたり。思いつきでパリに行ってみて、体調が悪くなって半日だけの滞在で帰国してみたり。自分が把握している自分の行動範囲を大きく超えるような行動をすることが、たまにあるのだ。そして、まさに今、その最中である。

 僕は車の中にいた。知らない運転手が運転する、知らない男たちを乗せた、知らない車の中だ。運転手は、テレビで再放送されたミステリードラマを見ながら、ここではこれが当たり前の夕方の過ごし方だという佇まいで運転をしていた。そして僕の隣には、知らないおじさんが座っている。茶色のスーツを着て髪の毛をしっかり固めた40代後半くらいのおじさんだ。目を細め、ひたすら目の前のスマートフォンをいじっていた。きっと、風貌のわりにたいしたことをしていない、そう感じさせる佇まいだ。というか、この手のおじさんは、人生のどの場面でも役に立たないようなゲームをしているか、人生のどの場面でも役に立たない子供の写真を見ているか、のどちらかに人生の貴重な時間を費やしているのである。日本を動かすオジサンたちにとっての至福のひと時が、まさに今なのだ。そんな中僕は、かけなれない眼鏡をかけながら、窓の外を見ている。普段ほとんど来ない土地だからか、窓に映る景色が新鮮に感じる。こんないい街なのになあ。そう思う。商店街があり、料理道具屋が立ち並ぶ。どこか懐かしい町なのだ。平日の夕方。こんな時間がずっと続いてほしい。なんて、そんなハートウォーミングなことは一切思わない。

 僕はそこに行くと決めた時、眼鏡をかけていくことにした。そこに至るまでの道中を人に見られたくないのだ。だから僕は、前もって通販で買っておいたブルーライトカット機能付き眼鏡を、その用途とは異なる方法で使用することにした。そして、上野駅で車を待つこととなった。この手の車を待つときの集合場所の相場は、上野駅か鶯谷駅と決まっているらしい。だが僕は、集合場所で待つのが本当に嫌だった。知り合いに見られる可能性が最も高くなるからだ。知り合いに見られる可能性を最も少なくするために、火曜日の午後という、サラリーマンたちが最も働く時間をわざわざ選んでいる。絶対に知り合いには見られたくない。そもそも僕は、この集合という行為自体が苦手だ。なんというか、先手必敗で不公平な感じがするからだ。先に集合した者には、もれなく待ち時間が発生する。まず、この時間が無駄である。本来であれば、家でもう5分寝られたところなのに、集合時間でその貴重な5分を使わなくてはならないのだ。そして、もう一つ。集合で先についたほうが敗者となる理由は、集合場所で待っている姿を相手に見られるということだ。わくわくして楽しそうに待っていると思われるのはなんだか癪だし、スマホをいじって待つのも現代に染まり切った若者と思われそうで不満である。つまり、集合という行為では、自分の貴重な時間を大切にでき、また全然楽しみにしていないふるまいをすることが許される後手が、必ず勝つように仕組まれたゲームなのだ。そして、僕みたいな庶民は、先手に回らざるを得ないことが非常に多い。

 まさに今。僕は敗者である。僕は集合時間までにちゃんといかないと、とんでもなく怖い人たちに怒られるのではないか、という恐怖感から20分以上前に集合場所に着いていた。だが、僕の待つ車はまだ来ない。集合場所には、似たような車が非常に多かった。相場は、黒か銀のミニバンかアルファードであるらしい。同じ目的を密かに抱える男たちが、スマホをいじって気のない素振りを見せながら、辺りを見回している。そして、自分の車を見つけた男たちが、次々と快楽行きの快速車に乗っていく。それでもまだ、僕の待つ快速車は来ない。周辺を歩く人々の目線を取り除くためのアリバイ工作として、僕は集合場所付近をうろつくことにした。コンビニからスタートし、八百屋、古いビル、酒屋をめぐり、またコンビニに戻る。そんな誰も申し込まない安いツアーを、この日限りの最安値で決行することにした。1周で十分だったが、僕はアリバイ工作のために4周ほど周った。その間に車が行ってしまわないか不安であったが、ようやく自分の待っていた車が到着した。やはり黒のミニバンだった。僕は、周りの目を気にしながらその車に乗り込んだ。通りを歩く周りの人々には、都内の大学に進学した友人に、地方から観光に来た僕を友人宅まで送ってもらう、というありきたりな姿に見えるよう、注意に注意を重ねながら僕は車に乗り込んだ。だが、車に乗り込んだ後のその一瞬を、周りの人に聞かれてしまうと、今までの努力がすべて水の泡となる。運転手に自分の名前を告げて、目的とする店の名前を言わなければならないのだ。僕は、自分の名前の漢字を1つ置き換えただけの安易な偽名を告げ、聞こえているか聞こえていないかギリギリくらいのかすれ声で店名を告げた。声を小さくすることで、仕方なく車に乗り込んだ感じにしたいのである。大声ではっきりと店名を言うと、その店のコンセプトが好きだからその店を選んだ感じになってしまう。まあもちろん、そうなのだが。僕はここでもアリバイ工作のため、思春期の息子を持つ父役の運転手と、息子役の僕の必要最小限の会話のような雰囲気になるよう、小声で店名を告げるのであった。そして僕は、車内の一番後ろの席に座った。車に乗る男たちの全貌がわかる席だからだ。先ほどの茶色のスーツの男が乗り込んできた。店名から察するに、本人の年齢よりも大人な人たちがいる店に行くようだった。自分もこんな感じで聞かれていたのかと思うと鳥肌が立った。だが、知り合いが同じ車に乗らないことを知り安心した。そして、快速車が出発した。

 車内では、嫌なことばかりが思い浮かんだ。この車が事故に巻き込まれた場合のことである。事故が起きたら警察になんて言おうか。何時から予約していました。隣のおじさんは知らない人です、みたいな説明をするのだろうか。というか、夕方のニュースでは、どういう放送がされるのだろうか。28歳の●●さんが●●に行く車で事故にあい、複雑骨折しました、みたいな感じでニュースエブリイに登場するのだろうか。テレビに出ると多くの人は喜ぶと思うが、これでは周りに自慢できる登場の仕方ではない。両親は悲しむだろうか。両親から電話がかかってきたときに、込み入った話をすることになるのだろうか。それとも両親は気を使って骨折の心配だけするのだろうか。こんなことで気を使わせていることが骨折よりも僕の体と心を痛めつけるのではないだろうか。高校の同級生はどう思うだろうか。「何よりお元気そう」で、みたいなしょうもない枕詞をつけた、いたわり連絡が殺到するのだろうか。僕は同窓会に二度と顔を出せなくなるだろう。車の中で、そんなことを考えながら、来なきゃよかったと後悔の念にさいなまれる。だが、もう引き返すことはできない。

 「東京にもあったんだ、こんな景色」。東京メトロの広告に出てきそうな言葉が、自然と頭に浮かんできた。この町には、古臭い、赤や黒の看板が並んでいた。何となく静まり返り、人気はないが、駐車場は混みあっている。みんなが、それぞれの帰るべきところに帰っていく。そんな田舎の懐かしい風景と都会の喧騒が入り乱れるような不思議な場所だった。僕の目的地は、通りの向こう側の日本料理屋の角を曲がったところにあった。車がお店の前に着いた。名前を呼ばれて、店の前で降りることになる。この時も注意が必要である。店に入る勇気はないが、なんとなく店の周りを偵察に来ている男子大学生たちに大人な男としての自分を見せないといけないからだ。偵察部隊の目線が向けられ、内心ドキドキしているなか、会社に出勤したかのように自動ドアの中に入っていった。出勤するよりも心ははるかに重いが、大人の男としての仕事をしっかり果たす必要がある。

 外見や看板は古臭かったが、建物内は不相応に綺麗なのがわかった。受付には、4人の男がいた。1人は図体は大きいが、いかにも気が弱そうで不慣れな男。そして、カウンターの奥には、暇そうで上機嫌な茶髪2人と、まじめで堅物そうな電話番1人がいた。気の弱そうな男が真っ先に声をかけてきた。堅物に客の目の前で注意されながらも、必死に説明をしてきた。この必死さがなんだか心地よい。聞いたことあるような、ないようなルールの説明を、僕は初心者の感じが出るようにうなずきながら聞いていた。僕みたいな一般人には特に響くことがない、堅苦しい法律を読まれているような気分になった。たいていの法律は僕には関係ないのだ。そして、間もなく、茶髪眼鏡に声を掛けられ、待合室に案内された。

 待合室は、10人ほどが座れるきれいな部屋で、部屋全体に黒いソファ、目の前に大きなテレビがあり、その下の本棚にはたくさんの漫画が並べられていた。部屋の左前方には自動販売機も備えられていた。僕より先に大学生風の男が一番奥のソファに座っていた。部屋にいる全員を見渡したい僕にとって、一番奥の一番後ろの席は、なんとしてでも死守したいところであったが、仕方がない。一番手前の席に座った。僕は鞄からスティーブ・ジョブスの伝記を取り出し、忙しい合間に来た感じを装い呼ばれるのを待った。心臓の動きが早まっているのを感じた。もちろん伝記の内容は、一切頭に入ってこない。ここで大地震に見舞われたらどうしよう。そんなことが頭をよぎった。ここで生き埋めになり、救助要請を求めるときに店名を言わないといけない。というかそうなったら、何で平日にこんなところにいるのか、会社にも説明しないといけない。命が大事なので、そうなったらそうなったでプライドは捨てられるが、消防士の知り合いに会いそうで怖いし、会社でも出世は厳しそうだ。そんなことを考えていたら、数分のうちに次々と客が入ってきた。平日の夕方だったが、結構繁盛している店なのかもしれない。白髪混じりの40代後半係長風の男と、30代前半くらいの太った男が2人入ってきた。みなそれぞれスマホをいじったり、テレビを見たりと慣れている様子だった。太った男は、部屋に入るなり自販機横のウォーターサーバーに駆け寄っていった。誰が用意したかわからない水を、誰が用意したかわからない紙コップで、おいしそうにごくごく飲んでいた。扉をノックする音とともに、茶髪眼鏡が入ってきた。54番、僕の番号が呼ばれた。囚人番号のような呼ばれ方だった。僕は、読んでもいない伝記を閉じ、慌てて鞄にしまった。そして常連客を装うために堂々と歩きながら、部屋を出てすぐ左のカーテンをくぐった。階段の上には、背が低く、丸顔で目元がぷっくりしている、かわいらしい女性がぽつりと立っていた。ああ、来てよかった。僕はそう思った。

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