アンダー・グラウンドon the 昼寝

久々原仁介

アンダー・グラウンド on the 昼寝

 私はしがない奴隷さ。


 いきなり顔をしかめなくったっていいじゃないか。腰を落ち着けて話を聞いておくれよ。どうせ君も、暇なんだろう? ここは一つ、私の若い頃の話なんてどうだい。


 そうそう。『奴隷』なんていうと、あまり気持ちのいいものじゃないかもしれないがね。幸い私は主人に恵まれた。


 家族として迎え入れてくれた。主人には非常に感謝しているよ。なにせ、奴隷商人の奴らは狭い牢に一人ずつ私たちを放り込んで、のっぺりとした笑顔を向けてくるのだから、気持ちの悪いことこのうえない。身の毛がよだつってのは、まさにあのことを言うんだろうね。


 奴隷が家族になるのはおかしい? うーむ、君はニュアンスや、先入観で判断するところがあるなぁ。別にそこまで不思議なことでもないだろう。この海を越えた先にある国では、奴隷の開放金を主人が払って、友人としての関係を築くなんて美談もあるらしいじゃないか。そんなもんだと思ってくれたら結構だ。


 それに、奴隷と言ってもそこまで拘束されるものでもない。ある程度は自由時間を与えられる。だけどね、その自由を謳歌できるわけでもない。奴隷と言っても学を修める必要がある。


 そりゃあ、学校ぐらいあるさ。君が知っているところほど、窮屈な場所ではないけどね。もっと開放的で融通も利く。学生結婚なんかも、珍しいことじゃない。でもまぁ、アメリカなるところでは、下宿代を減らすために学生結婚する男女が多いときく。要するに私たちが通う学校はグローバルなんだよ。


 兎にも角にも、三年間はそこで学ばないといけない。学ぶ内容が、これまた珍妙で面白いんだよ。初めはそこで上手い昼寝の仕方を学ぶ。


 羨ましがられても困るなぁ。これでも私たちには死活問題でね。夏なんかは外で下手に寝ると、干からびるなんてことは珍しくない。熱中症で死んだ体は、下っ腹の部分がだらしなく膨れ上がって垂れ下がる。年をとった女の乳房を見る、小さな哀れみが湧くよ、まったく。


 ぁあ、いやすまないね。ずいぶんと下世話な話をしてしまった。昼寝講義のことだった。


 どんなスポーツにも玄人と素人がいる。それとまったく同じで昼寝にも、上手い下手があるんだよね、これが。屋外での生活が習慣となっている一般生徒は昼寝程度手慣れたもんだが、屋内での生活に慣れた奴隷生徒は外で下手な居眠りをすると、そのまま命を落としてしまうかもしれない。


 自分の身は自分で守れというのは、至極まっとうな考え方であるが、残念ながら私には欠如しているようで困る。それでまた、自覚があるところが悲しいかな。



 だから私は神経質なまでにこの授業にのめり込んだ。今でもしっかりと覚えて身についているあたり、私の小心加減が見て取れる。なに、寝るくらい簡単だって? 馬鹿言うんじゃないよ。いいかい? 外で寝るっていうのはね、これがまた、たいそう難しいんだ。


 講義がある。別に教室があって、教卓があってみたいなお利口さんな場所じゃないがね。青空教室さ。


 そこではポジショニング論、ポーズ論、日陰論の三段階を、それぞれ一年ずつに分けて単位を取得していくことになる。


 ポジショニング論とポーズ論は非常に簡単だ。講師からの長々としたありがたぁいご高説をまとめると、要は『寝るところと寝る姿勢には気を付けろ』っていうことかな。


 道路の上で寝っ転がって車に引かれたって文句を言う資格もないだろ? まぁ、死んだら口もきけないんだがね。


 ポーズ論は少し癖があって、なかなか身につかずに苦労したよ。何せ、不用意に寝返りも打てないんだから。昔、日本のどこかの殿様は息子の寝相を治すために、寝床をカミソリで囲んだとかいう言い伝えがあるけれど、さすがにそういうわけにもいかない。


 基本としては腹をぺたぁとそのまま地べたにつけないこと。肋骨や厚い筋肉、脂肪に守られた横っ腹を接触面にするのがいい。どうしてってなぁ……。冬はお腹を下すし、夏は内臓を悪くするかもしれないだろう? 馬鹿な人間だ。


 最後に日陰論だが、これは大抵の生徒が単位を落として、卒業単位欲しさに語学を選択し直すなんてことも多いほど、最大難関とされているんだ。


 日陰は時間によって場所が変わるからね。日陰に寝ているつもりでも、気が付いたら陽に照らされて干物なんてこともあり得る。


 大抵は建物の根元にいれば安心だが、そうもいかない。東西南北の把握。それを踏まえたうえで夏至と冬至の太陽の角度まで考えないとなると、これが難解極まりないわけでなぁ……。


 なに? 話が退屈? あー、はいはい。ちっとばかり、お前さんには早かったかな。まぁ、勉強は大事ってことだよ。


 もっと面白い話か? うーん、困ったねぇ。たいそう長い間生きたもんだから、大概の甘いも酸いも味わってきたんだが、いざ話してみろと言われると、砂漠の中から小さな砂粒を探すような途方もない気分になる。


 じゃあ、逆に訊いてみたいことなんてのはないのかい? ん、目? 片目が見えないのかだって? ははあ~。お前さん、それを訊くかい? 訊いちゃうかい。こりゃあ、訊かせてやらにゃあ、ならんでしょうよ。


 そもそもね、私たちのような奴隷生徒は野良の生徒からは何かにつけて因縁をつけられることが多かった。それもしょうがない。奴隷と言いつつその生活は、なんの庇護もない野良の生徒に比べると相当に優遇されているからね。食うものには困らないし、外敵に狙われる心配もない。多少のやっかみはしょうがないことさ。


 けれど若さとは厄介なところがあって、理屈では絶対にねじ伏せることのできない天邪鬼が胸のうちに燻っているんだ。ちょっとした可愛げのある爆弾だよ。


 あの日は少し遅れて学校に赴いたのを覚えてる。ちょうど腹の奥がうずうずと蠢いているような違和感を覚えて、朝食を食べる前から吐いてしまったんだけどね、当然腹の中は空っぽだから水みたいなものしか出てこない。口端から零れた胃液は水晶玉を溶かしたようで、えらく綺麗に床へ広がったから、しばし呆然と眺めていたら、主人に怒られて思わず飛び出して出ていっちまったのさ。


 遅れて講義に参加したものの、野良の生徒はあまりいい顔をしなかったのは言うまでもない。でも、彼らはそれ以上に新顔のメスに興味深々といった様子で幸いちょっかいをかけられずに済んだ。


 新顔のメスの方は性質の悪い男どもから過剰な接触を余儀なくされていたんだよ。私と同じ奴隷だったそのメスは、特別女性らしい容姿なわけではなかったが、細身で少し控えめな顔つきだったから、男の目から見れば、なるほど、特別上品そうに見えなくもなかった。


 一日中男どもに付きまとわれたメスはどうやら、何かしらの抗議をしたらしかった。あの時は遠目に見ていただけだったから、確かな瞬間を目にしたわけではないが、軽く伸ばされた手を払いのけるかどうかしたんじゃないかと思う。それがいけなかった。


 オスどもは一瞬の沈黙の後、丹田から絞り出した低く重い唸り声をあげ、そのメスを路地裏に突き飛ばしたんだ。


 視界から彼女が消えたとき、私は女の清んだ鼻を見た。しろい鼻だった。私の小さな脳味噌が舞い上がるのをかんじた。小さな溶岩が弾けて、身体よりも先に魂といえるものが駆け出したのを感じた。


 あの色白い鼻には見覚えがあった。奴隷商人の管理下にあったころの話である。あの時も、彼女は新顔という立場に立っていた。自分より一つか二つ下のメスは檻で鼻をぶつけたからか、消毒液で鼻先が白く塗りたくられていた。


 私はそんな真っ白に突き動かされる。目から入ったその光景は確かな熱となり、思考を赤熟させた。


 彼女を襲った男の背中が近づいて、気が付いたら飛びかかっていたよ。私は酷く冷静な面持ちだった。さぁ、今から殴り合いだ! なんて顔ではなかっただろうね。


 自分から仕掛けておいて油断していた。オスが振り返りざまに腕を振るうと、歪な孤を描いて目玉の表面を抉った。目の奥から熱が急激に冷えていくのと、息を飲みこむタイミングがたまたま被っていたからだろう。痛みはなかったよ。


 激しい殴り合いだった。男は私より二回りも大きい体を使って押しつぶそうとしてくる。息も次第に苦しくなり、視界が赤と浅い緑に明滅する。


 でも私だってやられるだけじゃない。死に物狂いで相手の首の根元に牙を立ててやったら、相手は兎のように跳ねた。今度はこっちの番だ! そこしかない。喉が急激に乾いたのを鮮明に覚えている。顔に噛みついた。今の自分の顎は龍の咢だ。爪は虎で、隻眼は鷹だ。そう言い聞かせて奮起させた。


 まぁ、結果はボロ負けさ。片耳は削いでやったがね。いい気味だよ、まったく。


 ただそのおかげもあって、その彼女だけは守り抜くことができた。しかし悲しいかな。彼女は私のことなどまったく覚えてはいなかった。


 いや、嘘だ。本当はもう悲しいとか空しいとか、そんな低次元な考えを抱くことはなかったんだ。


 傷ついて動けない私を、ずっとそばで看ていてくれていた彼女に対して落胆を覚えるほど薄情ではなかった。


 覚えておくといいよ、性格ってやつは鼻に出るんだ。鼻がちぃさくて清んだ女性は、いい女だ。


 私も今となって、自身の勘に狂いはなかったと実感したよ。一生を添い遂げる伴侶として彼女を選んだのは間違いではなかったと、ね。言ったろ? 学生結婚なんてありふれてるんだって。


「タクミー! ご飯よぉー。お家(うち)に入りなさーい」


 ああ、ほら君を呼んでるよ。そろそろ帰ってあげないと親御さんが心配するよ。どうだろうか、少しくらいは楽しめたかな? たまには小粋なジジイと話すのも悪くはないだろう?


 それでは、また聞きたくなったら、耳を傾けておくれよ。この声が聴こえるうちはさ。


「あら、今日もお墓参り、来てくれてたのね」


 私に気が付いたのか、自分の息子を家へいれると、次に私を見つめ、背後の小さな墓標を見据える。勤めて喉から明るい声を出したようだが、その目尻は微かに震えていた。


 ずいぶんと、器用な目玉をもつ人間だ。


「あなたも、車には気を付けてね」


 誰だって死にとうはないしな。肝に銘じておくよ。


 ありがとうね。私の子どもたちを頼むよ。うちの主人は甲斐性がなくて多頭飼いできないからね。


 長男はミルクよりも水が好きだから、一日に一回は水を新しいものに変えてやっておくれ。次女はあまり素直じゃないからね、無暗やたらに撫でたらいけないよ。それから……。


「今日はいっぱいしゃべるのねぇ」


 ……この声がどこまで届いているか、そんなことを考えるのは不毛かもしれないね。

 私はあくびをするように喉を震わす。


「――――ニャア」


 面白くない話をしよう。

 人間の足はあまりに長いから、大きくなったら私たちの声なんか聴こえなくなってしまうんだ。


 全然関係ない、そんな話をしよう。

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アンダー・グラウンドon the 昼寝 久々原仁介 @nekutai

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