第2話 違和感からの足音
またゆっくりとだが、時間が流れた。
なんだか最近、毎日酷く眠たくなる。妻と話していても、瞼が落ち、しばしの休息に入る。
そんな毎日を繰り返していた。
ある日、妻に聞かれた。
『ねぇ、あなたは今日何が食べたい?』
至っていつもの会話。
俺は少し考えて、
『うーん。油揚げ多めの味噌汁、巣ごもり、チヌの塩焼きが食べたいな。今日の晩御飯考えてるの?』
『うん。そう!最近あなた食べたいもの言ってくれないじゃない』
『えっ⁉︎そうだっけ!』
『そうよ。聞いても、考え事してるみたいで、うわの空な感じよ。そういえば、さっきの話しに戻るんだけど、巣ごもりってどんな食べもの??』
『えっ⁉︎君も食べたことなかったかな??母さんがよく作ってくれたキャベツに卵を落として、目玉焼きみたいに蒸し焼きにした食べもの。』
母さんがよく作ってくれた??
母さんが良く作ってくれていたのは、出汁がよくきいていた、だし巻き卵だったはず。
あれ??さっきの言葉がどうして出てきたのだろう。
さっきの言葉を頭の中で繰り返してみた。
食べたいと思ったものは今まで食べたことのないものばかりで。
戸惑うばかりだった。
まただ。自分の中にある記憶がどこか曖昧で、辻褄が合ってるようで、合っていない。
どこか違和感がある。そんな感覚にとらわれそうになる。
ずっと目を逸らして来たが、その目には見えない何か壁のようなものに
いつも阻まれていて、自分と世界に何か硝子のような透明な隔たりを感じていた。
いつも人生の節目と呼ばれる時に、そいつは顔を覗かせる。
そして、自分が気づいていなかっただけで、『本当はいつも側にいますよ』とささやいてくるようなそんな感覚。
『あなた? ねぇ?聞いてる??』
俺はずっと考え事をしていたようだ。
妻の声で現実に引き戻された。
『あぁ。ごめん。なんだったっけ??』
『なんだったじゃないのよ?
急に黙り込むから、びっくりしちゃったじゃない!何か悩み事でもあるの??』
『いや。たいした事じゃないだが、
ちょっと気になる事があって、明日図書館に行って調べてくる。』
近所にある市立の図書館に俺は向かった。図書館の中に入ると本の独特の香りが辺りを包む。色々な本棚を掻き分けて、新聞のコーナーに辿り着いた。とても古いものまで保管してある。ページを捲っていくと、その記事はそこにあった。
19××年×月×日午後16時頃、月並小学校5年生、市原裕斗君は下校中の通学路の見通しの良い交差点で、青信号で横断歩道を通行中に、前方から来た大型トラックにはねられて、一時意識不明の重体ののち、意識が回復し、一命を取り留めた。とその記事には小さな欄に書いてあった。
おぼろげだった記憶が緩やかに繋がっていく。
そうだった。俺は夏が終わりに近づいてきている夕暮れの下校途中に車との接触事故に遭ったのだ。
事故がなければ、あの日はいつもと変わらない普通の日になるはずだったのだ。
いつもより少し夕日が眩しくて、目を細めながら帰っていたあの日。
それは突然の出来事だった。
前方を走っていた大型トラックの運転手が居眠り運転をしていたのだ。
大きな衝撃、耳をつんざくような物と物がぶつかる時の音。
記憶がぷつりと途切れていた。
事故の後、病院のベッドの上で目が覚めてからの記憶しかなかった。
何かを忘れてしまっている気がする。大事な何かを。ズキッ。
まただ。頭の奥から響くような頭痛が始まる。事故の時を思い出そうとすると、頭痛が邪魔をしてくるようだ。気のせいだと思うが、そんな時がふとある気がする。
気を取直して、図書館を後にする。
図書館を出て家に帰ろうと歩き出した。
時間は夕暮れ時で、辺りは各々の夕ご飯の匂いが漂っていた。焼き魚の匂いかな。
香ばしい香りが鼻先を通り過ぎる。
今日は妻は何を作って待っていてくれるのだろうか。
しばらく歩くと我が家が見えてきた。
暖かな照明が点いていて、帰ってきた人を安心させる温度がそこにはあった。
幾年も年を重ねて少し鈍い音を立て、家のドアは開いた。
「ただいま。」
リビングに入ると、妻は忙しそうに夕ご飯の準備をしていた。
「おかえりなさいー!!あなた。今日はカレーよ♪♪」妻が嬉しそうにこちらを見た。
カレーの香りがふわっと鼻をかすめた。
「美味しそうな匂いだな。」
「ふふふ♪いい匂いでしょう♪今日はね。お隣の藤本さんからいっぱいじゃがいもと人参を頂いたの♪じゃがいもをマッシュポテトにしようかしら。人参はケーキに入れておやつにするのもいいわね♪あなたはどんな料理にして食べてみたい?」
「そうだな、、。ジャガイモはケチャップで炒めて、ソーセージも一緒に入れて、人参は
オリーブオイルでソテーするのもいいな。」
「美味しそう。私も食べたいわ。明日久しぶりに一緒に作ってみない?」
「いいね!久しぶりに一緒に作ってみようか。」
俺はご飯をカレー皿に装って、カレーのルーをついだ。
夫婦二人でのんびりカレーを食べる。そんなささやかなことが幸せで心が満たされていた。
また緩やかに時は過ぎていく。
『世界はすでにそこにあった』 羽瀬川由紀 @yuki024
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