K④
通信機から聞こえてくる騒音が、何が起きているのかバビロンに伝える。
(手こずってんのかよ。ちくしょう)
付近に怪しまれないよう、足早に貨物室へと向かう俺の前に警備員の姿が見えた。
大人数で一列になって倉庫へと向かっていく。
あれだけの数を相手どることはシュトゥーアに簡単なことであるだろう。
だが、問題はそこではない。
「ここは空の孤島だ。騒ぎが大きくなりゃ大きくなるほど不味い」
飛行船は飛行機のように給油せずとも、ガスが有る限り空中にとどまることが出来る。
飛行船内の警備員だけでなく、空港警察まで出張ってくる程の大騒ぎとなってしまえば袋の鼠だ。
なにもかもご破算。一生鉄格子の別荘で暮らすことになる。
(どうしたもんかなぁ……)
「おい、大丈夫か?警備員の群れがそっち行ったぞ」
通信機の向こう側の相棒が答えた。
「体が言うこと聞かなくねぇ!電気が流れてきやがる……!おらあっ!」
バァーン!
何がぶつかる音を通信機が拾う。
「なんとかなりそうか?」
「……なめんなっ………!おらっ!やってやるぜ!こんな連中屁でもねぇ!」
バァン!ド…!ド!ジャァン!
恐らく、相棒が暴れる音と、何かがぶつかり合う音を背景に余裕のありそうな声が聞こえる。
「わかった………あんまり無茶するなよ」
「やるだけやったよぉ………!ごらっ!おいっ!撃つことしか出来ねぇんかおらぁ!かかってこいやぁ!」
ドォン!ガシャァ……!
乱闘の音を最後に俺は通信を切る。
………さてと、俺は………。
回れ右をして、客室に足を向けようとした俺の視界の端に、捉えたものがつかの間、俺の心臓の鼓動を止めた。
黒いジャケットから覗く紺のネクタイに白いワイシャツ。
温度を感じさせない淡々とした声、飾り気の無い黒髪、端正な顔に茶色い瞳。
外見だけで忘れることの出来ない経験が脳裏に蘇ってくる。
(黒川…………まさかここでまたとはな)
飛行船の通路は基本的に前と後ろを繋ぐ一本の通路を中心に、木の幹から枝を生やす要領で作られる。
この構造を上から見たら、亀の甲羅にあるのように見えるかもしれない。亀の甲羅の溝のようなものが通路、それ以外の所が客室や食堂などと捉えることも出来るだろう。
この中で客室に置いていくことの出来ない程大きいものや、預けたいものは貨物室に保管される。
貨物室は船尾に位置する。扉から出ることが出来ないのなら、最終手段ではあるが、着陸後に荷物を外に出すためのハッチから出るしかない。
もちろん、パラシュート無しでは自殺と同じだが。
黒川が警備員に加勢すれば、シュトゥーアも危うい。もしもの時は、ハッチから出ることも考えねばならないだろう。
(今ここで足止めする……か?いや、まだブツが見つかってない。手ぶらでは降りれん)
黒川はどうやら警備員に状況を聞いているようだ。恐らく、警備員に加勢して、貨物室へ向かうはずだ。
「シュトゥーア、ブツは見つかったか?」
「今それどころじゃっ、利かねぇよ!おらっ!」
乱闘する音と同時にされた報告は、俺にとって想定内だ。
「シュトゥーア、一分以内にそこにいる警備員全員倒して、貨物室の扉をロックできるか?!」
「あぁ………?!やったるよ、やったるやったる!おらっ!」
バァン!ダダダダダダダダ!
衝撃音と床を力強く叩く音が聞こえる。
「俺はその間パラシュートを持ってくる。それまでに警備員を倒すんだ」
「………わあったよ!………後四人!うぁぁぁっ!おらっおらっ………!後三人!」
シュトゥーアの痛がる声と殴り付ける音が聞こえる。
増援が来るまでにやってくれ。
俺は一気に客室に向かって走り出す。
人目など気にするものか。
「………おらっ!後一人!」
恐らく、飛び蹴りを放ったのだろう。打撃音と倒れ込む音が聞こえる。
いいぞ、間に合え!
俺は十字路を右に回ると、手近にあったドアノブを引いた。
「……悪あがきはおしめぇだぁ!」
バァン!
なにかを叩きつける音が聞こえて、俺は勝利宣言をする。
「やったぜ!勝ったぞ!全滅だ」
「今すぐ扉を閉めろ!増援が向かってる」
ズゥ………ガン!ガチャ
バビロンが言い終わらないうちに、俺は扉を閉めてロックする。
「閉めたぜ、つかえ棒もしとくか?」
「やっとけ」
「へいへい」
ガタッ……ガン!
「……つかえ棒もした、で、緑だっけ?」
俺は獲物の特徴を確かめる。
何かをしてる時に、他の事をしてしまうと今まで何をしていたか記憶が曖昧になってしまう。
もし、間違えていたら、時間も俺とバビロンの命も水の泡だ。一度の失敗がたちまち命取りになる事があるのだ。
「緑のアタッシュケースだ、割れ物注意のシールが貼ってある」
「了解、なんでこんな目立つのにしたんだろうな」
「…………ま、ちゃんと届ける様にってことだろうな」
「見失わないってことか?例え運び屋が持ち逃げしたとしても」
「恐らくは、な」
「ふーん、尻尾は信用置けねぇか。分かるけど分かりたくねぇな」
「俺たちもそうだものな」
「…………」
俺は黙りこくった。
分かっていることを、改めて再認識するのが嫌だった。どうにもならない事をどうにかしようとしたくて、なんとかなると思ってどうにか生きていると言うのに。どうにか己を保っていると言うのに。
どうしようもない事だってのは、分かってるんだ。
「そうだ、パレットであったやつのこと覚えてるか?」
バビロンは話題を変えた。
「黒川って言う探偵の助手」
(探偵……あぁ、そういやいたな)
「………特徴は?」
「黒いジャケットに、黒髪。端正な顔に……」
「覚えてねぇぜ」
「思い出せよ、何発か撃たれなかったか?」
「なんだ、それを最初に言えよ。心臓に二発風穴開けやがったやつのことか?それとも右腕の神経切りやがったやつか?」
「たぶん、心臓を撃ったやつだ」
俺は苦々しい思い出が甦ってきて舌打ちをした。
「澄ました顔して、冷静に撃ってきやがって………こっちは壁ぶち抜いてミンチにしてやるってのに………」
「そいつがここにいる」
俺は沈黙した。
「…………そいつぁ……不味いな……うん」
「今…警備員と一緒にそっちに向かってる」
「ど、どうすりゃ良い?」
「入っては来れないようにしただろ?一秒でも早くブツを見つけろ」
「分かった、分かった。で、お前はどうする?」
「俺か?俺はさっき、パラシュートを手に入れた。お前にも後で届ける」
「泥棒!不届き者よ!警備員を呼んで!」
後ろから女の叫び声が聞こえる。
俺は顔をしかめた。
「黙らせろよ…警備員が増えちまう」
「すぐに消えるんだ、そこまでする必要はない」
「どうやってトンズラすんだ?ここからはもう出れねぇぞ?」
「落ち着けよ。良いか、奴が貨物室に入るには扉以外からは入れない。警備員達もだ。でも、扉にはお前がつかえ棒をして開かなくした。そうだろ」
「あぁ…」
「だから、奴らは扉を蹴破ろうとしてくるわけだ。だがそれには時間がかかる。奴らが蹴破るまでにブツを見つけられるくらいの時間はあるはずだ。だから、とにかく早いとこ見つけ出せ。話しはそこからだ」
(時間制限ありかよ、かったりぃ)
「あぁ…分かったよ……」
黒川と警備員達は貨物室に近づいている。
距離は20メートルも無いだろう。
時既に、貨物室の扉の前には警備員達が立ち往生を食らっていて、それに気づいた黒川は小走りになりながら「扉を破るしかない、スクラムを組め!」と命令を下した。
このままじゃ、予想よりも速く扉は破られそうだ。
どうする。
ドォン!
スクラムを組んだ警備員と黒川が扉に激しくぶつかる。
扉はたまらず真ん中からへこみ始める。
(くっそ、持たねぇ……一戦交えるしか………ねぇか!)
俺は、左脇のホルスターから拳銃を抜いた。
バァン!
スクラムを組んでいた警備員達の真横で細い硝煙が上がる。
乾いた銃声が、奴らの目をこちらへと向けさせた。
(こっちだ!)
バンバンバンバァン!
警備員達が反撃する間もなく、四発の弾丸が奴らの足元に着弾する。
警備員達が伏せたり、逃げ惑ったりしている中、黒川だけは冷静に拳銃を抜く。
(だろうな、予想通りだ)
バァン!
とっさにすぐ近くにあった左の扉を開けて部屋に飛び込むんだ俺に、扉を貫通した弾丸が背中を通りすぎていく。
そうすると俺は、即座に通路へ倒れ込みながら反撃する。
バァンバァン!
横に倒れた状態での射撃ではほぼ命中はしないだろう。黒川には。
「ぐぁっ!」
「あぁっ!」
黒川の近くにいた警備員二人に弾丸が命中し、悲鳴が上がった。
黒川が警備員の方へ視線を移す。
(今だ…)
俺は一気に駆け出して、幾つかの扉の前を素通りし横に出られる十字路まで足がちぎれるかと思う程の全速力でどうにかたどり着く。
飛行船の外縁部につながる通路の壁に背を預け、俺はへたり込んだ。激しい息切れが俺に己の実力を痛感させた。
(まだまだだ。俺も。これくらいがなんだってんだ)
やはりシュトゥーアの様に、体力が無尽蔵にあればと思ってしまう。
「応援を!負傷者が居ます!」
警備員達が無線で増援を要請している。
俺は懐から年期の入った折り畳み式シルクハットを出すと、通路からシルクハットのクラウン(帽子の山の部分)を少しだけ覗かせた。
すると、シルクハットの天(クラウンの頭頂部分)を貫いて山に大穴が作られる。
(さすが……)
撃ってきたのは黒川のガバメントだろう。
近距離戦で高威力を誇るそいつに体を抜かれた日にはお陀仏だ。
(さて、また飛び出すか?)
そう思って相手を伺う俺に相棒が朗報を届けた。
「見つかった!緑のアッタッシュ!」
「割れ物注意の……」
「シールがあるんだろ?」
ほっと胸をなで下ろしたい気分だが、そうもいかない。
「よくやった。で、さっきから騒がしいと思うが……」
「やりあってんのか?」
「あぁ」
「………んじゃあ、なんだ?ここのすぐ近くにいんのか?」
「あぁ、ちょうど扉の前にな」
「なら、話しは早い」
パンッ
シュトゥーアが左の手のひらと右の拳が音を立てたのだろう。シュトゥーアの癖みたいなものだ。
「よしっ、やったる!俺がやったるぜ!」
「まだ、待て」
「あぁん?」
「俺が良いって言ってからだ。俺がやつの注意を引く」
「んな知るか!パラシュートでずらかるんだろ?パラシュートは見つかったのか?」
「いや、まだだ。貨物室の扉が破られそうだったから……」
「俺の事はどうでも良い!それより、二人でずらかるために行動しろ!じゃなきゃ二人とも、この空飛ぶ棺桶でお陀仏だ!」
「分かったよ……でも、警備員もいるんだ」
「黒川がいるんだ、数のうちにも入らねぇよ」
「………分かった、俺が一発撃つ。そうしたら、一気にかかれ」
「アイアイサー」
残弾は一発。これが合図になる。問題は………その一発で何をするか。
(一瞬でどこを狙うか……それとも、狙わずにそこら辺撃つか………)
通路は黒川の射線が通っていて、まともに狙うことなんて出来ない。
当てずっぽうで撃っても良いが、どうせなら少しでも相手に出血を強いておけば、シュトゥーアが戦いやすくなるだろうし、攻撃されずにパラシュートを探す時間が増える。
すぅぅぅ………はぁぁぁ………。
俺は、深呼吸をして覚悟を決める。
横に寝そべり、拳銃を右手に、折り畳み式シルクハットを左手に持つと俺は、壁を蹴った。
スゥゥ。
それと同時にシルクハットを投げる。
バァン!
シルクハットを撃ったのだろう。
黒川のガバメントから硝煙が細く昇っている。が、そんな事はどうでもよかった。
黒川がシルクハットから俺へと狙いを変えようとした瞬間、俺の拳銃が火を吹いた。拳銃についているトグルロックが上がる。
バァン!
「あぁぁっ!」
黒川の隣でテイザー銃をこちらへ向けていた警備員の右肩が血潮を揚げる。
と、同時に凄まじい衝撃音と共に、貨物室の扉をぶち破り相棒の巨体が姿を現した。
黒川が銃口を相棒へ向けようとするがもう遅い。
パァァン!
黒川の顔面に、思い切り後ろへ引いたシュトゥーアの固い拳が突き出される。
ダアァァン!
黒川は壁に思い切り叩きつけられる。
「よお…久しぶりだなぁ、黒川ぁ……!」
壁にもたれ掛かっていた黒川に、シュトゥーアが追い討ちをかける。鋭い右ストレートが黒川の左頬に突き刺さる。
なんとかなったか。
「シュトゥーア、よくやった!」
「あぁ……たっぷりいたぶってやるぜ」
シュトゥーアはそう言うと、黒川の襟を掴み上げると右の拳を引いた。
ビリリリッ………。
その時、シュトゥー!!、
倒れていた警備員が最後の抵抗を試みたのだろう。
「くっそ!」
俺は、空になった弾倉を外し、新しいものを着けるとシュトゥーアを撃った警備員を照準に定めた。
「やめろ!」
それをシュトゥーアが制止する。
「こんなもん屁でもねぇっ!」
その刹那、警備員の頭をシュトゥーアの右足が蹴り飛ばす。
「寝てろぉ、俺はてめぇに用はねぇ」
シュトゥーアは血走った両眼を皿のようにしながら黒川に向き直った。
「シュトゥーア、行くぞ」
「こいつ殺してからでも良いだろ?」
シュトゥーアは拳を握る力を強めた。
「いや、もうこの世界からはおさらばだ。一刻も早く出るぞ」
バビロンは倉庫の奥へ足早に向かう。
「ちっ……命拾いしたな」
捨て台詞を吐いてシュトゥーアもそれに続いた。
「これか?引くタイプのレバーだな」
「あぁ、貸せ、ガキの力で開くかよ」
ハッチのレバーを引こうとするバビロンの手を払いのけ、シュトゥーアはレバーを片手で握る。
ガクッ
力任せに引いたレバーは少し悲鳴じみた音を出して倒れると同時にシュトゥーアがハッチを蹴り飛ばした。
バッ
開かれたハッチから冷たい空気が雪崩れ込んでくる。
「ひぃ、さみぃ」
「降りるぞ」
「こっからかぁ……」
シュトゥーアはハッチから頭を出して辺りを見渡した。
「あのプロペラに巻きこれねぇようにしねぇとな」
開かれたハッチの前には後ろ向きに大きなプロペラが轟音と共に回っている。あれに巻き込まれたら体が二つになるだけじゃ済まないだろう。
「一気に飛び降りて、地上がはっきりと見えてきたら、パラシュートを開け。分かったな」
「わあった。でさ、パラシュートのやり方教えてくれ」
「は?」
バビロンは開いた口が塞がらなかった。
「いや、だからさ、パラシュートやった事ねぇんだよ」
「お、おぉ……なら……二つ取る必要なかったじゃん………」
「あぁ……すまね」
(軽いんだよぉ、そんなんで済むかよぉ……)
バビロンは叫びたくなる気持ちを抑えて、極めて理性的な提案する。
「お前が出来ないなら、俺と一緒に飛べば良い」
「あぁん?二人で飛べんのか?」
「別に、二人でしょえば良いんだよ」
「なんだ、思ったより簡単だな」
「ほんとなら、二人専用のもあるんだろうが、仕方ねぇだろ、ほら早く手ぇ通せ」
バビロンが喋りながらしょったパラシュートのショルダーストラップに、シュトゥーアが腕を通す。
「よっと、てっあ、これじゃ歩けねぇぜ?タイミング合わせて足動かさねぇと」
シュトゥーアは自分の背中に隠れてしまったバビロンに言う。
「あぁ、そうだな。そうするぞ」
バビロンは頭に被ったシルクハットを折り畳んで背広の懐に入れる。
「じゃ、一で、右足。二で左な」
「オーケーオーライト!」
「じゃ、行くぞ、せーの」
「「いっち、に。いっち、に。いっち、に。いっちに。いっ!?」」
タイミング良く合わせて足を動かした二人は、最後の、にっ。で前にいるシュトゥーアが踏みしめた床を蹴り飛ばしてしまったため、二人の体が完全に宙に放り込まれる形となってしまった。
バビロンにしてみれば、前も見えない状況で一気に頭から急降下したのだ。
驚くのも無理は無い。
「何が起こったぁ~!」
「飛び降りたんだよ!」
「俺はまだ、飛ぶ段階じゃ……あ、お前が前に居たからお前が飛び降りる時に俺も一緒に飛び出しちまったのか!」
シュトゥーアから見れば、後一歩で飛び降りるのだ。最後の一歩は力強く床を蹴って飛び降りたいものである。
それは恐らく、大人になっても消えない好奇心であるのだからしょうがないだろう。
「何あたりめぇの事言ってんだ?」
「びびったんだよ!仕方ねぇだろ!いきなり頭からまっ逆さまだ!想像してみろ!」
「ていうか、今もそうだけどどうするの?!」
「慌てんな、サンタクロース!こういう時のパラシュートじゃい!地上ははっきり見えるか?!」
「んあぁ……見える!というか、一面緑だ!」
「あぁ?まぁ良いや!」
バサァァ……
パラシュートが開かれた。
どうにか助かったようだ。
モルモットの白昼夢 床豚毒頭召諮問 @a35331-a-323-21-235d-m3-s1
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