うつろぶち

AVID4DIVA

うつろぶち

「うつろぶち」



配役(0:2:0)

・・・


ミヨ子:独りぼっちの女。

マダラギ:池の水面から顔を出す女。


・・・


規約

・・・

アドリブは筋道の破綻なき限り是とし、他はなし。

・・・






ミヨ子M:つらいことや悲しいことがあると、必ずこの池のほとりに来る。

この池は街のすぐそばにあるのに、人混みの喧騒とはおよそ無縁だ。

いつ来ても静かで、まるで私だけが世界から切り取られたような錯覚に陥る。



ミヨ子:ねえ、あなたいつもそんな顔してるの。だからみんなから嫌われるのよ。



ミヨ子M:私は池の水面(みなも)に映った自分に、いつものように語りかける。



ミヨ子:ほら、笑ってみなさいよ。口角を上げて、もっと歯を見せて、イーって。



ミヨ子M:涙が頬を伝っていた。

だが気にすることはない。ここには私以外、誰も来ないのだから。



ミヨ子:そうやってすぐメソメソしてさ。なによ、泣けばいいって思ってるんでしょ、弱虫!いじめられて、泣いて、またいじめられてまた泣いて、ずっと繰り返すつもりなの。弱虫。この弱虫。ミヨ子なんて、ミヨ子なんて、嫌いよ。大っ嫌い!



ミヨ子M:いつものようにひとしきり感情を吐き出して、涙が乾き始めたらいつものように帰る準備を始めよう。その時だった。



マダラギ:そんなにミヨ子が嫌いなの。



ミヨ子M:私だけの池に、誰かの声がする。



マダラギ:どうしてミヨ子が嫌いなの。



ミヨ子M:声の出どころを捜した。

池の水面(みなも)から、首から上だけを出した女の顔があった。



マダラギ:どうしてここで泣いているの。


ミヨ子:……あなたは誰。


マダラギ:マダラギ。


ミヨ子:マダラギ、さん。あなた、寒くないの。


マダラギ:どうしてここで泣いているの。



ミヨ子M:マダラギと名乗った女は、蓄音機のように同じ質問を繰り返す。

こんな時期に池に浸かるくらいだ。彼女は狂人のたぐいなのだろう。

しかし不思議と、嫌悪も、恐怖も、湧いてこなかった。




マダラギ:そんなにミヨ子が嫌いなの。どうしてミヨ子が嫌いなの。



ミヨ子M:微かな悪戯心も働いた。私は、マダラギの問いに答えることにした。



ミヨ子:嫌いよ。ミヨ子なんて大っ嫌い。弱虫で、いっつも人の顔色ばかり気にして、でも一人になるのが怖くって、自分ひとりじゃ何にもできなくて、金魚のフンみたいに誰かの群れの中の端っこを行ったり来たりして。そんな人間、誰が好きになれるの。


マダラギ:弱虫で、いっつも人の顔色ばかり気にして、でも一人になるのが怖くって、自分ひとりじゃ何もできなくて、金魚のフンみたいに誰かの群れの中の端っこを行ったり来たりするの。ミヨ子が嫌いなの。大っ嫌いなの。



ミヨ子M:私は思わず吹き出した。

この寒空の下、首まで池に浸かった女が私の吐き出した感情を鸚鵡返し(おうむがえし)する。

ああ、きっとこれは短い夢なのだろう。

夢ならば楽しい方がいい。


ミヨ子:そうよ。大っ嫌いなの。こんな、こんな自分が大っ嫌いなの!


マダラギ:ミヨ子は自分のことなの。


ミヨ子:えぇ。私ミヨ子っていうの。今度は私が聞くわ。マダラギさんはどうして池に入っているの。


マダラギ:どうして。どうしてだと思う。


ミヨ子:わからないわ。でも、とっても寒そうよ。


マダラギ:入っているんじゃないの。出てきたの。


ミヨ子:出てきた、ですって。あなた池の中に住んでいるの。


マダラギ:住んでいるんじゃないの。通ってきたの。


ミヨ子:どこから来たの。


マダラギ:うつろ。


ミヨ子:うつろ。うつろってどこなの。


マダラギ:ミヨ子、この場所を知ってるの。


ミヨ子:まことが池でしょ。


マダラギ:違う。うつろぶち。


ミヨ子:うつろぶち。


マダラギ:この淵の向こうは、うつろ。


ミヨ子:うつろって何なの。


マダラギ:何もないの。


ミヨ子:何もないわけないでしょ。今マダラギさんはどこに立ってるの。


マダラギ:立ってないの。


ミヨ子:はいはい、分かったわよ。どこに浮いてるっていうの。


マダラギ:浮いてないの。


ミヨ子:ええと、じゃあ泳いで、


マダラギ:ミヨ子。



ミヨ子M:マダラギの目が私を見据える。

左右で大きさの違う黒目から、目を離せない。



マダラギ:淵の向こうは何もないの。


ミヨ子:からかわないでよ。


マダラギ:ミヨ子が嫌いなものも何もないの。この淵の向こうには何もないの。


ミヨ子:……マダラギさん、私そろそろ戻るね。


マダラギ:大っ嫌いなのに戻るの。


ミヨ子:うん。ごめん。もう帰らなきゃ。


マダラギ:どこに帰るの。


ミヨ子:私のおうちよ。


マダラギ:おうちに帰ってどうするの。


ミヨ子:もう放っておいてよ!


マダラギ:どうして放っておくの。ミヨ子が呼んだの。


ミヨ子:私が呼んだ、ですって。


マダラギ:そうなの。ミヨ子が呼んだの。


ミヨ子:私あなたのことなんて呼んでないわ。


マダラギ:ミヨ子が呼んだの。淵の向こうを呼んだの。


ミヨ子:勝手なこと言わないで。あなた、気持ち悪い。


マダラギ:(ミヨ子の同級生たちの言葉)あの女鼻につくわね、泣けばいいと思ってる。ちょっとくらい顔がいいからって気に障るわよ。金持ちの娘に生まれただけの他に取り柄もない女。でもさ、本当気が弱いから何されてもヘラヘラ笑ってるだけ。


ミヨ子:やめて。


マダラギ:(ミヨ子の同級生たちの言葉)小突き回して荷物取り上げてそれでもついてくるのよ。いいじゃない、癇に障る財布だと思えば。そうね、それくらいしか役に立たないもの。


ミヨ子:やめてよ。どうして、どうして知ってるの。


マダラギ:(ミヨ子の父親の言葉)ミヨ子は陰気臭くてどうもいかん。(ミヨ子の母親の言葉)あの女に産ませた子供にも同じことが言えますか。(ミヨ子の父親の言葉)娘の教育一つできない女が、なんだその目は。(ミヨ子の母親の言葉)子供でさえ、事業のひとつだとお思いなのですね。

ミヨ子:やめて、お願いやめてよ。私の中を覗かないで!


マダラギ:これがミヨ子の捨てたいものなの。


ミヨ子:そう。そうよ。私が捨てたいのは、私を取り巻く全て。


マダラギ:捨てたらいいの。


ミヨ子:どうやって捨てればいいの。全て私についてくるの。私が、私でいる限り。


マダラギ:ここに捨てたらいいの。



ミヨ子M:そう言うと、マダラギは手を伸ばした。

全てから逃れたい私も、手を伸ばした。

それは届くはずもない距離だった。

重心を崩した私は、池の中へと転がり落ちた。



マダラギ:ミヨ子、この淵には何もないの。



ミヨ子M:目を開けると、マダラギの顔が真横にあった。



マダラギ:見て。



ミヨ子M:促され水面(すいめん)を見上げる。

濁った池の水が、磨り硝子のように冬の陽を散乱させている。

その向こうに、見知ったいくつもの顔が浮かんでこちらを見ていた。


マダラギ:あれがミヨ子の捨てたいものなの。


ミヨ子:そうよ。私をいじめる女学校の同級生たち。


マダラギ:あれがミヨ子の捨てたいものなの。


ミヨ子:そうよ。私を押し付けあうお父さんとお母さん。


マダラギ:あれがミヨ子の捨てたいものなの。


ミヨ子:そうよ。どこに行っても良い子でいることを望む人たち。


マダラギ:この淵には何もないの。



ミヨ子M:池は底なしに深く、身体はゆっくりと沈んでいく。

恐怖心をこえる安堵があった。

私は今、私の世界から確かに切り離されたのだ。



マダラギ:ミヨ子、捨てられたの。


ミヨ子:うん、捨てられた。


マダラギ:そうなの。じゃあ、もらうの。



ミヨ子M:目線を横のマダラギに移す。

いつの間にか彼女の顔は、私とうり二つに変わっていた。



ミヨ子:マダラギ、さん。


マダラギ:違うの。ミヨ子なの。


ミヨ子:あなたが、ミヨ子。それじゃあ私、は。


マダラギ:この淵には何もないの。



ミヨ子M:陽の光が届かぬ深きへ、私は沈んでいく。

私の顔をしたマダラギは、水面(すいめん)へと浮かんでいく。



マダラギ:わ、た、し、は、ミヨ子。

わた、しは、ミヨ子。

わたし、は、ミヨ子。

私は、ミヨ子。




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