小旅行
兄として弟に何ができるのか。
両親から兄になると言われて考えた俺が見ていたのは、貯金箱だった。
よく覚えていないが、貯金箱に小銭を入れる事、振る度にジャラジャラと音を鳴らす事にとてつもない喜びを見出していた俺は、両親の手伝いをよくして小遣いをもらっては、貯金箱に入れていた。
使い道は全く考えていなかった。
そうだ、この貯金箱のお金を弟のために使おう。
新たなワクワクドキドキが誕生した瞬間であった。
(はて、俺はどうして、少し寂れた国営公園で、大きな観覧車に兄貴と一緒に乗っているのだろうか?)
貯金箱を持ち上げながら、勝手にバレンタインチョコを食べたお詫びに小旅行に一緒に行こう。
兄貴にそう言われた俺は、即座に嫌だと言った。
あちらこちらと連れ回されては疲弊するだけなのは目に見えてわかるからだ。
けれど、兄貴はしつこかった。
そう、兄貴はしつこい。とてつもなくしつこい。
幼い頃は、よく駄菓子やおもちゃを買ってやるとしつこく付きまとわれていた。
とても小さい頃は喜んでいた、記憶は、ある。
ただ、分別が付くようになり、俺自身も月に一回、もしくは手伝いなどをした時に小遣いをもらうようになってからは、断るようになったのだ。
申し訳ないような気がしたのだ。
あのお金は兄貴が使うべきであって、俺に使うべきではない、貯めた方がいい。
そう考えて、兄貴に言った。
何度も何度も何度も。
だけど、兄貴は折れなかった。
俺が使う分と、弟のおまえに使う分はきちんと分けているから心配するな。俺はおまえの兄貴なんだ。兄貴は弟に金を使うべきなんだ。
その固定概念はどこで養われてしまったのか。
俺が使わなくていいと言い続けたおかげ、ではなく、俺が迷惑に思っているからもうお金は自分自身のために使いなさいと、両親が懇々と言ってくれたで、控えてくれるようになった。
俺の誕生日と、何か祝い事があった時に、豪勢に使う。
時々何か欲しいものはないかとしつこく言われる。
それぐらいで済んだ。
あと、恋人であるみっちゃんの登場が大きい。
お金の使い道をみっちゃんへと移行したのだろう。
みっちゃんと付き合うようになってから、兄貴の口から飛び出すのは、みっちゃんの惚気話だけになった。
はずだったんだが。
(はて、俺はどうして、少し寂れた国営公園で、大きな観覧車に兄貴と一緒に乗っているのだろうか?)
ここまでの過程が思い出せない。
気づけば、ここに至るという状況だ。
いや、うっすらと、ぼんやりと、は、覚えている。
まあいいか。掘り起こさなくて。労力の無駄だ。夕焼けが世界を包んでいる。この観覧車で小旅行は終了だろうから、もう帰れるはず。
俺は納得しながら、斜め向かいに座る兄貴を見た。
兄貴は目を眇めて夕焼けを見つめている。
話さない兄貴なんて貴重かもな。貴重だな。いや、初めてじゃないか。
俺は気が付けば、手に持っていた使い捨てのインスタントカメラのシャッターを押していた。
「夕焼けに照らされる俺があまりにもカッコよくて撮ってしまったか?」
「ああはいはい。そうですねー」
「時に、
「いや、俺はしてないけど。友達の中ではしてるって話をちらほら聞くし、俺もした方がいいかなーと思ってる。資産運用しなさいって、投資をしなさいって国も言ってるし」
「そうか。俺はしないけどな。どうせ国民を投資で肥えさせて奪い取る算段だ。くう。俺は国に振り回されないぞ。俺を振り回していいのは、みっちゃんだけだ!」
「はいはい。いっぱい振り回されてろよー」
「陽詩。おまえが株をやっても俺は止めない。ただ、これだけは肝に銘じておけ。国に振り回されて無一文になったとしても安心しろ。俺がこつこつと貯金箱に小銭を入れて貯めているからな」
「………そうならないように気を付けるわ」
「おう」
俺のために使わなくていい、使おうと考えなくていい。
いくら言ったところで、兄貴には届かない。
いつか。
届けばいい。
俺のために貯めたお金を、兄貴でなくていい。別の人物でもいい。使ってくれ。
「陽詩」
「何だ?」
「………いや。観覧車から降りたら、ソフトクリーム食べようぜ。いちごのやつ。奢っちゃる。バレンタインチョコ、食べちまった金額分だけ食えよ」
「腹壊すわ」
もう一枚撮ろうとする弟に向けて俺はピースを作りながら、思った。
無理をしているわけではないのだ。まったく。これっぽっちも。
給料全額を弟に使っているわけでもあるまいし。
貯金箱に貯めた小銭分だけだ。使っているのは。それだけを使っている。
とても喜んで。
みっちゃんには、申し訳ないが、みっちゃんに対してお金を使うよりも、弟のために使っている方が、嬉しくなる。
兄貴としての役割を十分果たしているような気がするからだろうか。
理由はよくわからないし、追求したいとは思わない。
自己満足だとは、重々承知で、だから、頻度を減らしている。から、まあ、ゆるしてほしい。
と言ったところで、届かないのだからしょうがない。
いつか、そうだな。やる事がなくて退屈する年齢になって、二人で一緒に晩酌を交わすようになる年齢になった時に、喜んでくれるようになったら。
いつかの、あの笑顔を見せてくれたら。
(俺を振り回していいのは、みっちゃん、だけじゃないんだよなー)
「なあなあ。一緒に撮ろうぜ」
「え?あ~~~。まあ。旅だしな」
「そうそう。旅だしな」
観覧車から降りた俺と弟は、暇をしている案内係にお願いをして、観覧車を背に写真を撮ってもらった。
「またほどよく貯金箱に小銭が貯まったら、旅行に行こうな」
「うん。みっちゃんと行けよ」
「みっちゃんとの旅行資金は別に貯めてるからいいんだよ~」
「くっつくなうっとうしい!ほらさっさと帰るぞ!」
「へいへい」
後日、兄貴が食べた二千七百円のマカロンボーロが送られてきた。
あっという間になくなった。
美味しかったなあ来年は食べられるだろうかと思いつつ、貯金箱に小銭を入れたのであった。
「………来年は一個くらい、渡すかな。世話になってはいるわけだし」
(2024.1.28)
坂田兄弟の貯金箱金の使い道 藤泉都理 @fujitori
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