奇跡の軌跡 十二筆仙物語

寛ぎ鯛

~辰の章~

「『奇跡』とは皆の心の内より出でて、誠の救いを与ふもの~」


 「・・・ぃ、ぉぃ・・・・、おい・・・起きろって!」

 龍二はぼんやりと霞む視界とともに、自分の耳元で大きな声を挙げている猋太の方に耳を向けた。古典の授業はすっかり終わって、教室はもう帰宅ムードだ。何か詩のようなものが聞こえていたような気もしたけれど、きっと寝ぼけていたのだろう。龍二は特に深く考えることもなく、ぼんやり帰り支度を始めた。

 この世界には、『奇跡』というものがある。ある世界では、それは「偶然」や「理想」を意味するものだが、この世界ではそれは自分の意志で「起こす」ことができるものだ。もちろん誰もが自由に起こせるものではない。それにはそれなりの修練が必要となるし、悲しいかな持って生まれた才能や、非情なことに家柄や血統といったものも要素になる。一見すると差別が助長されるような世界でも、とても平和な日々が送られている。それはひとえに、12の名家がそれぞれ与えられた使命に終始し、平和を維持しようと努めているからだ。

 龍二の家は、12名家の1つ、朧雲(おぼろぐも)家の筆系の系譜を辿る古い家だ。朧雲家は太古より、水の寵愛を受けると言われていた。人々ののどの渇きを潤す水、人々を運ぶ水、人々を癒す水、水は無くてはならないものだ。その寵愛に加えて、書に嗜み、書を深め、書を通して、『奇跡』を起こす、それが朧雲家の筆系だ。古くからの伝承で「筆系だ」なんて言われているけど、それ以外の系譜にどんなものがあるかなんて、そんなことを知る由もないほどに時は流れてしまっていた。龍二自身、習わしだからと幼少期より筆を手にしてきたが、それが一体どうしてなのか、深く考えたこともなかった。

 齢10を超える頃、少しずつ『奇跡』を起こすことができる者も現れる。名家には名家のプレッシャーもあり、龍二は8つの頃に死に物狂いで努力して、なんとかやっと小さな『奇跡』を起こして見せた。とはいえ、周りの反応は冷たいもので、龍二は寂しい思いをしたこともあった。周囲の反応が冷たいのには理由があった。皆そうとは言わないが、確実に龍二の兄、龍一の存在が大きいだろう。生まれながらの大天才、筆を握ると同時に、誰の手ほどきを受けるでもなく『奇跡』を起こし、龍二と同じ8つの頃には雨を呼んだ。身近にいる、「見える天才」、龍二は言葉にはしないが、少しずつ自分の心が擦れていくのも感じていた。

 そんな龍二をより複雑な思いにさせる要因があった。高潔な一族で、才能に恵まれた兄弟というものは、才能に恵まれない一方を蔑みがちなものだ。しかしながら、龍一は龍二のことを周りから見ても引くほど溺愛していた。龍二が「そろそろ一人でお風呂に入る」と言い出したときは、2日ほど食事がのどを通らなくなり、龍二が「そろそろ一人部屋がほしい」と言い出したときには、龍二に自分の愛情を伝えようと筆を握り、雷を落とした。そんなことに『奇跡』を使うんじゃないと、父親の雷も落とし、「俺くらいになれば、2種類の雷が落とせるのさ!」とあっけらかんとしている兄を、龍二は尊敬していたし、頼もしく思っていた、そして兄として好きだった。しかし、自分にはないものをたくさん持っている兄を羨ましく思っていたし、疎ましく思うこともあった。そうした正負の感情が龍二を内向的な性格にし、自信を失わせていった。


 「そういえばさ~来年の書初め祭り、龍二ん家が代表だよな~。」

 のんびり帰路を辿る最中、隣で猋太が突然そんなこと言い出した。いつも龍二の隣にいる猋太は龍二の幼馴染だ。猋太の家は龍二と同じ12名家の1つ獄(ひとや)家の筆系で、幼い頃から共に筆を握り切磋琢磨してきた仲である。名家同士がつるんでお高くとまって、と周りから思われるかと思いきや、時代の流れが、すっかり2人を気の合う友人として認識させていた。

 「どうせ今年は兄貴が代表だよ。当代切っての大天才だぞ!?俺みたいな凡人には縁のない話だよ。」

 「12名家の筆系が毎年代わる代わる代表者を選んで、書初めね~。いつ始まったもんだか分からないけど、俺はなってみたいな~代表者。だって、大観衆の前で書を書いて『奇跡』を起こすんだぜ?かっこいいじゃん!」

 「ほんと、お前は目立ちたがり屋だな~(笑)俺なんてそんな舞台に立たされたら緊張で字を書くどころじゃないよ。(ましてや俺はしょぼい『奇跡』しか起こせないんだし・・・・)」

 「いやいや、今日の授業で習っただろ~。『奇跡』は心が大事なんだって~。土壇場に立たされたらきっと心がこうがーって なってどーんってなんだよー。そしたら今までにない『奇跡』がぼーんって。」

 「また、猋太はそんなこと言って。確かに心も大事だけど、才能も大事って言われてるだろ~。こういうのは生まれた時から決まってるもんなの。」

 「でも俺は信じてるんだ。龍二の家にも俺の家にも、かつてはホントに『筆仙』がいたはずなんだ。今では誰だった、なんて記録もないけど、それでも俺は信じてる!俺らの中にはきっと『筆仙』の血が流れてるはず!!」

 「まーた言ってる(笑)そんなのおとぎ話だろ~。俺の兄貴だって、砂漠地帯に緑を蘇らせるほどの大雨や、火山の噴火を抑えるほどの大水を呼べやしないよ。そんなことできたら天才じゃなくて天災だって(笑)一歩間違えれば、世界を滅ぼす大魔王だぜ?」

 「そんなダークサイドにいかないから『仙』なんだよ~。人々を救う『奇跡』と優しい心を持った人格者。あ~憧れちゃうなぁ。」


この世界にはこんな伝説も残っている。それは世界が約1000年周期でなんらかの厄災に見舞われているというものだ。原因は不明だが、歴史学の見地からも考古学の見地からも、それらはほぼ史実として間違いないものと認定を受けている。そうした厄災に見舞われながらも龍二たちが今もこうして繁栄しているのは、その時々に同時に『仙』と呼ばれる『奇跡』の使い手もまた生まれているからだという。

 厄災が起こるから『仙』が生まれるのか、『仙』が生まれるから厄災が起こるのか、それは分からない。それこそもはやおとぎ話の域である。間違いなく言えることは、その『仙』は歴代12名家からのみ生まれているということだけ。しかし、現代となってはそれすらも伝承の域を脱しないものとなっていた。子供のころからヒーローものに強いあこがれを抱いていた猋太は、こうした話が大好きで、自分にもそんな力があるのではないか、と期待に胸を躍らせているのだった。一方の龍二は、家に伝わる伝説でしか知らない『仙』の存在のあいまいさに加え、自分の起こせる『奇跡』のレベルで、自分にそんな可能性があのかもなんて毛頭思っていないのであった。

 猋太とそんな他愛もない会話をしながら着く家路、話半分にぼーっとそんなことを考えながら、他方で書初め祭りに向けた準備がきっと家では始まるのだろうと少し憂鬱な気持ちも抱いている龍二だった。そして、そんな龍二と猋太の仲睦まじく帰宅する様子を、絶妙な距離感でストーキングしながら、安堵しつつも恨めしそうな顔をしている龍一もいたのだった。


 その日の夜、龍二は風呂の湯につかりながら授業中の居眠りの際に耳に残ったフレーズを思い出していた。

 「(「『奇跡』とは皆の心の内より出でて、誠の救いを与ふもの~」うたた寝してたはずなので、なんか耳に残ってるような…なんだこのフレーズ。『仙』とか『奇跡』とか、そんなの俺には・・・)」

 龍二が鼻先まで湯につかり、余計な雑念を振り払おうと目を閉じたとき、脱衣所の方からバタバタと激しい音が聞こえた。聞こえたと思ったら、バタンと扉が開いて龍一が飛び出てきた。

 「龍二~!!!!久しぶりにお兄ちゃんとお風呂はいろ!!!!?」

 「ば!!!!!」

 「(にこにこ)」

 「やだよ!俺、もう出るところだから!!ごゆっくり!!」

 「え~ん」

 龍一は龍二に躱され、壁に激突した拍子に片方の角がへし折れていた。そして、冗談を言いながらも空に「癒」の文字を書き、既に再生が始まっていた。

 欠損した身体の治癒をいとも簡単に起こす兄のことを複雑な気持ちで眺めながら龍二は言った。

 「兄貴はもう朧雲家の代表になんだから、こんな変なことばっかりしてんな!」

 「そんなのまだ決まってないぞ~^^」

 「決まってないもなにも選ぶ必要すらないの!俺は落ちこぼれで、兄貴は天才!どっちかじゃなくて兄貴しかだろ!」

 「でっm」

 「「でも」じゃない!兄貴なの!俺は、、、俺の『奇跡』なんかじゃ、みんな良い年を迎えらんないよ。俺の『奇跡』じゃ、みんなを元気にしてあげらんない!俺の『奇跡』じゃ、誰も「救えない」!!(「俺の『奇跡』?「救う」?俺、何言ってんだ?そんなこと微塵も思いすらしなかっただろ?なんでこんなこと兄貴に言ってるんだ?)」

 「龍二!」

 「…」

 「んも~かわいいなぁ~お前は~お兄ちゃんチューしっち(ry)

 龍二は扉をバンと勢いよく閉めた。その拍子に龍一が扉に張り付いたのを確認した。


 火照る身体を風呂上りのせいにして、龍二は着物をまとうやいなや足早に自分の部屋へ急いだ。いつもの家の廊下も、階段も、居心地が悪くて、鬱陶しくて、一人になりたくて、部屋に着くやいなや電灯も点けずに布団に飛び込んだ。自分の心が、自分の知らない心が勝手に動き出して、自分が自分でなくなるような気持ちでいっぱいで、ぎゅっと目をつぶってやり過ごそうとした。

「(『奇跡』とは皆の心の内より出でて、誠の救いを与ふもの~」)

やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ」

頭の中をめぐる詩に小声で対抗する龍二、乱暴に閉めた弾みで開いたふすまの隙間から父・龍造が覗いていた。


 昨晩はいったいいつ眠りに落ちたのか、それすらよく覚えてないまま、龍二は黙々と朝食を食べた。龍造は相変わらず朝食とは思えない量を食べているし、龍一は5秒に1回は自分の様子を確認してくる。母はいつものように優しく「おかわり、いる?」と聞いてくれるが、あまり食欲もわかず、「大丈夫」とだけ言って朝食を終えた。

 家の中には多くの親戚がいる。朧雲家筆系の者が一つの城内を共有するように生活を営むのが、この世界の家の特徴だろう。そんな中、現筆系当主の龍造の次男が落ちこぼれというのは有名な話だった。

 現当主の龍造と、長男の龍一は持ち前の才覚で多くの者を黙らせてきた。そうはいっても、名家という聞こえにだけプライドを持つものも一定数おり、龍二はそうした者からは恥さらしとまで思われていたのだった。それについては龍二も感じ取っており、いつも家の中では隠れるように移動していた。そして、今日もまた、足早に部屋へ戻った。

 一方、龍二の去った食卓では神妙な面持ちで龍一が口火を切ったのだった。


「父さん、母さん、提案なんだけどいいかな?来年の書初め祭り、朧雲家の代表を龍二に任せるのはどうだろう?」

「あら、あら、どうして?」

「またいつもの弟贔屓か?」

「もちろん、これは当主の父さんと母さんが決めることだよ。俺に出しゃばる権利はない。」

「なら、分かるだろ?これは12名家が代々続けて、」

「待って、あなた。龍一、どういうことか教えてくれる?」

「(ママの言うことなら仕方ないね)」

「昨夜、龍二が「俺の『奇跡』じゃ「救えない」!」と言ったんだ。お世辞にも、龍二は『奇跡』を起こすことが得意とは言えない。でも、龍二は『奇跡』は人を「救う」ものだと分かっているんだ。大きな『奇跡』を起こせたとしても、俺はそんな風に思えたことはないように思う。俺にはなくて、龍二にはあるもの。龍二は、きっと『仙』の心を持っている。」

「!」

「!」

「お前、どうしてそんなことを…」

「父さんや母さんは昔からおとぎ話のように聞かせてくれてたよね。俺、こう見えて優秀な部類だから、知的好奇心っていうの^^うずいちゃって、書庫とか蔵とか漁っては調べてたんだよね^^」

「!」

「『仙』は空想上の存在じゃない。本当に実在していた。そして、大きな役割を果たしていたんだ。そうでしょ?」

「そこまで知っているなら仕方ない。そうだ、『仙』はいる。かつては筆系の『仙』、『筆仙』もいた。だが、具体的にいつ居たのか、どうしたのか、そういったものは残っていない。それは、なぜか。意図的に残さないようにしたからだ。だから、代々当主にのみ口頭で言い伝えられてきたのだ。」

「あなた….」

「仕方ない、ここまで知っているんだ。話すしかないだろう。龍一、お前のように生まれながらに『奇跡』を起こし、若いうちから才覚を現す。多くの『仙』もそうした過去があるだろう。私も、お前が初めて筆を手にしたとき、この子がもしや『仙』なる器か、と思ったよ。でも、きっと違ったんだろう。お前は確かに優秀だ。家の者は皆お前を認めている。しかし、『仙』の起こす『奇跡』には遠く及ばないのだろう。ここからは私も言い伝えでしか聞いていない。しかし先人たちがほら話として伝承するするとも思えない。」


「『仙』の力は『真なる奇跡』だ。我々が「偶然」と呼ぶものや「希望」「理想」と呼ぶものを「起こす」のが『仙』の『真なる奇跡』なんだ。桁が違う、次元が違う、到底思いつくような範疇ではないんだよ。」

「『真なる奇跡』」

「でも、そこまでのものをどうして意図的に隠す必要があるんだろう?」

「それはな。」

「あなた!!!」

「!」

「龍一、まったくあんたって子は、優秀なのも考えものよ(笑)そして、何よりも弟思いの良いお兄さんね。わかりました。次の書初め祭り、朧雲家の代表は龍二とします。」

「(あの~わしの立場が…)」

「龍一、しっかりサポートしてあげなさいよ。」

「忙しくなるなぁ^^」

「(わし….悪い子?)」


 それから数日が経ち、龍二は窮地に立たされていた。

「(なんだ…なんで俺が、家系の会議に呼ばれるんだ?)し、失礼します。」

 襖を開け、大きな広間に入る龍二に多くの視線が集まった。今日は定期的に開かれている朧雲家の家会議だ。もちろん当主のである龍二の父・龍造が真ん中に座り、それを囲むように傍系の親戚たちも居並んでいる。この親戚たちの中には『奇跡』の程度が低い龍二のことを蔑む者がいることは先ほど述べたとおりだ。

 周りを見渡すと、兄が満面の笑みでこちらを見ている。

「あれ…兄貴も呼ばれてるのか。この会議に子が参加するなんて聞いたことがないぞ。まぁ、でも、次代の当主だし、次の書初め祭りの代表だし、当然か。」

「さて、役者は揃った。今日は来る新年の書初め大会の代表者について皆に伝えようと思う。」

「(はいはい兄貴ね。)」

「次の代表者だが、私の息子、龍二とする。」

「(兄貴、頑張れよ~)」

「!!!!?」

「(龍二って言った?龍二って言った?お、おおおお、おれ、龍二だっけ?)」

 大広間からもどよめきの声が上がっている。この中の全員が兄貴だと思っていたところで、なんの期待もされていないであろう龍二が選ばれたのだ。中には龍二をきつくにらむものまでいる始末だ。


「龍造、なにを言ってるんだ!」

「そうだ、血迷ったか?いくら実子とは言え、それは暴挙だ!」

「どういうことだ!説明しろ!」

 大広間は大混乱だ。あれもこれも全て父が血迷った発言をしたせいだ。とはいえ、龍二は何も言うことができず、ただただ混乱する会場との隅で、目の前の発表を受けて震えているだけだった。

 すると父がおもむろに筆を取った。そして、次の瞬間。

 大地が避けるような轟音とともに幾重にも重なった稲妻が天守閣に落ちたのだった。どよめいていた会場はすっかり静まり返り、皆、父の起こした『奇跡』に震えていた。


「何か、文句のある奴は?」

 龍造がゆっくりと言った。どう考えてもさっきまで文句しか言われてなかったと思うがこの剣幕である。気圧された周りの者たちは何も言わず、その決定を受け入れた。

「これにて、終了。龍二、しっかりと役目を果たせ。以上だ。」


 龍二は目の前で何が起こったのか、分からぬまま出された決定に、何も言う間もなく会議は終わった。そして、兄を一瞥すると、変わらぬ満面の笑みでこちらを覗いているのが見えた。そして瞬時に、兄の差し金だと察したのだった。


「っこの、馬鹿兄貴!!なんてことしてくれたんだ!!」

 廊下に出るやいなや兄に詰め寄り、事の顛末を問いただそうとした。

「な~んにもしてないよ~。父さんが決めたことだよ~。」

 なんて白々しい反応だ。龍二は兄の無責任な行動に腹が立った。

「どうしていっつもそうやって、飄々としてるんだ!朧雲家の評判にかかわる大事なことなんだぞ!!どうして!!俺なんかが出てってしょぼい『奇跡』を起こしてみろ!!父さんも、兄貴も、ひいてはみんな笑いものだ!!」

「そんなに、気にすることかな~家の評判なんて。」

「それだけじゃない!!新年の一番大事なスタートなんだ!みんなが新しい年を充実した年にできるようなスタートのときなんだ!」

「みんなって?」

「みんなはみんなだ!家の者だけじゃない、ほかの12名家もそう、それにそうじゃないみんなもだ。みんな代表者の起こす『奇跡』で快く迎えるんだ!」

「龍二の『奇跡』ではなぜだめなんだい?龍二の起こす素晴らしい『奇跡』じゃないか。」

「俺のしょっぼい『奇跡』でどうおめでたムードを演出するんだよ!みんながっかりして、新年迎えるどころじゃないよ。」

 龍一は何も言い返さずに龍二のことをじっと見つめていた。

「あ~終わりだ~、ただでさえ家の人から疎まれてるのに~これで俺、家の外でも疎まれる~終わりだ。」

「『奇跡』は派手ならいいのかい?」

「えっ?…」

「派手ならみんな良い年を迎えられるのかい?」

「それは…」

「父さんみたいに雷を呼べば、確かに派手だね。でも、小さい子はどうだろう?怖くて泣いてしまうんじゃないかい?それにびっくりする人もいるだろうね。それでみんながほんとにハッピーかな?」

「で、でも…」

「龍二、自分のことを過小評価しすぎるもんじゃない。俺は、龍二にだって皆の心を「救う」『奇跡』が起こせると信じている。」

「(「救う」…『奇跡』…)」

「お兄ちゃんも手伝うからさ!!^^」

「くっ…!」

 かくして、龍二は書初め祭りの代表者となった。さて、じっくり腰を据えて準備を、と言いたいところだが、書初め祭りは来週に迫っていたのだった。


 『奇跡』は修練で伸ばすこともできるが、それには血のにじむような努力が必要不可欠だ。それ故に一朝一夕でどうこうできる問題ではない。龍二には1週間で書初め祭りに備えなくてはいけないのだった。

 龍二は初めて『奇跡』を起こしてから修練は続けていたものの、やはりはた目から見ると落ちこぼれと言わざるを得ないレベルの『奇跡』しか起こせないでいた。今更、『奇跡』のレベルを上げることは不可能だ。となれば、何ができるか、龍二は頭を悩ませるのだった。

「派手さだけが新年にふさわしいものじゃないとしても、、、実際どうすりゃいいんだ。兄貴は天才で、どんな奇跡でも起こせるから余裕だろうけど….。俺は手札がそもそも少なすぎる。」

 龍二は兄に言われたことを思い出しながらぼーっと虚空を眺めた。午後の陽光が窓から差し込んでいて、冬だというのに日向は温かい。太陽の光に包まれて、龍二はうとうととし始めた。

「陽の光はいいなぁ…あったかくて。いつだってあったかく照らしてくれる。みんなに等しく降り注ぐ。」

 窓の格子と自分の影に目をやりながら龍二はゆっくりと目を閉じて、深呼吸をする。

「陽の光みたいに、人々を照らすことができればきっとその年は温かくて、明るくて、前向きな気持ちで過ごせるだろうな。そんな『奇跡』が起こせたらなぁ…。」

「って、そんな疑似星を生み出す『奇跡』なんて、それこそ『仙』だな(笑)俺にそんな才能も力もありません(笑)せいぜいミラーボールを持参するくらi」

 その時、龍二に雷に打たれたような衝撃が走った。自分の持てる力で起こせる『奇跡』、それを用いて人々を照らす方法。龍二にアイデアが浮かんだ。と同時に、龍二は龍一の元へ走り出した。


 今年の書初め祭りは代表者の意向もあって、早朝にとり行われた。年を迎えた瞬間は快晴で盛大に祝われていたが、あいにく明け方には曇天で小雨がぱらつくような天気であった。会場は海辺に用意され、多くの観衆が今年の代表者の書を見に集まっていた。

 事情を知らない者たちは毎年の大イベントを楽しみにしているが、朧雲家の者たちは皆戦々恐々としており、今年の失敗を想定し、落胆している様子であった。もちろんほかの12名家も集まっており、龍二から何も言われていない猋太は最前列で代表者の入場を待っていた。

 思い思いに傘を差したり、カッパを着たり、上から見ると色とりどりで綺麗な様子であったが、龍二は内心穏やかではなった。しかし、ここまで来たからには失敗するわけにはいかないという強い覚悟と、観衆の一年のスタートを前向きに彩りたいという思いがあった。

 さあ、ついに書初め祭りの始まりだ。朧雲家の代表である龍造が、今年の代表者の名を叫んだ。「さぁ、我が息子による、書初めである!!!」

 観衆の目が、一斉に龍二に集まると同時に、龍二に淡いスポットライトが当てられた。猋太はそこに友人の姿を見て、驚きのあまり声も出せず、とはいえ、龍二の状況を知ってるからこそ、武者震いにもにた震えを感じた。

二「(今までしっかり手にしたことのない大筆。重い。なんて重さだ。

  でも、俺はやる。皆を『救う』『奇跡』を起こす。)」

 龍二の瞳に熱が宿り、首元には痣のようなものが現れた。いや、淡いスポットライトが生み出した影だったのかもしれない。決して立派な体格とも言えない、そして、天才とも言えない友人の姿に猋太は期待と不安を同時に覚えた。

 時刻はちょうど午前6時。龍二は力強く、それでいてしなやかに空を切るように書を運んだ。『辰』。

 『辰』の字が書きあがると同時に、龍二の『奇跡』が発動した。その『奇跡』はとても小さなものだった。小さな割れ目を曇天の空に作った。多くの者の落胆する声やため息が漏れる中、龍二は鋭いまなざしで海の上の雲にできた割れ目に目をやった。

二「『奇跡』とは皆の心の内より出でて、誠の救いを与ふもの!

  俺は、みんなに光を届ける!!!」

 すると次の瞬間!小さな割れ目から陽の光が一直線に会場に差し込んできた。暗い雲に覆われていたが故にその日の光は力強く、とても鮮やかに会場を包んだ。まるで龍二が太陽の光を呼んだように、人々は寒い曇天の空から一気に温かい陽光に包まれることになったのだ。

 会場に差し込む陽光ゆえに、龍二の姿は逆光で見えなくなったが、多くの人は闇を切り裂く光を生んだ龍二に歓声とあふれんばかりの拍手を送った。そして、龍二は2つ目の『奇跡』を起こした。

 すでに降っている雨を『奇跡』で細かくミスト状に変え、光の反射を幾重ににも発生させたのだ。ステンドグラスの世界のように、光は反射に反射を重ね、まさにそこは虹に包まれたようだった。龍二は小さな『奇跡』で多くの演出をやってのけたのだ。

 雲を割り、陽の光を差し込ませてから、反射で虹に包まれる演出をもって、龍二の書初めは終了し、いざ終えてみれば、多くの観衆が大歓声を上げ、皆が笑顔に包まれている。気づけば雨も上がり、次第に雲も晴れていき、本格的な初日の出だ。

 猋太は舞台の上の龍二を眺めながら、感動のあまり涙がこぼれてしまった。そんな様子を龍二も眺め、猋太に満足げな笑顔を向けたのだった。

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奇跡の軌跡 十二筆仙物語 寛ぎ鯛 @kutsurogi_bream

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