数学乙女と恋の公理
道草
第1話
これは恋であるか、否か。
恋を経験したことのない彼女は、恋というものを数学的に捉えることにした。それは彼女の十六年間の人生において、他に類を見ない難問であった。
彼女は大いに戸惑った。心拍数は指数関数的に上昇し、視線は縦横無尽の動点Pを追うように自然と相手を求め、方程式の解が無理数を示したときのような掴みどころのない気持ちが常に心を覆い、半径約五ミリの瞳孔の円は徐々にハート型に変形していくようであった。
非数学的に言えば、それは一目惚れに等しかった。彼女はその相手——そうじ君という眼鏡少年である——の優しい微笑みに幾何学的美妙を見出し、恋に落ちたのである。
だが本人はそれを恋だとは認めていない。恋の真偽には公理による綿密な説明、すなわち証明が必要であると彼女は考えた。あらゆる定理を駆使し、その真偽を明らかにしようという所存である。
しかし、恋に不変の原理は存在しない。これが恋を難問たらしめる所以である。白紙を用意して確かなものから書き留めていこうとしても、そこには何もないのである。それはおぼろげである。広大無辺の紙面上で、彼女は煩悶した。
そもそも恋を数学で解決しようとしている時点で、彼女の恋路には一抹の陰りが見られた。そんな彼女に目を付けられてしまったそうじ君も気の毒である。だが彼女はひねくれているわけではない。あくまで彼女は純粋である。
純粋ゆえに、これは質が悪いのである。
*
そうじ君はある悩みを抱えていた。教室の特定の方向から、常に視線を感じるのである。それは視線というよりむしろ熱線で、彼の身をじりじりと焦がすかとも思われた。具体的に言えば、彼の左斜め後ろ、窓際の席に座る
その構図はさながら、小動物とそれを狙う鷹のようである。傍から見れば、高校入学早々ながらそうじ君に明るい未来はないかと思われた。
しかし、世間一般的な尺度で説明すれば、これは恋慕の視線であって、意中の相手の姿を目に焼き付けようとする自然な行為である。もっとも小衣良の場合は恋の公理を見出すべくそうじ君を観察しているわけだが、これも広義に解釈すれば恋慕と言えるだろう。
小衣良は無口な人で、そうじ君も彼女とは話したことがなかったので、なにゆえ視線を向けられるのか理解しかねた。彼は産まれたての子鹿のようにぷるぷると震えた。彼とて平穏な高校生活を望んでいたが、決して生易しくない小衣良の恋心が熱線となって彼の肝っ玉を縮み上がらせたのである。
一方小衣良は、いくらそうじ君を観察しても恋の公理を見つけ出すことができず、恋煩いの典型的症状に悩まされていた。睡眠不足、食欲減退、加えて呼吸困難に日夜苦悶し、日に日に体調を悪くした。
まったく進展のない現状を打破すべく、小衣良はそうじ君との接触を図ることにした。小衣良の席を原点とすれば、そうじ君の席はx軸(横)方向に2とy軸(縦)方向に3進んだ位置にあった。机一つを方眼と見なせば、二人の距離は三平方の定理より√13である。
これは小衣良にとって、決して近い距離ではなかった。
彼女はそれなりに数学の才を備えていたが、その代わりコミュニケーション能力の大半を失っており、僅かに残されたコミュニケーションツールは首の上下左右運動と「む」という一言のみであった。彼女は多くを語らないが、語るときは数学で語るので、大抵の人には伝わらない。
自力で困難ならば、縁結びの神様に一切を委ねるという手もあったが、小衣良はこの方法では確率的に不可能に近いことを理解していた。
銀河系の高等文明の存在数を推定するドレイクの方程式によれば、運命的出会いというものは0.0000034%の確率で起こる。しかし小衣良とて銀河系規模の確率に身を委ねるようなことはしない。数学において解は自ら導き出すように、そうじ君との距離も自ら詰めなくてはならない。
さて小衣良がとった行動は、これまたそうじ君を混乱に陥れる奇妙なアプローチであった。
小衣良は授業中、そうじ君の足元めがけて消しゴムを弾いたのである。消しゴムは机や椅子をくぐり抜け一直線にそうじ君の足元へと滑り、やがて彼の履く上履きに衝突した。
そうじ君と小衣良の席はやや離れているのにもかかわらず消しゴムには「小衣良」と名前が記されていたため、それを拾ったそうじ君は消しゴムが小衣良の席からどのような軌跡を描いて彼の元へとやってきたのかわからず困惑した。
されに彼は、その消しゴムをどのように返すべきか悩んだ。√13という距離は、消しゴムを返すには遠すぎたようである。
振り返ると、小衣良の眼光がそうじ君を射た。そうじ君は喉の奥で「ひえ」と言ってまた前を向いた。
結局、彼は困惑と恐怖のため授業中ずっと小衣良の消しゴムを持ち続け、それは休み時間に返されることとなった。
かくして、彼らは非運命的な出会いを遂げる。
*
「これ、小衣良さんの消しゴム……ですか?」
そうじ君はやはり子鹿のように足を震わせながら小衣良に言った。小衣良は答える。
「む、あり……」
彼女は「うんありがとう」と言いたかったのである。
「じゃ、じゃあ」
消しゴムを返し、そうじ君が立ち去ろうとすると、小衣良は振り向こうとする彼に「まて」と言った。促音を忘れたため高飛車な
小衣良は消しゴムに続き、第二段階に進んだ。連立方程式の解がグラフ上では両方程式の交点として示されるように、彼ら二人の間にも共通解が必要であると彼女は考えたのである。
彼女は数学のノートを開き、たった今授業で板書を写しとった部分に人差し指を置き、「わからぬ。教えて」と呟いた。この「ぬ」も故意ではなく、舌足らずで「ない」が上手く言えなかっただけである。
そうじ君が彼女の指先に視線をやると、そこには条件付き確率の公式が記されていた。無論彼女はそれを理解していたが、そうじ君と関わりを持つべく、わからないフリをしているのである。
「えっと……」
そうじ君はまたもや混乱した。先程から混乱してばかりである。彼は黙り込み、そのまま小衣良の指先の公式を見つめた。
小衣良は自分の人差し指を見つめられていることがいたたまれなくなり、指を引っ込めた。しかし、該当部分を指し示していなければならないという義務感が働き、また指を公式の上に戻した。彼女はその往復運動をしばらく繰り返した。
「……その公式がわからないの?」
「む」
小衣良は頷いた。
そうじ君は心優しき青年であった。彼は「わからない」としか伝えられていないのにもかかわらず、丁寧にその公式について説明を始めた。
彼の説明を聞きながら、小衣良はその中に恋の公理を探した。声に、表情に、それから匂いの中に探した。
「——だから、この例題では、答えが562分の1になる」
そう言ってそうじ君が小衣良の表情を窺うと、彼女は顎に手を当てながら何かを探っているようであった。それから彼女は、突然妙なことを呟いた。
「562分の1、一目惚れの確率」
「え、何が……?」
そのときチャイムが鳴った。小衣良はノートをしまい、次の授業の教科書を取り出した。そうじ君は疑念を抱きつつも、小衣良をちらちらと窺いながら自分の席へ戻っていった。
*
一目惚れの確率、562分の1。小衣良はこの数値そのものではなく、「確率」という言葉を思い出してふと懐疑した。
例えばサイコロを振ってどの目が出ようと、その数字が出てくることに理由はない。どの目もただ6分の1という確率に従っているだけである。同様に一目惚れというものもある確率のもと働いているのだとすれば、そこに理由はないのではないか。小衣良はただ562分の1という確率に従っただけではないのか。
果たしてそれを、恋と呼ぶのか。
小衣良は恋の定義から考えなければならないことに気が付いた。恋とは何か。
この答えは、いくらそうじ君に熱線を浴びせようと得られないものであった。何故なら定義というものは自ら定めるものであり、あらかじめ定められた定理とは異なるためである。
小衣良はまず、そうじ君の幾何学的微笑を見たときから起こった自身の異変をノートに整理した。授業中だったが、彼女は構わなかった。
『事象A:体温上昇
事象B:心拍数上昇
事象C:食欲減退
事象D:睡眠不足
事象E:呼吸困難』
小衣良が恋に落ちていると仮定すれば、そこから導き出される恋の定義は、換言すると、次のようなものであった。
「……病気」
小衣良は愕然とした。もしこれが恋ならば、彼女は今病気にかかっているということである。恋とは病気のことなのだろうか。
得心しかけて、小衣良ははたとペンを止めた。結論を急いではならない。
恋=病気が成り立つとすれば、彼女はもっと不快だったはずである。身体的には決して楽ではないが、心の状態はどうか。そうじ君を見ているとそこには暴風が吹き荒れるが、それは春の予兆である。春の匂いを孕んだ、幸せの暴風雨である。
そこに病気という定義は馴染まない。
そもそも「小衣良は恋に落ちている」ということを仮定とする時点で誤りである。これは最終的な結論であって、結論の前提が結論そのものならば、論理が破綻するからである。
思考の対象を恋の定義に移した際に、小衣良は迂闊にも循環論法を呈してしまったのである。
小衣良は哲学的思考の沼にはまった。恋とは何か。
ふと顔をノートから上げると、板書を見つめるそうじ君が視界に入った。
彼女の目の前には同じ制服に身を包んだクラスメートの背中が均一に並んでおり、一様にペンを動かしている。その中でただ一人、そうじ君だけが印を付けられたように強調されて見えた。実際は何もないが、小衣良にとっては意味のある何かがそこに存在していた。
まるで虚数のようだ、と彼女は思った。
2乗すると-1になる数、虚数単位i。これは人間が普段扱う数である実数とは区別され、一見存在しないようで存在する、幽霊のような数である。
どれだけ哲学的に考えようと、小衣良が「虚数i=愛である」というような見苦しい結論に甘んじることはない。結論を急いではならない。彼女は数学的思考を止めない。
彼女は探る。そうじ君の横顔に。自身のペン先に。海馬の末端に。√13という距離の中で動く動点pを捉え、二人の共通解を思い出し、実数では表せない気持ちに文字を与えて定義する。
小衣良はそれを「恋」と定義した。
恋の公理。疑いようのない確かなもの。それは恋の存在を認めることで初めて姿を現した。
「それを恋と認めたならば、そこに恋は存在する」
小衣良は当初、存在するであろう恋の公理から演繹的に自身の状況を説明しようとしたが、これは不可能であった。
恋は、それを認めることによって初めて考えることができるものである。
かくして小衣良は恋を自覚したが、これは次の段階への過程にすぎない。彼女はようやく出発地点に立ったのである。
そうじ君も、まさか小衣良が自分に恋しているとは思わないだろう。それに自覚するまでに思考の紆余曲折があったとも思わないだろう。だが彼は、今後も小衣良によって幾度となく混乱させられる運命にある。
そうして彼らの共通解も増えていくのである。
数学乙女と恋の公理 道草 @michi-bun
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