【ボツ】怪Vtuberの殺人オークション・チャンネル(終).text
「それにしてもわからん」
廊下を通り、ライブステシージそばのバーカウンターでビール瓶の後片付けをしながら──サイはポツリと呟いた。
「ホロウはどうしてトイレに出てきたんだ? 電波が届いてたからって理屈はわかる。だがそれだと、鏡に突然映ってた意味がわからん。受信できる機器は何も持ってなかったんだぜ」
「……もしかしたらですが……元ネタがあるんじゃないですか?」
ドモンは最後の一本にすると嘯きながら、ビール瓶を開けてぐびりと煽り始める。
「元ネタ? マリーとホロウにか?」
「君、スリーピー・ホロウってドラマ見たことありません? ジョニーデップの映画でもいいです」
サイは首を振った。彼はホラー映画はまあまあ好きだが、ドラマには弱い。それに趣味が大作系に偏っている。あいにく知らなかった。
「首無しの騎士が首を狩るってオバケの話ですよ。それに、マリーの挨拶。名前を三回唱えてました。……鏡の前でそう言うと出てくる、ブラッディ・マリーってのもあります」
「なんだよ、妙に詳しいな」
「寝る前に都市伝説系の記事とか動画とか見るとよく眠れるんですよ」
「あー……気持ちはわかる。……おいちょっと待てよ。じゃあなんだ? やつらはマジのバケモノだったってことか?」
「そういうことだと考えると、辻褄が合うんですよ。ネットの世界というリングにうまく乗ったオバケと僕らは戦ってた。……オバケの世界もイノベーションする時代ってわけですかねえ」
しみじみとドモンはそう締めくくった。ひととおり片付けを終えた二人は、長い三日間を終えようと、外に出るため電気のスイッチに触れようとした。
ぶる、とサイが持っていたスマホが震えたのは、そのタイミングだった。
画面を見ると、到底考えられない通知が来ているのが見えた。
マリー&ホロウのおしゃべりチャンネル『2』。2? あのチャンネルは、つい十分ほど前にBANされて消滅しているはずだ。
「……嘘だろ。なんかの冗談か……?」
ドモンが止める前に、サイは思わず通知をタップしてしまっていた。直後、ドモンはスマホを叩き落としたがもう遅かった。
画面から青白い触手がずるりと飛び出してきている。ドモンは咄嗟にサイを突き飛ばし、触手と共に飛び出したホロウの首に、バットケースごと刀を叩きつけた。
ボールのように地面を跳ねる首。その顔は憎悪に歪んでいる。黒く淀んだ恨みがましい瞳が、転がりながらドモンを射抜く。
首がステージまで転がって、アンプの影に隠れた直後──青い光を纏いながら、黒い影が立ち上がる。ホロウの首から下が、先程やりあった時のように完全に再現されている──しかし、ひび割れのように全身に走った青白いクラックから、皮膚が剥がれるようにテクスチャがぼろぼろ落ち、余裕のなさを感じさせた。
「斬ってやるゥ……首ィ……奪ってやるゥ……体をォオ!」
ゴボゴボと口からテクスチャを吐きながら、ホロウはナタを引きずって床を削る。ドモンはバットケースから刀を引き抜く。最終ラウンドのゴングが頭の中で鳴った。
「なんだよこれ、どうなってんだ!? 二十万、三十万──なんでこんなに再生回数が!?」
サイはスマホを見ながらパニックを起こしていた。再生回数カウンタが回転し続け止まらないのだ。
「人気があるからに決まってんだろうがクソボケがァーッ!!」
片腕とは思えないホロウの膂力から放たれたナタが、火花を散らしながら刃の表面を滑っていく。ひとえにドモンの技術によるものだが──これが並の人間なら頭をカチ割られて終わりだったろう。
「人気、人気ですか。数字だけでしょそんなもんは。意味あるんですか、そんなの」
「数字はな……力なんだよォ!」
ホロウがテクスチャをごぼごぼ吐きながら、ナタを振り回す。ドモンがそれをいなす。火花がそのたびに散って、彼の視界の端に、刃が欠けたことで飛ぶ金属粒子が輝いて見えた。
このままではまずい。
ドモンがそう考えた刹那、ホロウがナタの軌道を変えた。肘を考えられない方向に回転させ、ドモンの下から斬り上げたのだ。咄嗟にそれを防ごうと、刃を地面と水平に構えたのがまずかった。刃が半分近く入ってしまったのだ。
ホロウがにやあ、と笑った。
「折ってやるゥ!」
今度は上段から力まかせにナタを振り下ろす。甲高い音がライブハウス全体に響き渡り、刃が地面に突き刺さる。ドモンの刀は完全に真っ二つに折れてしまった!
「まずい! ドモン逃げろ!」
サイの叫びが、妙にスローに聞こえた。黒光りする刃もまた、先程に比べてゆっくり迫ってくるように見える。
何故だろう?
ドモンは悠長にもそんな疑問を浮かべ──上から迫るナタの軌道を、身体ごと躱して避けた。今までのホロウ相手ならば、そんなことができようはずがないにも関わらずだ。
なおも殺意混じりに振り回す彼女の刃を、ドモンは完璧に見切りながら二度、三度と避けて──。
「しつこいんだよォオお前ェエ! 死ねエェェエ!」
袈裟がけに切り下ろされた刃がドモンを襲う。彼にはもう焦りはなかった。『見切った』。
その次の瞬間にはもう、彼はナタの刃を指三本で摘んで止めていた。
サイは目を見開いたまま呆気にとられていた。何が起こったのか全然わからない。ホロウのパワーはドモンだけでなくサイもよく知っている。ありえない。指どころか胴体ごと切断されてもおかしくないのに。それをあんなふうに止めるなんて。
「な、なにィィッ!?」
「オバケの世界も大変なんですねえ。やったことのないことを始めてまで生存戦略を練ったわけでしょう? 同情しますよ」
ドモンはベルトのバックルを左手で引き抜く。殺意がこびりついた淀んだ黒い瞳がホロウを射抜き──特殊金属で出来たベルトが硬質化し、ブレードと化した。
「ただ、僕や僕の友達にちょっかい出すのはいただけませんねえ。……死んでもらうぜ、化け物」
指を離し、開放されたのを見てホロウは動揺する。何故かがわからない。目の前のこの二人に負ける意味もわからない。マリー&ホロウは、再生数カウンタが回転し続ける限り無敵。無敵のはずなのに!
「……まさか……! お前、わかってるのか! この私の秘密を解いたとでも!?」
「あ〜……殺す前にベラベラ喋るの、好きじゃねんですよ。──だから、あんたに言えるのは一つです。『そのとおりですよ』」
ホロウが咆哮し、ナタを振りかぶりながら飛びかかってくる。ネタが割れれば大したことなどない。そしてヤケクソになったら『殺す者』はおしまいだ。いつでも冷静に、やるべきことを殺る。
「あんたのクソつまんねえ配信も、これでお終いです」
刃がナタごとホロウの胴を両断! そのまま切り上げられた刃は、ホロウのお面を取ったように綺麗に顔の正面を削り取った!
人間ならば血塗れ、血の池の中に沈む定めだろうが、ホロウはバケモノだ。膝を折り、無言のうちに正面に倒れ、青白いテクスチャを撒き散らしながら──やがて消えた。
何も残らなかった。戦いの傷跡と、再び散乱したゴミが、ホロウの存在が真実であったことを物語っていた。
サイは三日間で一番大きなため息をつき、その場にへなへなと座り込んだ。そうする他なかった。
こんな出来事を咀嚼することだけでも一苦労だ。ましてや記事に落とし込むなんて──。
「結局、TJにも助けられたってことですかねえ」
ドモンはそう呟くと、配信終了してアクセスができなくなったマリーの動画──再生回数は七十万──から、TJのチャンネルにアクセスすると、現在まさに配信中の──『マリー&ホロウ、ヤバイ!』なる動画へアクセスした。
再生回数は早くも八十万。なおも再生回数は増え続けている。
『……ってわけでぇ、マジだから。あたしの友達が今まさに戦ってるらしくて──』
コメント欄に、マリー&ホロウのチャンネルが再び消滅したことをポストするものが何名か現れたのを見て、TJはガッツポーズを入れて喜んだ。
『っしゃ!? まじ? いやー、やっぱドモっちパネェわ! 動画見てるアクティブユーザー数が増えるとホロウが強くなるかも、とか言ってたけど、みんながこっち見てくれたお陰じゃんね! サっちんにドモっち、見てる!?』
ドモンとサイは呆れたらいいのか笑ったらいいのか迷ったが、二人で顔を見合わせ、とりあえず笑った。
二人しかいないライブハウスに、親友二人のバカ笑いがいつまでもいつまでも響き渡っていた。
それは喜びであり、祝福であったし──それ以外に表現しようがなかったのだ。
サイとドモン、そしてTJの三人は、生きてまた出会うことができた。
オールドハイト中央区。セントラル・カテドラル近くのダイナー『レッドドラッカー』。いつもどおりに目つきの悪いウエイトレスが無愛想に注文を取っていく。 デラックスピザにビール──ポテトフライのチーズがけ。カロリー爆弾投下だ。サイの奢りとくればテンションもあがる。
結局、Vtuberのマリーとは何者だったのか──サイにも、相対したドモンにも、明確な結論は出なかった。彼女は確かに存在し──現実世界においてホロウという存在を使役していた。それは疑いようのない事実だ。
「マリーのモデルはさ、すぐVtuberになれるってアプリのプリセットのアバターみたい。製作者もなにもないワケ」
TJは先日の配信でマリーについての情報を視聴者に呼びかけ、集めてきてくれた。九割方は面白半分の悪ふざけだったが、有用な情報も混じってはいた。
そのどれもが、マリーやホロウの存在を肯定するだけで──その正体を確定させるものは何一つとしてなかった。同時に、彼女らのチャンネルは違法に転載されていたものや、個人のアーカイブすらもすべてこの世から消え去っていた。
彼女らは正体不明のまま、その存在を消滅させたのだ。
「記事になるかな、こんなの……」
サイにしてみれば仕事だったわけだが、正体不明でよくわかりませんでした、では話にならない。記事にできなければ飯の食い上げだ。
「名前出してくれるなら買うよ、新聞。あっ、なんならインタビュー記事にしてよ!そしたらフォロワーにも買ってもらうから!」
「そりゃありがたいが、企画ボツかもしれんしな……最悪新しい企画をやる時は協力してくれるか?」
「何言ってんの。もうウチらダチじゃん。いつでも声かけてよ。ねえ、ドモっち!」
ドモンは話を聞いているのかいないのか、ピザを貪っていた。ビールをあおり、一息つく。とても昨日、自分の命を救った人間には見えぬ。
「んぐ……。ええ、ええ。僕はタダでメシ食わしてくれるならなんとでも」
「お前ほんとそればっかだな」
サイは呆れたように笑い、TJもそれにつられたように笑みを見せて、ピザを摘んでコーラを飲んだ。タイミングを見計っていたように、ウエイトレスが寄ってくると、皿を下げながら言った。
「妙な取り合わせじゃない。何? 若い女の子連れてどうしたの」
「僕らの新しい友達ですよ」
「そーだよ。TJは凄い配信者なんだぜ。なにせ俺達、彼女の動画に命救われたんだからな!」
ウエイトレスはふうん、と興味なさげな顔だったが、自分のスマホを取り出すと、その画面をこちらに向けてきた。
「このニュースのコ?」
三人がそのニュースサイトに釘付けになったのも無理はなかった。タイトルは『人気タレント配信者TJ、オカルト路線に転向か?』。サイが原稿を書く前に、ニュースサイトがそれらしい記事を掲載してしまったのだ。
「おい嘘だろ!? しかもマリーとホロウのことも触れてる……!」
「ネットの情報って早いからね。お兄さん記者だっけ? 先取りされたわけだ」
ウエイトレスはスマホをしまい込むと同時に、ピザの皿を下げた。
「そんじゃ、ごゆっくりい」
彼女の声が、サイにはどこか遥か遠くで聞こえたような気がした。そしてその近くでは、ピザとポテト──そしてどさくさに紛れてチョリソーとオニオンフライまで注文したドモンとTJが、楽しそうに舌鼓を打っている。
なんと言ったものだろう。
サイは考える。マリー&ホロウの記事は、社を挙げた特集の予定だった。それが、ネットに先を越されたとなれば、編集長から無理難題を押し付けられるのは目に見えている。……主に、脚色という意味で。 別に脚色を嫌がっているわけではない。サイの所属するオールドハイト・ハッシュはタブロイド紙。面白おかしく脚色された記事の方が多いくらいだ。飯の種なのだから、それを否定するわけではない。
ただ脚色で面白くするのは面倒なのだ。そしてそれができなければボツだ。ボーナスも──ドモンの再就職もパーだ。
「ああーっ! もういい! ぐだぐだ考えるのはもうヤメだ。今日は飲むぞ! ビール二本追加!」
ヤケクソになった彼はそう宣言すると、ドモンにビールを──TJにはオーガニック・グレープジュースを握らせると、瓶を掲げて言った。
「くそったれユーレイに!」
それはまさしく鎮魂のための献杯でもあったし──心底軽蔑した相手への訣別の証でもあった。ドモンもTJもなんとなくそれを感じ取ると、少し遅れてそれぞれの飲み物を掲げた。
そうして、オールドハイトの夜は今日も更けていった──。
久々に見た自分のスマホの画面──と言っても、修理中のため代替機なのだが──は、通知だらけだった。編集部からの催促、取材先からの問い合わせ、ゲラのチェック手伝いの依頼──頭がガンガン痛む。
午前三時。ダイナーから戻って、ドモンに家に担ぎ込まれ──奴はベッドで寝ている。自分のことながら、ソファに寝転んでそこから動かなかったのだろうと踏んだ。体中から水分を絞りあげられたみたいだった。緩めたネクタイがだらしなくぶら下がっていたので、それを剥ぎ取って叩き落とし、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して飲んだ。喉を鳴らすたびに、こんな抜群にうまいものがあるのか、と驚嘆する。
スマホが震えたのが、そんな時のことだった。通知アイコンは、この三日間で随分見飽きた配信サイトのものだった。
「なんだよ……」
新規チャンネル開設のお知らせ。名前は──。
「くだんね……」
サイは通知をスワイプして画面外に飛ばし、そのままクッションの下にスマホを押しのけると、そのまま明日の仕事と──先程の新規チャンネルに思いを馳せながらまどろみ始めた。
明日起きたら、アプリごと消してやる。二度と見ねえ。
クッションの下で、通知が届く。そのたびにスマホが小さく震える。震える。震える。震える。
震える。震える。震える。震える。震える。震える。震える。震える。
震える。
サイとドモンの怪奇取材メモ 高柳 総一郎 @takayanagi1609
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