五臓六腑のリベンジ 〜筑波山(女体山)・筑波山(男体山)〜
早里 懐
第1話
私が何気なく放った言葉で、いつもチルド室のように冷めている妻が珍しく燃えた。
今週は子供たちの部活動の送迎がないため週末に妻と山登りでもしようかと話をしていた。
妻が雪のない山を希望したため、私たちの住処から南側に位置する山々を調べていた。
ここ最近の山登りは比較的標高の低い山が多く、距離は歩いても登ったという感覚からは遠ざかっていた。
よって、雪の心配もなく750mほど標高を上げることができる筑波山を候補として挙げた。
私はそのことを妻に告げた。
その瞬間、妻の五臓六腑が燃えたぎるのを確かに感じた。
私は軽い気持ちでこの山の名を口にしたことを後悔した…。
私たち夫婦にとって筑波山登山は2回目である。
1回目の筑波山登山で妻の身に降りかかった災難は筆舌に尽くしがたいほどだ。
そんな妻はこの山の名を聞いた時からリベンジに燃えていたのだ。
当日の朝を迎えた。
妻と朝の挨拶を交わしたが、妻の目は据わっていた。
すでに覚悟を決めていたのだ。
前回の筑波山登山ではプロテインに含まれる乳成分によって、妻の五臓六腑が限界まで痛めつけられた。
前日の夜からプロテインは飲まないと連呼していた妻は目覚めに白湯を飲んでいた。
リベンジを果たすため自らの五臓六腑を万全な状態に仕上げようとしていたのだ。
前回は登山口から近い市営筑波山駐車場ではなく、つくば道を歩きたいため、少し離れた筑波山麓駐車場からスタートした。
今回はリベンジ山行であるため、様々な選択肢は妻に委ねるつもりだ。
スタート地点となる駐車場も例外ではない。
私は駐車場をどこにするのか助手席に座る妻に判断を委ねた。
すると妻は前を見据えたままドスのきいた声で近くにある市営の方と即答した。
私はリベンジであれば同じ距離を歩くものだと勝手に思っていたため肩透かしを食らった。
妻に対して前と同じ距離を歩かなくて良いのか念のため確認した。
しかし、妻は無言のままだ。
しかも眉間に皺を寄せ、とてつもない覇気を放っていた。
私は妻の覇気を全身で感じたことで気を失いそうになりながらも考えを改めた。
どうやら私は野暮なことを聞いてしまったようだ。
距離ではないのだ。
腹を壊すか、壊さないかなのだ。
妻が合わせている照準はそこなのだ。
私は妻の希望通り市営筑波山第4駐車場に車を停めた。
身支度が終わった。
さあ、リベンジだ!
本日の妻は絶好調だ。
その証拠に歩き出してからお喋りが止まらない。
テンションに至っては筑波山の標高よりも高いぐらいだ。
私たちは筑波山神社で登山の安全を祈願し、妻が選択した白雲橋コースから登り始めた。
しばらく経つと妻の様子が急変した。
か細い声で「待って。胃袋が脈打ってるから待って」と人体の不思議に通じる言葉を発したのだ。
確実に妻は衰弱してきている。
私は妻の顔色や呼吸、更には細かな身体の動作を観察した。
その結果、筑波山の悲劇の再来ではなく、いつもの登山で見せる衰弱と変わらないことが判明したため少しばかり安心した。
その後も、妻に気を配りながら一歩一歩足を前に出し歩いたことで、女体山の山頂に辿り着くことができた。
前回の妻は体調の悪さから女体山の山頂で、景色よりも座れる石ばかりを探していた。
しかし、今回は違った。
あまりの眩しさに目を細めながらも眼下に広がる景色を眺めているではないか。
私はその姿をとても誇らしく思った。
妻にとって筑波山はトラウマだった。
そのトラウマを見事克服したのだ。
そう、妻はリベンジを果たしたのだ。
その後は山頂広場で焼き団子を2人で食べた。
前回、五臓六腑が限界に達していた妻が食べることが出来なかった焼き団子だ。
とても美味しかった。
団子を完食した後、少しばかり腹休めをして、男体山に登頂し、御幸ヶ原コースで下山した。
本日の夜は妻とリベンジ山行が成功したことを盛大に祝うことにした。
…
…
私は本日の登山日記を書き終え筆を置いた。
しかし、その後の夕食の最中に事件は起きたのだ。
その夜は妻の五臓六腑が見事にリベンジを果たしたことを盛大に祝った。
妻はいつにもなくビールが進んでいた。
前回の山行における壮絶な体験も笑い話となった。
また、本日の山行の思い出話にも花が咲いた。
とても楽しい時間を過ごしていた。
過ごしていたはずであった…。
しばらくすると妻は静かに立ち上がりリビングを後にした。
私はその妻の行動を特に気にかけずにいた。
数分後、トイレを流す音と共に、一山登った時に見せるやつれきった顔をした妻が静かにリビングに戻ってきた。
私はその顔を見て思った。
今度はどうやらビールにやられたようだと…。
五臓六腑のリベンジ 〜筑波山(女体山)・筑波山(男体山)〜 早里 懐 @hayasato
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