君の聲が聞こえたら

はじめアキラ

君の聲が聞こえたら

 俺様は猫である。名前はモッフ。

 ……おいそこ、センスねぇ名前だとか言うんじゃねえ!俺だって思ってんだよ、いくらモフモフのでかい猫だからってモッフってそりゃストレートすぎんだろもっと捻ろよ!と。ていうか、一歩間違えるとモップって聞こえるのが激しく解せねえ。なんで由緒正しき野良猫であった俺様が、そんなダセェ名前つけるような飼い主のところに世話になんなきゃいけねーのか。そんなことになっちまったのか。

 ……まあ、恩がある、のは確かなことさな。

 飼い主のアホ(ルリハ♀、三十六歳)が、はOLってやつで、一人暮らしをしてたわけだが。マンション近くの公園で、カラスにつつかれて死にかけてたのが俺様だったんだよな。まだ一歳のピッチピチの子猫だ。せっかく豊かで立派な毛を持ってたってのに、カラスにみーんな毟られちまってそりゃ哀れな姿になっててな。ルリハがそれに気づいてカラスどもをおっぱらい、俺を救出してくれたってなわけだ。

 まあなんといっても、あのアホはメスのくせして非常に力が強い!学生時代で空手やってて、今でも週一でジム行って筋トレするのが趣味だからそりゃもー怪力。カラスごときに恐れをなす女じゃなかったってわけさ。勇敢なメスは好きだぜ。人間のメスに興味のない俺も、うっかりポッとなっちまいそうになったもんさ。

 残念ながら、そのあと評価はダダ下がりするわけだけどな。

 俺を動物病院に連れていって、医者の指示通りの餌を与えて看病して助けてくれたまではいい。

 しかし、そもそもこいつの部屋は、メスのもんとは思えないほどの汚部屋ってやつだったんだよなあ。服はぬぎっぱなし、ベッドのシーツは乱れっぱなし、トドメが洗ってない皿やコップを一日流しに放置しておく体たらく。ゴミもめんどくさがらないで毎回捨てに行けよと思うのにすーぐ忘れる。今までよく異臭騒ぎを起こしたり、ご近所の人達に怒られなかったもんだと思うぜ。


 ……なんか段々話してて虚しくなってきちまった。


 とにかくだ。そんな恩人でもあるアホに飼われた結果、俺は掃除用具みたいな名前をつけられることになっちまったんだよな。子猫の時からたくましく野良として生きていこう!と果敢に捨てられたダンボール箱の中からはいだして旅立ったこの俺様がだぜ?カラスごときにやられて、よもや人間のメスの世話になる羽目になろうとは夢にも思わなかったってやつだ。

 俺は当初、元気になると同時に部屋からの脱出を試みた。

 ところがあの女、玄関の前にでっけえ柵つけやがって。俺は狭い居間のスーペースで、嫌でも毎日過ごす羽目になったんだ。これじゃあかわいこちゃんとの出会いもねえじゃねえか。ほら季節になれば、外でにゃーにゃーカワイコちゃん達の恋のお誘いの声が聞こえてくるってのによ!これだから飼い猫ってやつは不便でならねえ。俺達は自由な生き物だ、犬と違って飼い主にヘイコラしたりしねえんだ。外に出て冒険したいと思って何がいけないんだっつーの。

 あんまりにも暇なんで、俺は一日の多くを寝て過ごすことが多い。

 唯一暇つぶしになるものと言えば……部屋の中にいる“住人”が話しかけてくる時くらいなもんだ。


『ねえねえ、猫さん猫さん』


 その声は決まって、あのアホが会社に出かけてから聞こえてくる。それが聞こえると俺は真っ白なモフ毛の中から耳をピン!と立てて、あえてぶっきらぼうに返事をしてやるんだ。


「おい、なんだ。今日は誰だあ?」


 その日、声をかけてきたのは円い黒い空き缶みたいな姿に、蓋がついた形状のゴミ箱だ。そのゴミ箱が、困ったように俺様の方を見てるんだよな。

 なんだ、ゴミ箱なのに“見てる”ってのはおかしいってか?そもそも生き物でもないのに喋るわけがねえだろってか?おいおい、お前は何を言ってるんだ。全ての“モノ”は話すし顔もあるんだぜ?お前ら人間が気づいてないだけだっつーの。八百万の神とか付喪神とか信じるのに、ゴミ箱に意思が宿って喋るってのは信じねーのかよ。なんつー矛盾したイキモノだ。

 とにかく、猫である俺様には、いろんな“モノ”の声ってやつが聞こえるんだよなあ。

 俺は暇つぶし……じゃなかった、そいつらの願いを叶えてやるために、よっこらせと重い腰を上げて話を聴きに行ってやるわけだ。いわば、ここにいる連中の相談役ってやつなわけだな。なんといってもこの部屋で、あのアホを除けば四本足で立って歩けるのなんざ、俺とあの円い掃除機ロボくらいなもんだ。

 ちなみにアホがいる時に奴らはあまり話しかけてこないが、そもそもあいつあの声はルリハの奴にはまったく聞こえてないらしい。ひそひそ喋っていても無反応ってことは、つまりそういうことなんだろうな。


「どうした紙ゴミ箱。困ってるみたいだけどよ」

『そりゃ困ってますよ!見てください、これ!』


 紙ゴミ箱はとんとん、と自分の頭を叩いて言った。


『もうゴミ、いっぱいいっぱいで全然入らないんです。これ以上入れたら溢れちゃいます。それなのに、ご主人様もう何日もゴミを捨ててくれないんです。いくら私が紙ゴミ箱で、多少入れっぱなしにしておいても臭くなりにくいからって……こんなのってあんまりだと思いませんか』


 なるほど、彼の頭の蓋はもう閉まりきっていないのか、蓋の隙間からレシートの端っこのようなものが挟まって覗いている有様だ。今にも溢れてばーんと弾けちまいそうに見える。あいつめ、こんなにゴミ溜まってるのに捨てるのをなんで怠るんだか。


『このままじゃ、僕パンクしちゃいます。そして、ご主人様のことだから、パンクするまで僕の状態に気づかないで放置ってことも絶対ありえるんです……』


 しくしくと泣き出す紙ゴミ箱。これは、俺様がなんとかしてやるしかあるめえ。任せろ!と俺は甲高く鳴き声を上げてやったのさ。


「お前の存在、あのアホに思い出せてやるよ!ほら、こーすりゃいーんだ!」


 そして俺は――その紙ゴミ箱を、思いっきりひっくり返してやったのさ。当然、中身のゴミは部屋の中にどどーんと散らばるわけよ。それを帰って来た飼い主が見て悲鳴を上げるわけだ。


「ちょっとモッフ!何やってんおおおお!?」


 ほら、こうすりゃ嫌でも片付けるだろ?万々歳だ。

 多少苦労しやがれ、紙ゴミ箱を困らせた因果応報ってな。




 ***




 まあ、そんなかんじで俺様は、いろんなやつらの相談を聞いて助けてやってたわけだけどな。

 そんな俺が住む部屋に、ある時新入りが来たんだ。デスクチェアってやつらしい。座り心地が良い、結構明るい緑色の椅子だ。俺がくんくん臭いをかぎながら挨拶に行くと、そいつはのんびりと話しかけてきたんだよな。


『おや、この部屋には猫がいるのだねえ。私はデスクチェア。今日からこの部屋でお世話になる者だ。君の名前はなんて言うのかね?』

「俺か?俺は猫のモッフだ。いいか、モップじゃなくてモッフだからな?絶対間違えるなよ!」

『なるほど、君は自分の名前にとてもこだわりがあるのだねえ』

「な!?ねーし!こんな名前好きでもなんでもねーし!むしろすっげーセンスないと思ってるし!」

『ほっほっほ』


 老獪に、まるで老人のように笑うおっとりとした椅子。ピカピカの椅子なのに、なんでこんなおじいさんのような人格が宿ったのやら。まあ、道具に宿る意思というやつは、必ずしも俺達のイメージ通りじゃない。スマートフォンがおっさんの人格だったり、ヨレッヨレの布団が幼女の声だったりする。きっと、同じモノと同じモノで比較しても違いがあるのだろう。人間にも個性があるのだから、道具にだって個体差があってもなんらおかしくはない。

 最初は“変な奴”って印象の椅子だったんだけどな。こいつ、椅子部分の座り心地っつーの?それがたまんなく良いってことに気づいちまったんだよなあ。いつの間にか、アホがパソコン使ってない時は、デスクチェアの椅子部分に丸くなって居座るのが癖になっちまってた。俺様の特等席ってわけだ。椅子の奴も、アホが座らない時も俺が来るのでなんだか嬉しいらしい。


『全ての道具は、正しい使われ方をされるのが一番の本望なのだよ。椅子は、座って貰えるのが最大の幸福だ。君が私を大事に使ってくれて、とても嬉しく思うよ』


 そんなこと言われたら、俺様だって悪い気はしねぇ。

 来て一週間も経てば、俺らはすっかり友達になってたんだ。昼寝をする時は決まってこいつの上で丸くなって寝た。窓際に机があるもんだから、太陽の光が当たってそりゃあもうぽかぽかで気持ちがいいんだ。

 俺達の生活は、毎日なんら変わることなく、平穏無事にすぎていくはずだった。……あの怪力飼い主が、よりにもよって男を連れ込んでくるまではな。


「よお、ルリハ!お前みたいなガサツ女にはもったいないくらい良い部屋住んでんじゃん。ちょっときたねーみたいだけど!」


 どういう関係なのかはわからない。学生時代の知り合いとは言っていたし、もしかしたら彼氏って奴だったのかもな(ルリハは独身だ、念のため)。

 問題はそいつが、そりゃもう腹立つ面倒くせーやつだったてことだ。

 モラハラ?セクハラ?とにかくそういうことを連発する。ルリハの女らしくないところをあげ連ねて嘲笑うし、ずかずか部屋に入り込んできて堂々と座り込み、ビールとタバコを要求する始末。で、それが無いというとキレ始める。ルリハはアホだが金に関してはきっちりしてんだ。金がかかるっていう理由で、学生時代までがぶがぶ飲んでた酒もすっかり飲まなくなったし、タバコなんて論外なんだ。そもそもこんな部屋でタバコ吸ったら火災報知器が鳴りかねねー。こいつバカなのか、頭湧いてんのか。俺はイライラしながら男とルリハのやり取りを見てたんだけどな。


「気が利かねー女!俺が来るってわかってんだから、俺の好み把握してそういうもん用意しとくのが当たり前だろ、空気読め!そんなんだから俺以外の男が一切よりつかねーんだよ筋肉ダルマ。女としての魅力1ミリもないくせに、クールぶってんじゃねえ!猫なんて洒落たもん飼って、かわいこぶったつもりか?キメェんだよ!」


 ルリハは確かにマッチョだし、メンタルも強い方だと知っている。でも、それでも一応ちゃんとしたメスってやつではあるんだ。傷つく時は傷つく。ましてや。

 アホだけど、超アホだけど、めっちゃアホだけど。俺のことを、すっげー大事にしてくれてるってことは知ってんだよ。だから、だろうな。ルリハはブチ切れて――なんと、傍にあったデスクチェアを振り上げて男を殴ろうとしやがったんだ。


『う、うわああ!?や、やめたまえ、何するんだ主人!』


 これにはデスクチェアも悲鳴を上げるしかない。ルリハの怪力で男を殴ったりしたら、怪我ではすまないだろう――男もそうだが、デスクチェアもだ。壊れてしまうかもしれない。正直クズ男のことはどうでもいいが、チェアのことは友達として救い出さなければ。

 そして俺が、取った行動は。


「ぎゃああ!?こ、こいつ、何すんだ!」 


 必殺、百烈猫パンチ!

 とにかく男のジーパンやシャツに引っかき、噛み付き、ビリビリのビリビリに破いてやったってわけさ。男は最初俺のことを蹴っ飛ばそうとしたみたいだが、“何故かそこに大量に落ちてる紙ゴミ”やら“不思議とズレるカーペット”やらに滑って転んで、とてもじゃないが反撃なんぞできる状態じゃない。

 最終的には、パンツ丸出しの情けない格好になって部屋から逃げていきましたとさ。俺は一昨日きやがれー!ってな気持ちでシャーって鳴いてやったってわけだ。

 で、うちのアホとはいうと。チェアを振り上げた態勢のまま、完全にぽかーんと固まってたってわけだ。怒りを振り下ろす対象を失って、どうにか落ち着いてきたんだろうな。椅子をゆっくり降ろすと、深く深くため息をついたってわけだ。


「よおご主人。……あの馬鹿がムカつくのはわかるけどな。こいつを、人を殴る道具にしちゃいけねえぜ」


 言葉なんか通じない。わかっていても俺は、そうルリハに語りかけながら、ぴょこんと椅子に飛び乗ったんだ。そして、丸くなってにゃあ、と鳴いてやった。


「椅子は、座ってもらえてなんぼだ。それが一番幸せだ。まだ全然座って貰えないうちに、こんな形で殺されたんじゃたまったもんじゃねえ。モノにも心はあるんだ。大事にしてやってくれよ、俺の友達」


 言葉はわからなくても。俺が、椅子のために男を追っ払ったということは、なんとなく察したのかもしれない。ルリハは少しだけ泣きそうな顔で、デスクチェアの背を撫でたんだ。

 そして、言ったのさ。




「……ごめんな、椅子。もう少しで、お前をぶっ壊しちまうところだった。せっかく買ったのに、大事にもしねえで壊したら……お前にも、作ってくれた人にも失礼だよな。これからはもっと、大事に使うよ。……よろしくな」




 モノに心があるなんて、人間は知らない。

 でも、なんとなく想像して、配慮するってことはできるのかもしれない。依頼、ルリハのモノの扱いはちょっとだけ優しくなった。元がガサツだからまあ、失敗することも多いんだけどな。

 で、俺はというと。


「ちょ、ちょっとー!!なんでワイシャツが居間を埋め尽くしてるのさあああ!?」


 今日も今日とてこの部屋で、みんなの頼れる相談役ってわけだ。

 さあ、ワイシャツどもがお待ちかねだぞ。

 半月も溜めんな。さっさとアイロンかけてやれ。


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