応援コメント

53話 世界を救う。そして彼女は勇者を悼む。7 (前編)」への応援コメント

  • 全てを一人で背負う覚悟でいるラスコーリンさんが切ない。

    ゾーフィアさんへ想いを伝えようとしても、幸せになってはいけないと思っているゾーフィアさんの意志を尊重したラスコーリンさん。

    ここで強引にでも、想いを伝えていたなら、何かが変わっていたのかな……


    作者からの返信

    仮に二人がこの夜に夫婦としての第一歩を踏み出していたとしたら
    なおのことラスはゾーニャを助けるために決意を堅くしたかも知れないですね。

  • 人殺しはしたくない。そして自分のやりたいことを見つけたハレヤさん。でもそれは限られた小さな世界だけの平和であって、根本的には何も解決していない。
    だからラスは、全部一人でやろうとしているのですね。

    作者からの返信

    この冒険者村も周囲の国々の利害関係が、たまたま一致してるから存続できてるだけですからね。
    そのバランスが崩れればたちまち戦乱に巻き込まれてしまいます。
    平穏はあくまで一時的なものでしかありません。

  • 「でもここが折り返し地点だ。ここから、元の場所へ帰れば良い。」
    この言い回しがとても素敵でハッとしました。
    実際にはここからも辛い展開になるわけですが、少なくともラスのやりたかった事がわかった気がします。幸せな家に帰してあげたかったんですね。

    作者からの返信

    そうですね。
    もともと彼らが求めてたものって、平穏な生活、互いのありふれた幸福、でしかないんですよね。

    そこへたどり着くための三千年におよぶ旅だったわけですが、気づけば引き返せない所まできてしまっていて、最終的に巡り付いたのは、望んでいた場所とは正反対の場所でした。

    互いのどちらも幸福とはほど遠く、さらに他者に対しても無数の不幸を生み出してきてしまった。

    そのどん詰まりの場所から、唯一、元の目指していた場所へたどり着ける道がこれしかない、そうラスコーリンは考えたんですね。

    編集済
  • 冒険者村で小さな平和に気づいたゾーフィアですが、ラスコーリンはそれを小さなコミュニティでのみ通用するものと断じてますね。
    彼もまた冒険者村の景色を見れば何か変わるかも…そう思っていたのですが、ゾーフィア以上に冷淡に世界のことを見ているように思います。愛する彼女の命がかかっているのですから、冷酷な選択肢を選ばざるをえなかったのでしょうが…。

    作者からの返信

    全種族が共存して戦乱に巻き込まれない冒険者村が成立する条件として、
    『そこを非国家主権地帯とすることに対して、各国の利害が一致している』というのが最重要になってきますからね。

    利害は流動的なものなので、冒険者村の平穏はあくまで一時的なものでしかないんですよね。
    十年、二十年は平穏かもしれないけど、周辺各国の情勢が変われば他の街と同じように戦乱に巻き込まれてしまうことが、ラスコーリンたちには容易に想像できてしまったわけですね。

    一方で全種族が共存できる社会のひな形であることは確かなので、ラスコーリンも理想的な社会としては認めているところなわけですね。

  • 9割を殺して1割になれば、きっと争いは生まれないでしょう…争えば破滅。それこそ何も残らない。

    そしてその道にゾーニャさんを付き合わせることは出来ない。ラスさんのやろうとしていることは、本当に世界に弓を引く行為。

    今度こそ後戻りを許されない道だから…

    作者からの返信

    世界を作り替えるというのは一人の人間が背負うには、あまりに大きな重荷ですね。
    なら二人ならどうかといえば、やはり二人でも重すぎる。
    ならば一人で背負ったほうがいい、というのが彼の結論なわけですね。

  • 種族の一極化・・・ラスさん究極の一手は果たして・・・

    作者からの返信

    世界人口の九割を死なせる、というまさに究極の一手ですね。

  • 拝読させて頂きました。

    今回は批評ではないです(笑)
    ふと、作品を拝見して思った感想ですが。

    世界を救うためには自分が全世界の悪になるという
    宮崎駿監督の作品でよく使われる『自己犠牲』という概念ですね。

    ふと、思うのですが
    共通の敵を倒すと一時的には争い無くなるのですが、完全に無くなるわけではなく
    また新たな共通の敵を生み、もしくは生まれ
    その度に犠牲者はさらに増えていく。

    これが、現代の戦争や狭い意味では虐め問題
    社会の縮図のように思えます。

    世界を洗脳し、どう解決するのか。
    答えのない、難解な問題。
    この先、読者の意表をつくような解答がこの作品を読む意味の一つに思えました。

    作者からの返信

    いつもありがとうございます。

    私もナウシカとか大好きですね。
    今でも映画も漫画もくり返し楽しんでおります。

    しかしラスの行動についてのアイディアの下敷きは、宮崎駿のそっちではなく、
    ドストエフスキーの『罪と罰』ですね。


    主人公やヒロインの名前もそこが由来のもじりとなっています。

    罪と罰の主人公の名前が、『ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ』

    ヒロインが『ソフィヤ』

    という、もともと『もし罪と罰がファンタジーなラブコメだったらこうなるんじゃないか』がコンセプトの作品だったりします。



    この世界の現代の安全保障体制については、最序盤からくり返し世界設定として明示されています。

    一番詳しく説明されている回は『手紙を読む。そして僕は僕を知る』です。

    簡単に説明しますと。

    魔王討伐のために結成された世界規模の大同盟が、
    魔王がいなくなったあとは、目的を失って機能不全を起こしたがゆえに、逆に加盟国同士が牽制しあって互いの行動を縛る足かせとして作用するようになりました。

    世界規模でそれがおこったため、極度に戦争を起こしにくい情勢となっております。

    集団安全保障体制が極限まで行き着いたせいで、どの国もそこからの逸脱や脱退という選択肢のリスクが極大化されてしまって、身動きがとれない状態ですね。

    編集済
  • ラスの構想とは全人類共通の敵、魔王になり、それをゾーニャが打ち負かすことで世界平和とゾーニャの断罪を一緒に行うと言うものでしょうが、ゾーニャにしてみれば……ですね。
    何ともせつない空回りなのか、その先まで計算しての事なのか。
    ゾーニャの幸せを不器用に考えた精一杯の構想。どんなに遠回りしても良いから報われて欲しいものですね。

    作者からの返信

    さらに切ないのは、ゾーニャも彼の構想を知ったとして、
    それを実行する理由や気持ちが120%理解できてしまうところでしょうね。

    彼女こそがラスの、魔王の原型であると同時に、もう一人の魔王でもあるのかも知れません。
    二人は悲しいくらい理解しあえてしまっている。

    編集済
  • 「ラス、ごめんなさい。それはまだ私の求めていい幸福じゃない」
    「なら。ゾーニャが自分を赦せるようになるまで、とっておくことにする」
    そうか……。(´;ω;`)

    ラスも、苦しいな……。

    作者からの返信

    苦しいですね。
    助けたいと願う相手が、助けられてはいけないと確信してしまってる。
    幸せにしたいと願う相手が、幸せになってはいけないと確信してしまってる。

    コメントありがとうございます。

  • せ、せつねえ〜〜〜
    たまんねえ〜〜〜

    すっかり入り込んでしまって脳直のコメントしか残せなくて申し訳ないです

    作者からの返信

    いえいえ、読んでくださるだけ嬉しいですよ。

    コメントありがとうございます。

  • こんにちは。

    映画、重い展開てすが、面白いですね。
    これから先も楽しみです。

    また読みに来ます。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。

    内容も分量もヘヴィ気味ですが、気に入って頂けて嬉しいです。