54話 世界を救う。そして彼女は勇者を憎む。7 (後編)



 二日後のその時。


 僕は超古代遺跡の異空間にいた。


 天井は高すぎて見えず、壁は遠すぎて見えない。石の床がどこまで続く空間。


 これから僕は、地上に存在する種族を一つにまで絞る戦乱を、精神魔術によって引き起こす。


 九割の人口が死に絶える、未曾有の混沌がもたらされるだろう。

 無敵のゾーニャならともかく、僕が生き残るには隠れ続けるしかない。


 最終戦争が終わるまで、精神魔術の核となる僕が死ぬわけにいかない。

 これだけの犠牲を世界へ強いるならば、絶対に、やりとげねばならない。


 世界を救済するための呪文を、僕は、詠唱し始めた。

 初めてゾーニャから魔術を習おうとしたときに、誓った言葉を思い出しながら。


『誓うよ。僕の魔術は、みんなを助けるためだけに使う。自分のためだけにも、悪いことにも、絶対に一度だって使わない』


 ああ……今、願うことは一つだ。


 この選んだ道が、間違いでないことを、信じたい。


 きっとこの先に、理想世界が待っている──。




◆◇◆◇◆◇◆




 それ、が始まった瞬間──。


 ゾーニャは夕焼けの中、馬での帰路の途中だった。


 街道の上り坂を超え、冒険者村が遠くに見えた時だ。

 急にあかね色の空が変わり、巨大な文字が投影された。


『理想世界への扉が開かれる』


 彼女にだけ意味が分かる、僕からのメッセージだ。


「理想世界……?」

 ゾーニャは呟いた。


 急いで耳鳴り珊瑚に話しかけてみるが、やはり僕には通じなかったそうだ。


 何かが始まった。胸騒ぎがした。

 冒険者村から火の手が上がるのが見えた。


 ゾーニャが馬はとばして、冒険者村の門へ駆けつけた。


 そこは修羅場と化していた。

 冒険者同士が殺し合っている。


 立ちこめる火災の煙。血の臭い。怒声と悲鳴。

 これまで何百と渡り歩いた戦場と同じものが、第二の故郷にあった。


 人間の商人が、命からがら逃げてきている。


「助けてくれ!」


「何が起きてる?」


 聞き返しながらゾーニャは下馬しようとしたのだが。


「そんなことより、まずあいつを!」


 商人が後ろを指さす。

 そこには冒険者ギルドの斡旋係、ビンピ・ヒンピーが走ってきていた。


 血で汚れた剣を持ってだ。


「ちょっとビンピ! その商人が何かしたと?」


「おい、あんた!」

 商人が後ろから怒鳴ってきて。


「みんな狂っちまったんだ。ゴブリン、オーガの連中が。ナーガやハーピー、リザードマン、他にもだ。旅商人仲間も、他の町で同じ事が起きてると耳鳴り珊瑚でわめき合ってる。世界中がこうなった。俺は逃げるぞ!」


 ビンピが近づいて来た。様子がおかしい。こちらに剣を構えている。

 目の焦点が合っておらず、瞳ではゾーニャではない〝他の何か〟を追っている。


 だからすぐに分かった。精神魔術をかけられた者の挙動そのものだと。


「ビンピ、落ち着け──」


 が、言い終わる間もなく、彼の剣が喉を突いてきた。

 当然、傷一つ付かない。ビンピは繰り返し剣を叩きつけ始めた。


 ゾーニャは呆然と立ち尽くすことしかできない。

 この事態を引き起こした人物に思い当たってしまった。


 その人物が言っていた言葉も思い出した。


『地上に存在する種族を一つだけに絞れる。これはかつてゾーニャがしてきたことの集大成であり究極形──やりたかった事そのものかも知れないね』


 そして気づけば彼女の周りを数百人の冒険者たちが取り囲んでいた。


 オーク、ゴブリン、オーガ、ナーガ、ハーピー、ダークエルフ。


 そして地面に倒れているのはその他の種族だ。


 だからゾーニャは理解してしまった。

 僕が始めてしまったのだと。地上に存在する種族を一つにまで絞る最終戦争を。


 取り囲んだ冒険者たちが襲いかかってきた。

 武器で刺突し、斬撃し、殴打してくる。


 この前まで、共に依頼をこなし、酒場で肩を組んで飲み明かした仲間たち。

 第二の家族が。


 ゾーニャはうずくまり、耳鳴り珊瑚を取りだし、それへ向けて叫ぶ。


「ラス! やめてラス!」


 返事はない。通話先と繋がっていない。

 耳鳴りのようなエコーが返ってくるだけだ。


「どうしてこんなことを、私はこんなことは望んでいな──」


 本当に? 違う。これはかつての自分が望んでいて挫折したこと。

 最小の犠牲で新たな秩序を作り出し、世界を穏やかな物へと変革する。そのもの。


「でもダメだ、こんなのはもう嫌だ。ラス、三つ目の道を探そう。全ての種族が共存する未来、今は見つからなくても探し続けよう。諦めずに!」


 ゾーニャを攻撃していた冒険者たちが離れた。

 みんな街道へ向かって行く。


 なぜかと思ってゾーニャがその方向を見てみると、近づいてくる隊商が見えた。


 エルフ商人だ。

 彼らは事態を正確に把握できていないようで、こちらを伺っている。


 冒険者たちは無抵抗のゾーニャよりも、まずはそちらの無力化を優先しよう考えたのかも知れない。


 冒険者たちは走りだした。隊商へ向かって。

 このままではエルフたちは皆殺しにされる。


「やめろ、みんな!」


 だが言葉が無意味なのは明白。


 どうする? どうすればいい? 隊商を見殺しにできるわけがない。


 冒険者たちへ死なない程度に打撃をあたえて気絶させる?

 ダメだ。精神魔術はその程度で解けない。


 解く方法は二つ、術をかけられた者を死なせるか。術者が自身の意思で解くか。


 ほかに方法は? 冒険者たちを拘束して閉じ込めておく?

 あの人数を? どこに? どうやって? 誰が管理する?


 現実を見ろ。不可能だ。死なせる以外にない。

 それを……やらねばならないのか? 仲間を殺す? 〝家族〟を?


 わかってる。彼らを放っておいても、他の誰かに殺されるまで、誰かを殺し続ける未来しかありえない。ならばここで彼らを死なせることが……。


「最善……」


 光学偽装が発動し、姿を隠した。再び人を殺すという罪悪感がそうさせた。


 そして自身の体に運動エネルギー制御を働かせ、急加速。冒険者たちへ追いつき、最後尾のオーガの頭を粉みじんに吹き飛ばす。せめて痛みを感じないように。


 冒険者たちはゾーニャの攻撃に反応し、看破魔術をかけきた。


 ゾーニャを赤く揺らめく影法師として浮かび上がらせたが、その時にはさらに五十人が即死。


 冒険者たちが攻撃魔術や弓も使っても、超音速で動き回るそれに擦ることすらなく、逆に蹂躙される。


 そうして十五秒後にはもう、ビンピ一人だけが残っていた、が。


「すまないビンピ」


 次の瞬間、ビンピの首から上は真っ赤な飛沫となって消えていた。


 街道沿いは数百人の冒険者たちの死体、血の海。

 ゾーニャは第二の故郷を、失った。自分の手によって、壊した。


 愕然としゃがみこむ。


 そこへエルフ商人が駆け寄ってきた。

 揺らめく赤い影に見える彼女へ話しかけてくる。


「ありがとうございます! お姿がよく見えませんが、お怪我は? 何かお礼を」


「そんなものはいらない! 私が……さっき殺したのは、みんな……仲間だ!」


「す、すみません。では、せめて、お名前だけでも……」


 ハレヤ・ハーレリとしての人生は今日、この瞬間に終わった。


 地上は混沌に飲み込まれた。

 これから先、何度もこのような戦いを強いられるだろう。


 再び人類史上最大の殺人者とならなければならない。その者の名は──。


「ゾーフィア」


 そう名乗ったゾーニャの瞳からは、今にも涙が零れようとしていた。


 



 こうして最終戦争が始まった。


 そして僕は魔王と呼ばれるようになる。

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