2話 全裸な勇者(自称)に映画製作を頼まれる。そして僕は苦虫百匹かみつぶす。


 ここは千年前に不死身の勇者が魔王を倒すことで救われた世界。

 

 その千年の間に、科学も魔導も飛躍的に進歩し、世界は変わりに変わった。


 人々はスマートフォンを持ち歩くのが当たり前。

 

 今や空を飛ぶ野生のドラゴンは狩り尽くされ、動物園でしか見られない。


 代わりに、魔導装置じかけの空飛ぶ船、航空船が都市の上空で渋滞している。


 かつて諸侯が君臨した城郭も、もはや観光地でしか見られない。


 代わりに、街という街にそれより巨大な高層ビルが並び、エルフやオークといった異種族も渾然一体となって暮らす。

  

 救世主たるゾーフィアも、今や時代劇やアニメの主人公でしかなくなっている。


 不死身の英雄は過去の歴史の中で、どこかへ消えたままだ。


 その代わりに、これまで千年間で自分が勇者と名乗る詐欺師は何千人も現れた。 

 が、本物だと確認された例は一度もない。


 もう二度とゾーフィアは人々の前に姿を現さないのだろう。


 これからもずっと。誰もがそう思っている。


 だから深夜二時に公園の噴水を、泡風呂にしている女の子が、ゾーフィアだと言いだしたとして、ロジオンができるリアクションといったら。



 苦虫を百匹くらい噛みつぶした顔してた。


 そして思わずにはいられない。


 なんでこんな奇妙すぎる事に巻き込まれなきゃならないのかと、つい数分前まであった日常を思い返していた。


 十分前まではコンビニに居た。なんの変哲もない日常風景しかなかった。


 夜食の菓子パンとペットボトルのお茶、それと父から頼まれたタバコを買いに行っただけだ。


 店内は深夜のわりに客がいて、ドワーフの土建作業員がワンカップを買おうとしていたり。ホビットの少年たちが雑誌コーナーでエロ本を立ち読みしていた。


 レジの店員はエルフ女子高生のバイトで、愛想良く釣り銭を渡してくれた。


 店を出るときゴブリンとオークの暴走族がたむろしていて、ウンコ座りでガン飛ばしてたけど、目を合わせず通り過ぎた。


 ところがどうだ。近道になるからと公園を通ることを選んでしまったら、これだ。




「ともかく」

 そう言って自称ゾーフィアな黒髪の少女は噴水の中で立ち上がり、苦笑して。


「これでわかってもらえたでしょう? 脅迫でもしないと聞いてもらえない自己紹介。それでも信じてもらうのは不可能な難しさだと。今回もやはりダメだった」


「いやいや、そんなことより、まずさ。君はなんでずっと素っ裸で話してて恥ずかしくない? なんで噴水を風呂に?」


「言ったでしょう、私はあなたの百倍以上の時間を生きてる。素肌を晒すのを恥じらう乙女という齢じゃない。枯れ果てた老婆だ」

 

「いやいやいや、 少なくとも見た目は、枯れ果てたどころか、開花すらしてない、って感じなんだけど」


「ともかく! この噴水は私を讃えるために作られたものだ。私が風呂として使っても問題ないのでは?」


「まあ……君が仮に本物なら、この噴水作った人は光栄のあまり、救世主が入浴した場所として聖地化するかもだけど……」


「なら問題ない。でしょう? それともあなたは、こんな老婆の、こんな女らしさの欠片もない子どもの体を、いやらしい目で見ると?」


 あっけらかんと彼女は自身の体を指さしてみせる。


「余裕で僕の射程外だ、と言っとく……」


「なら、私があなたの目の前で裸でも気にすることはない」


 ロジオンは、やれやれとばかりに溜め息ついた。


「そういうことにしとく……けどじゃあ、僕に助けてくれってさっき言ってたけど……何をやらせるつもりなんだ?」


 すると、自称ゾーフィアの少女は、ロジオンが首から提げている映画会社のIDカードを指さした。


「あなたに映画を作ってもらいたい」


 何を言い出すかと思えば、藪から棒にもほどがある。


「映画……?」


「そう、私――つまり勇者本人が語る真実の勇者伝説を映画にしてほしいのです。世に出回ってる勇者伝説は、虚構にまみれている。噴水の銅像が良い例だ。これらの虚構を排除し、勇者伝説の真相を世に知らしめたい」


「勇者伝説の真相って……?」


「私――勇者ゾーフィアは、完全無欠、清廉潔白な英雄としてしか記録に残されていない。だがそうではない。私は世界最悪の大罪人だ」


「大罪人!? 救世主なのに……?」


「そう。なんとしてでも私の真実を、世に告白せねばならない。そうして裁きを受け、償いをしたいのです。全世界へ向けて、勇者と呼ばれてしまった存在として!」


 ロジオンは苦虫百匹な顔で肩をすくめてせた。


「ねえ、君がどんだけ馬鹿らしいことを言ってるか分かってる? ゾーフィアはこの世界にとっての──」


「私とて分かっている。人々にとって、最高の尊崇の対象として崇められている。世界中に像が造られるくらいには」


「で、君はその尊崇すべき救世主を、大罪人と言ってるわけだけど……」


「そう、なぜなら私がその本人であり、彼女の真実を知っている唯一の者だからだ。独占的に映画化権を与えます。これはあなたにも利益がある話のはず。私は権利料は一切いらない。私の目的はあくまで、この世界へ償いをすること……!」


 戯言にしか聞こえないが、自称ゾーフィアな少女は真剣そのもの。


 だが、いかんせん、話しの内容がいかれすぎてる。


「僕が今考えてること言っておくよ。ゾーフィアを名乗って売名行為をして金儲けをしようとする詐欺師は、たまに出てくる。君もその一人じゃないか、って」


「ええ、わかっている。だから、私が本物と証明するのが最優先だ」


「証明? どうやって。さっきの特大レーザーだって、確かに魔術の達人なんだろうけど。他にもできる人がいるわけで、ゾーフィアである証明にはならない」


「それも分かっている」


「それに君が見た目より歳を取っていて、本当に千年以上生きていたとしても同じだ。人間でも先祖にホビットやノームみたいな小人種族の遺伝子が混じってると、老化が止まる遺伝子障害者になる事もある。同じような人は少ないけどいる。やはりゾーフィアという証明にはならない」


「それも理解している。ともかくだ。もし、私が何らかの方法で本人だと証明できれば、映画を作る価値がでてくる。でしょう?」


「まあ……そうと仮定するなら、歴史的な大ニュースになる。勇者本人が監修する映画なら、内容はどうあれ話題性だけで大ヒット間違いなしだ。空前絶後のね」


「ならば今は信じられなくとも良い。夜が明けたら、私の本人証明をする」


「証明……だって?」


「ええ、上手くいけばあなたは、『歴史的大ニュース』の最初の目撃者になる。ところで、航空艇は持っていますか? 証明のために一緒に来てもらいたい場所がある」


「親父から借りれると思うけど。僕が運転して連れて行けって?」


「申し訳ないが、お願いしたい」


「嫌と言える状況じゃないんだよね? 何しろ僕は脅迫されてるんだ」


「ああ、これか」

 少女はスマホの写真を表示した。


「あなたに悪い事をしてしまった。ごめんなさい。ここまで聞いてくれれば十分だ。本当に申し訳なかった」


 自称ゾーフィアの少女は写真を消去していく。


「私もこれ以上は、強制という形で、若者の貴重な青春時代を奪いたくない。ここから先、私を助けてくれるならば、自由意志でそうしてほしい」


「……⁉」

 驚いたのはロジオンのほうだった。


 出会って十五秒で脅迫してきたかと思えば、自称勇者のくせに、急にまともなことを言いだした。


 ただの無茶苦茶な変人……というわけでもなさそうな。


 だから、つい思ってしまった。

 もし本物のゾーフィアが、ここでこうして名乗ったとしても、誰も信じてくれるわけがなく、やはり脅迫でもしないと、話しを聞いてくれないんじゃないか、と。


 ならばあれは、彼女の言うとおり、あくまで『他に手がない緊急手段』だった?


 実はこいつは本物で──って、いやいや。飛躍しすぎだ。ありえない。


「ではロジオン・ロコリズ。朝八時に、ここで再集合とする」


「もう僕は脅迫されてない……もう、君に付き合う理由がなくなった、ってことになるんだけど」


「でしょうね」


 寂しそうに、自称ゾーフィアの少女は言った。


「なら分かってると思うけど、僕は八時に戻ってくるつもりはない」


「……でしょうね」


 やはり……自称ゾーフィアは、やるせなそうに、苦笑する。


「では、おやすみ。ロジオン・ロコリズ」


「……おや、すみ」


 そうして彼女に背を向け、歩き出そうとしたときだ。


「私とて分かってはいるのです。救世主など、もうこの世界に必要とされていない」


 ぽつりと言った自称ゾーフィアが見上げた夜空は、大都会の明かりのせいで星一つ見えなかった。


 彼女のその横顔は、濡れたままの黒髪が半分隠していた。


 とても、寂しそうに見えてしまった。


 だから、つい考えてしまう。


 もし、彼女が本物のゾーフィアだったら……?


 だが、そんなわけない、と目を逸らし、彼女から離れるため、歩きだした時だ。


「っ……!」

 自称ゾーフィアの悲鳴に近いうめき声が聞こえた。


 驚いてロジオンが振り向くと、彼女は石畳にうずくまっていた。


 禍々しい紋様が覆った右半身を抱えてだ。激しく痛むのか痙攣してる。


「いったい、君は何を……?」


 彼女は必死の形相を向けてきた。


「あなたが気にすることではな──」


 言葉が途切れ、痛々しい悲鳴に変わった。少女は激痛のあまり我を忘れているようで、肩を抱えていた手の爪が食い込み、出血している。


 ただ事じゃない。慌ててロジオンは駆け寄る。


 彼女の半身を覆った禍々しい紋様は蠢いており、まるで黒い炎が少女を焼き尽くそうとしているよう。左半身にもジワジワと広がっていくように見える。


「あなたが気にすることではないと言ったでしょうに……家に帰りなさい」


「どうやったらこれ気にしないで帰れるって……と、とにかく救急艇を呼ぶから」


「……無意味です。見ての通り私のこれはただの病気ではない。身を蝕む魔術だ。それも極めて特殊な。病院にいるような治癒術師がどうにか出来る類いではない。何しろこれを私にかけた者は世界一の魔術師で、その本人すら解く事ができない」


「世界一の魔術師……?」


「私自身だ。これは私の大罪への罰。放ってくれていい。ここで休めば……」


 少女はそこまで気力を振り絞って言い、気を失ってしまった。


 彼女は倒れてしまい、濡れたままの長い黒髪が、足下の石畳を湿らせた。


 とりあえず言っていたことの九割九分は信じられないが、魔術の達人である、しかも最上級の、という点だけは実演済みだ。疑いようもない。


 ならば『病院に連れて行っても無意味で休ませておけば回復する』という言もその通りなのだろう。が。


「これを放っておけって言われても……」


 辺りを見回すロジオン。

『夜中の公園に全裸の女の子が倒れている図』がここにあった。


 さすがにこのまま放置しておくのは……だとしても……どうする?


 せめて目覚めるまで見守ってやるべきか?


 いやいや他人が通りかかったらどうする。


 犯罪現場にしか見えない絵面だぞ、これは。確実に人生終わる。


 どうすればいい?



 ◆◇◆◇◆◇◆



 で、結局は自称ゾーフィアな黒髪少女を噴水の近くに置いてあったバスタオルでくるんで背負い、彼女の荷物らしいスーツケースを引きずって、その場を離れることにした。


 警察や救急に通報して保護してもらうなども考えたが、あの状況でそれらが来たら誤解され容疑者扱いされるのがオチ。


 彼女が目覚めた時に、まともな証言で庇ってくれる保証もない。

 なんせ救世主を自称する変人だ。


 ならば消去法で、公園のすぐ脇に自宅のマンションがあるから、連れていって休ませるのがギリギリの妥協策と思ったからだ。


 ただし、誰にも見られないよう、照明のある遊歩道を通らず、暗い芝生を通って。

 だから思わず独り言を呟く。


「未成年略取かな……? これ懲役何年だっけ。いやいや、遙かに年上ってのもたぶん本当だから、未成年じゃないはず。人に見られたら詰む絵面だけど……。まったく、なんだって僕がこんなこと……」 




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