現在.3
小学三年生の、あのときに来た祠が目の前にあった。途端に過去の記憶が蘇った。
思い出した……。
あの日。ゲームソフトを願おうと一度は考えた僕だが、金銭が発生するかもしれないなどと馬鹿な考えに断念し、非現実的なことを羊皮紙に書いたはずだ。
神社のお堂を縮めたような護念祠の外観は、あの日と変わらず綺麗で厳かな印象を受けた。
「この日のために五年待った……」
「うん」
「私の紙が壺から出てなかったら、どうしよう?」
「……そのときはそのときだよ」
祠の戸を開けるべきか躊躇する里帆を見て、彼女の願いが叶うことを切に祈った。
願いが叶うかどうかに対して、過剰な思い入れがあるからこそ、里帆の表情は暗かったのだ。彼女にとっては今まさに判決を下される気分なのだろう。
「開けるね?」
里帆は深呼吸をしてから戸を両側に開いた。
「……あ」
五芒星が描かれた壺の前に、一枚の紙が置かれていた。
あのときに見た羊皮紙だ。果たしてその紙にはどんな願いが書かれているのか。
僕は黙ったままで彼女の動向を見守っていた。
壺の横に立てられた札を見ると、自らで確認する気にはなれない。
あの日、里帆が言った"対価"に関して、札にはこう書かれていた。
【願いを持つ者、叶へられし時はそれに見合った対価を払うべし】
つまりは、願い事のレベルによって何かを失わなければならないということだ。
里帆が緩慢な動作で、一枚の紙を手にした。
あ、と目を見開いている。
どっちだ?
僕が書いた物か、里帆の物か……どっちの願いなんだ??
崖下に打ち寄せる波の音を聞きながら、ひたすらに彼女の反応を待った。
里帆は震える声で願いを読み上げた。
「"りほのお父さんを、最初からいなかったことにして下さい。そうすれば、りほは……ぎゃくたいされずにすんだから"」
「……っ、僕、の……?」
彼女が差し出す紙を受け取ると、確かに見覚えのある下手な字で、僕の願い事が書かれている。
あまりにも非現実的な願いが。
里帆は悲しそうに眉を下げたあと、フッと小さく微笑んだ。僕を見つめる丸い瞳に、徐々に涙が溜まっていく。
「ありがとう、翔くん。これはこれで……良かったのかもしれない」
「……え。里帆?」
そのとき異変に気が付いた。
目の前に立つ里帆の体がだんだんと薄くなり、実体を成さずに消えていく。
「っあ」
どうしてそうなるかは、考えなくても分かった。
里帆のお父さんの存在が無に帰してしまえば、彼の遺伝子を受け継いだ里帆もまた、生まれなかったことになるからだ。
「違うっ、違うんだ! 僕は里帆にただ、幸せに生きて欲しかっただけなんだ!」
このまま消えて欲しくなくて、僕は彼女に手を伸ばした。既に実体を無くした彼女に触れることはできず、両手は空を切った。
"バイバイ、翔くん……"
里帆の顔が蜃気楼のように消える間際、彼女の唇がそう告げたように見えた。
「違うんだ……っ」
僕は里帆のカケラを握りしめたまま、その場に崩れ落ちた。うわぁあっ、と声を張り上げ、子供のように
こんなの、願いでもなんでもない、そう心中で繰り返しながら、里帆が居なくなった現実にただただ打ちひしがれていた。
泣きながらも、そうだ、と頭の中で閃いた。
里帆がまた戻って来てくれるように、今お願いすれば、五年後には……!
そう思うのだが……。
涙で濡れた顔を上げ、そばに建つ護念祠を見上げた。
まずは代償のことを考えなければいけない。
札に書かれた注意事項、【それに見合った対価を払うべし】と目で確認し、暫し茫然とする。
一体どんな代償を払わなければいけないんだ?
一度に二人の人間をこの世から消してしまった僕には、どんな罰が課せられるんだ……?
波の音が、ぼんやりとした意識の外で微かにこだました。
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