五年前.2
近所の子たちと集まる公園で、
「あっ、翔くん!」
「よぉ、里帆」
公園に着いた里帆が手提げを片手に持ち、ちょいちょいと手招きしている。仕方なくブランコを飛び降りた。
砂場で遊んでいる奴や滑り台を使って鬼ごっこをしている奴らを尻目に、里帆へと駆け寄った。
「今日の帰り、図書館に寄っておまじないの本を探してきたんだけどね?」
「……あ、うん」
おまじないの本?
僕はクス、と小さく笑った。
ちょうどクラスの女子の間で流行っていたので、里帆もそういうのに興味があったのかと知り、可愛いなと思った。
「この本、見てくれる?」
そう言ってピンク色の手提げから一冊の古びた本を取り出した。黒い表紙で、一見するからに地味な印象だ。
「各地の言い伝えとかが載った本なんだけどね。この本の、172P目……この写真、見て?」
里帆が指さす白黒写真を見つめ、眉を寄せる。
「えっと。ご、ねん
「そう。この場所じつは近所みたいなの……だから今度、行ってみようと思って」
「は?」
里帆の言いたいことがよく分からず、僕は首を傾げるばかりだ。
「て言うか、こんな汚ない本よく見つけてきたね?」
どう見ても児童文庫じゃないので、この本をチョイスした彼女の意図が気になった。
「……うん。なんか、偶然なんだけどね。おまじないの本を探してる時に棚から勝手に落ちてきたの」
「え、勝手に?」
「うん。それで気になっちゃって」
里帆は落ちてきた本を拾い上げ、更にはたまたま開いたこのページを見て、慌てて持ち帰ったそうだ。
「この祠にはさ、神様が祀られていて願いを叶えてくれるんだって」
「うわぁ〜、うさんくせー」
あからさまに顔をしかめる僕を見て、里帆が「そんな事ないよぉ」と不機嫌にむくれる。
「五年越しにようやく叶うかどうかが分かる祠だから、効力はありそうなんだよ。翔くん、一緒に行ってくれるよね?」
*
幼馴染みで、なおかつ気になる異性の頼みだからノーとは言えなかった。
二人して別の日に図書館へ行き、パソコンを使って詳しい場所を調べた。館内で仕事をする司書さんに手伝ってもらい、インターネットから地図もプリントアウトした。
学校のない土曜日の朝、早速その場所へ行くことになった。
水筒と弁当を持って電車に乗り、かなりの時間をかけて歩いた。遠足みたいな気分で最初こそはウキウキと上機嫌が続いたが、山道を歩き始めてからは疲れる一方で、ぜいぜいと息を切らした。
途中、休憩を挟んで二人で弁当を食べた。
再び立ち上がり、傾斜のきつい砂利道を登る。果たしてちゃんと目的地に近付いているのだろうか、と不安になる。
様々な植物を目にして、野鳥の鳴き声を耳にする。視界が開ける場所に出たとき、急に来たことを後悔した。
切り立った崖の向こうは海だった。
こんなに高い崖のそばを歩かなければいけないなんて、思いもしなかった。
図書館の司書さんの話でも、「かなり危ない場所だと思うから、行くなら保護者の方と一緒にね?」と言われていたが、正直舐めていた。危険度は想像以上だった。
断崖絶壁、落ちたら絶対死ぬ、などと思いながら、震える足で最後の階段を登り切る。
白黒写真で見た祠は確かにあった。
神社にあるお堂を小さくしたような見た目だ。なかなか人が立ち入らない場所にあるにもかかわらず、綺麗で整った印象を受けた。
里帆が一礼して、祠の戸を開けた。
「本には祠の中の引き出しに羊皮紙が入ってるって書いてあるよ。そこに願いを書いてこの星の壺に入れるんだって」
「……へぇ」
いつの間にか里帆がリュックの中から例の本を出して読んでいた。
願いか、と考え、来月発売するゲームソフトが手に入らないかな、とほくそ笑む。
里帆にボールペンを借りて、いざ願いを書くときになって、彼女が「あ」と声を上げる。
「そういえば願い事をするのにも注意事項があって、叶えて貰う代わりに対価っていうものを払わなければいけないんだって」
「……は? タイカ? 何それ」
「分かんないけど……、多分お金のことじゃないかな?」
あ、ほら、ここに書いてある、と言って里帆が壺の近くに立てられた札らしき物を指さした。
「えぇ……マジかよ」
お金と聞いて落胆した。あからさまに顔をしかめる。
「新しいゲームソフト願おうと思ってたのに、あとからお金払うんじゃあ意味ないし」
「だったらお金のかからないお願いにしたら?」
「そんなの無いよ」
ボールペンのケツで頭を掻きながら、「て言うか、里帆は何て書くんだよ」と横目を向けた。
「お父さんが死にますように」
「……え」
「うそ、冗談だよ。冗談」
そう言って悲しそうに笑う彼女の二の腕には、真新しいアザができている。昨日までは無かったはずだ。
沈んだ表情で、急に黙り込む里帆が心配になった。僕は彼女の顔を覗き込み、「里帆?」と声をかける。
里帆は暗い目でぽそっと呟いた。
「あんな親じゃなければ良かったのになって……今まで何度も考えたの」
「……うん」
「そうしたら、私はもっと幸せだったのかなって」
「うん。そうだよな」
おそらくそれは里帆の本音だった。
しんみりとした僕らの沈黙を、どこかで鳴く鳥の声が埋める。
「もし、おじさんが居なくなったら里帆はどうなるんだ?」
「うーん……多分親戚とかに預けられるんじゃないかな?」
「え、それじゃあどっか遠くに行っちゃうってこと?」
里帆は首を振り、「分からない」と言った。
「でも、お父さんが居なくなっても翔くんと遊べますようにって書いたら……離れることはないかもしれない」
「っそっか!」
それは名案だ。
僕はボールペンを握りしめ、平らになったコンクリートを下敷きにして羊皮紙を置いた。
里帆のお父さんが居なくなっても、と書こうとして、ふと手が止まる。
居なくなっても、なんて曖昧な書き方だと、願いは叶わないかもしれない。それこそ、行方不明になって二度と戻りませんように、って書くべきか?
そもそもあんな父親が居なければ里帆は痛みや苦しみを知ることはなかったんだ。
僕は僕なりの想いで願いを書いて壺に入れた。
「お願い事は五年後、またここに来たら分かるんだって」
「そっか。……でも五年は長いね」
「うん。それだけ強い願いかどうか、神様に試されてるんだよ」
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