『第十七章~ホンダXL50S』

 脇田のフラッシュ・グレネードから数分。ようやく全員の視界が元に戻った。

「くぅ、まだ目がチカチカするぜ。って速河にレイコ? あれ? 脇田のヤローは?」

「脇田があそこで、レイコ君は無事に速河の手の中。何が起きたかは解からんが、未知数でSFな速河のことだ。何かとんでもないことでもやったのだろう?」

「レイコ! 速河くん! 大丈夫なのね? 良かった!」

「だから速河久作! ハグってるお前は何者なんだぁー! 何技を使ったらそーなんのよ?」

 久作とレイコを追って、地面に座り込んだ露草の周りに全員が集まる。視界ゼロの際、露草葵は頭部にも特殊警棒を受けたらしく、額に細く血が流れていた。真っ白なシャツの襟元が真っ赤に染まっている。露草は額からの血をグローブでごしごしと拭い、しばらく鈍痛と戦ってから立ち上がり、十歩ほど先の脇田哲平に向かった。特殊警棒と、砕けたサングラスが転がっている。脇田は植え込みのレンガを背中で砕いて、体の半分を土に埋めていた。

「何や知らんけど、どえらいことになっとるなー。脇田センセ、埋もれとるやんか。速河か? 目ぇ見えへんで、よーここまでやれるな。アンタは仙人かいな? まーそんでな、気絶中の脇田センセ。ウチの頭やら肩やらはまあええとして、いや、よくないんやけどな、それよりこの右手、どうしてくれんねん? ラベルダちゃんの運転できんやないか。歩いて帰れいうんか?」

 ゴン! と鈍い音がして、植え込みから生えた脇田の頭部が揺れた。ジャケットと同じくトリコロールのフルフェイスが、フルスイングされた音だった。

「これは、没収や。英語の授業にはいらんやろ?」

 露草は、抜け殻となった脇田の手から落ちた特殊警棒を取り上げると、それを縮めてジーンズの後ろポケットに差し入れた。トリコロールのフルフェイスをリカに手渡した露草は、右腕をさすりながら、黒いミドルブーツで力一杯、脇田の、植え込み土からかろうじて見える横腹を蹴り付けた。ズン! と物凄い音がした。その音が、露草の怒り具合を示している。

「脇田センセ、意識ないやろうけど聞きや? 画家とバイク乗りの腕を傷付けたら、天罰下るんやで? そこの連中。サッカー部の河野やったか? アンタらもよー聞いとけや? ケンカすんのはええけどな、よくないんか? まあええわ。相手の力量を測るいうんは猫でも出来るんやで? サッカーでも空手でもテストでも何でも一緒や。負ける思うたら素直に謝って逃げる、せやないと――」

 露草は、空手部主将の新田と英語教師の脇田哲平を指差した。

「――あないな風になる。あの空手部の新田やったか? あの男子が百人いてもな、速河久作には勝たれへん。言うとったやろ? 速河はあいつの百倍強いて。まだ高等部やのに、死にたいんかいな、あいつは。ああ、いっとくけどな、アンタらは保健室出入り禁止や。ウチの部屋は神聖は場所やから、真面目な人間しか入れへん。怪我したら救急車でも呼びや? ウチはなーんもせーへんで? あとなー。ここで起こったことは全部、金山教頭センセに伝えるから、覚悟しときや? 教頭はエグいでー?」

 言い終わると、露草はからからと笑った。

 サッカー部キャプテンの河田が「二人を運べ! 逃げるぞ!」と指示を出していた。重たい二人を六人がかりで持ち上げ、立ち去ろうとしたところに、須賀が声をかけた。

「サッカー部キャプテン、3‐E河野。貴様は脳障害の上に礼儀知らずらしいな。速河に対して謝罪の一つも出ないのか? そうしないと、速河は貴様を追って走ってくるぞ? 逆上した速河が貴様をどうするか、その新田と脇田を見て想像しろ」

 須賀に言われた河野が、青ざめた表情でこちらを向く。冷や汗だか脂汗だかが浮いていた。河野はサッカー部ご自慢の俊足で久作の目の前にくると、膝をついて額を地面にぶつけた。

「は、は、速河、くん? その、スマン! 申し訳ない! もう二度とこんなことはしないと天に誓う! 許してくれ! な? 速河くん!」

「こんなことっていうのは……」

 ぐいと横からリカさんが割り込んだ。

「二年前みたいなこと? 許せって? それは無理よ。二度としないと誓っても、現に二度もやってるじゃないの。須賀くん、それ貸して」

 リカさんは須賀の竹刀を取り上げ、握った。


「The path of the righteous man is beset on all sides with the iniquities of the selfish and the tyranny of evil men.

Blessed is he who in the name of charity and good will shepherds the weak through the valley of darkness.

for he is truly his brother's keeper and the finder of lost children.

And I will strike down upon those with great vengeance and with furious anger those who attempt to poison and destroy my brothers.

And you will know that my name is the lord when I lay my vengeance upon thee.」


 パン! と大きな音がして、河野が悲鳴をあげた。左頬辺りをバンブーブレード、竹刀が叩いた音だ。

「リカ君、持ち手が逆だ。右手が上だ、そう、それでいい。三年、貴様の脳みそではリカ君の言葉を理解できないだろう? リカ君。日本語で伝えてやれ」

「全く、三年といったら大学入試の年でしょうに。まあいいわ」

 リカさんは竹刀を大きく右に振りかぶった。

「心正しき者の歩む道は、心悪しき者の利己と暴虐の行いによって行く手を阻まれる。

 慈悲と善意の名において、弱き者を暗黒の谷から導く者は幸いである。

 なんとなれば、彼は真に同胞の保護者であり、迷い子の救済者であるから。

 我が兄弟を毒し滅ぼさんとする者に、我、怒りの罰をもて大いなる復仇を彼らに為さん。

 我、仇を彼らに復す時に、彼らは我こそ主なるを知るべし。

 ……どうせ、この意味も解からないんでしょう? 要するに、こういう意味よ!」

 バン! と再び大きな音がして、河野の頭がぐらりと揺れた。かろうじて意識は残っているようだ。

「河野先輩でしたっけ? もし、私やアヤ、レイコ、方城くんに須賀くん、速河くんと露草先生に何かあったら、次にこの竹刀を握るのは須賀くんよ? 意味、解かるわよね?」

 河野がぼろぼろと泣いている。両頬は青アザでふくらみ、表情が読み取れない。

「わ、解かった! 君たちには一切近付かない! だからもう許してくれ! 頼む!」

「俺としてはとどめを刺してやりたいところだが、まあ、病院が大好きな河野先輩のお願いだ。リカ君。寛大になってやれ。速河? いいか?」

 尋ねられた久作を、河野が凝視している。久作が、うーん、と思案するフリをすると、河野が泣きながら震え出した。

「リカさんの件は許せない、絶対に。でも、もう夕方だ、いいよ……今日はね。さっさと消えてくれ」

 河野が飛び上がり、新田と脇田を抱えた集団と合流して、学園入り口に立ち去っていった。

「なんだあいつら? ここから歩いて帰るつもりなのか?」

 方城が呆れて言った。

「知らん。それぞれ運動部だ。マラソンで基礎体力でもつけるつもりなんだろうよ」

 ぷっ! とリカが吹き出し、すぐに大声で笑った。それにつられて、露草を含む全員が腹を抱えて笑う。久作は腹がよじれそうになっていた。結局、空手部・新田の攻撃は一度も受けなかったが、脇田哲平の特殊警棒やフラッシュグレネードも含めて、おそらくこれほどのダメージではないだろう。

「何やようわからんけど、これにて一件落着か?」

 笑いが収まった露草が、メタルフレームを上下させつつ久作に尋ねた。

「そうですね。露草先生のお陰で、綺麗に終わりました。もう何もしなくても、周りが勝手に処理してくれますよ。ありがとうございました」

 久作は深々と礼をした。

「速河、頭あげい。礼はいらんわ。ウチはただ来て、見て、喋っただけやて。んで、速河は大丈夫みたいやけど、方城と須賀は保健室やな。そのお供もおるし、ま、全員保健室に集合や、ったたた!」

「露草先生? 頭と右腕、重症でしょう? 先に先生が病院にいったほうが――」

「ウチは名医や言うたやろ? 頭はまあ冷やして、腕は骨いっとるけど、これくらいはレントゲンなしでも自分でどないかなるわ。ほな、いくでー」

「いくでー!」

 レイコが大声で復唱し、全員揃って保健室に向かった。が、久作は三歩ほど進んだところで足を止めた。

「露草先生、ラベルダ! 放置したままはまずいですよ」

「あ! そや! ウチのラベルダちゃん! えーと、速河、これ、キーや。駐輪場に移動させといてな。ほな、いくでー」

「久作くん、がぶがぶいくでー!」

 再びレイコが大声で言って、笑った。

 欠片だけの雲、紅い青空の下。鮮やかなオレンジ色のカフェレーサー、ラベルダ750SFCは、そこにあるだけで強烈な存在感をかもしだしている。

 露草から渡されたキーを慎重に刺し、シートに腰掛けようとしのだが、上げかけた右足はゆっくりと地面に戻った。何と言うのか、ここで自分がラベルダに乗るのは間違っている、そんな気がしたからだ。根拠などない、ただ、そう感じただけである。久作は改めてラベルダの横に立ち、ステアリングを握り、そのまま教員用の駐輪場まで押していった。ごく普通に走らせれば一分で到着しただろうが、十分ほどかかった。駐輪スペースにラベルダを入れ、二歩ほど下がって、真横からラベルダを見た。ラベルダ750SFC、バイクという名の芸術品。高名な画家の作品を観たことは何度かあったが、ラベルダはそれらの遥か上空にいた。そんなことを考えて、久作は転身した。

 自分のバイク、ホンダXL50Sの型式はラベルダと殆ど一緒だった。かなり入念にメインテナンスをしたが、あちこちにサビや傷があり、知らない人が見ればただの小さなオフロード原付でしかない。しかし年式もあり、ほどほどにマニアックなバイクで、そしてお気に入りである。

「久作くーん! ほな、いくでー!」

 夕焼けで紅い高等部校舎入り口で、レイコが両手を大きく振っていた。駐輪場から入り口までをゆっくりと歩き、レイコの笑顔を眺めつつ久作はバイク以外のことを考えていた。

 渾身で吹き飛ばした高等部の英語教師、脇田哲平。授業は二回ほどだが今回の、リカの件を含めると二年に渡る、或いはもっとかもしれない脇田の行動、これをどう捉えるのか、判断に悩んでいた。脇田の下で動いていた連中は簡単だ。小銭か何かで操られていたのだろう。しかし、脇田が最後に見せた狂気は、サイコパスという言葉が一番だが、それが学校という身近な空間に存在したという紛れもない事実は、にわかには信じがたい。それはつまり、同じようなことが今後、学校でないにしろ身近で発生しうるという意味でもあり……。

「まあ、いいか」

 明るく能天気なレイコを真似てみた。口に出すと予想以上に頭がスッキリした。足取りも軽く、久作は校舎入り口をくぐった。


 ――私立桜桃学園高等部、1-Cの一員になったばかりの速河久作。

 自由と平和と平凡を愛する、自称どこにでもいる退屈な高校生はしかし、今回の事件を発端に、方城護と須賀恭介と、橋井利佳子、橘綾、加嶋玲子の通称「リカちゃん軍団」、そしてスクールカウンセラー・露草葵と共に、幾つか、退屈とは少々遠い体験をすることになる。

 だがその話は、またいずれ。



♪「のんびり急げ」by Raptorz

(作詞・歌:真樹卓磨/作曲:加納勇介(G) 大道庄司(D)/編曲:真樹卓磨(B))


 タバコ一本吸う間に

 数億の命が左右する

 秒単位で動いている世界の中では

 のんびり過ごすのも楽じゃない


 のんびり まったり ゆったりと

 いうのは簡単で やるとなったら結構大変だけど

 誰かと一緒にやれば どうにかなるさ


 なにもかにもを見てみぬフリをすれば叶う平穏を

 それで本当にいいのかと疑問に思うともう駄目だ

 冷徹非常や無知を決め込んで

 知らない解らない関係ないといえる

 そんな図太い神経がなければ

 とてもじゃないが無理


 のんびり過ごすその意味を

 考えることは悪くない

 自分 友達 知人 赤の他人

 のんびり過ごそうとしているのは誰?


 赤の他人の のんびりを考える

 妙なことだが悪くはない

 どこかの誰かがのんびり過ごせる

 そんな時間を作ってあげる自分は忙しいけれど

 誰かが自分ののんびりを作ってくれるかもしれない


 のんびり まったり ゆったりと

 いうのは簡単で やるとなったら結構大変だけど

 誰かと一緒にやれば どうにかなるさ……


(――第十回、私立桜桃学園文化祭ライブより)



『ミラージュファイト・ゼロ』――完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミラージュファイト・ゼロ @misaki21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ