第四十五告  妹と兄

 宿泊施設の中の談話室で信岡玄は新当桂馬と新当絵馬に会った。

 攫われてきた2人は椅子に座らされ後ろ手に手錠をかけられている。低いテーブルを挟んで信岡玄が向かい側に座っていて、その脇に君成歩三男が立っている。

 信岡玄は新当桂馬に自分が知ったことを話した。裏に多門真夕貴の存在があったこと、彼女の悪意によるでっち上げで【シニコク】の呪いを受けたあと信岡聖がどんなふうに過ごしたのかを。


「そんな……じゃあ僕がしたことは……彼女になんて詫びれば」

「わ、わたしは謝らないわよ! 知らなかったんだもの。どうせ疑われるようなことをしたから……ひっ!」

 なおも自己弁護を繰り広げようとする新当絵馬に君成歩三男が銃を向ける。それを制して信岡玄が話を続ける。

「新当桂馬、俺はお前に謝ってもらうつもりはない。そんなことでお前のしたことが消えるわけじゃないからな」

 信岡玄の目にかつて新当桂馬に見せていた親愛の情はない。それを見せつけられれば桂馬も口を閉じるしかない。


「ただお前が聖の心を占いなんていうあやふやなもので量ろうとしたこと、そのことだけは許せねえ。大体不公平だと思わないか? 聖の気持ちは試すくせに何で自分のことは占わなかったんだ?」

「えっ?」

「だから俺は考えたんだよ。お前が聖と平等イーブンになるにはどうすればいいのかをな。それでこそ天秤が釣り合うってもんだろう? ……つまりだ、お前も【シニコク】を受ければいい。それでこそ平等イーブンだと思わないか? なあに、あの日お前が聖と結婚したいと言った気持ちを量るだけだ。小細工はしない。どうせなら目の前でやって見せてやろう。自分に嘘がなかったと言うなら受けられるだろう?」


 信岡玄の言葉に新当桂馬は震えた。信岡聖を愛していたことに嘘はない。だからこそ裏切られたという悔しさで聖を拒絶したのだ。しかし桂馬が聖の釈明も聞かず何の調べもせず、【シニコク】で呪われたという結果だけを盲信していたのも事実だ。そして真相を知って聖の愛を裏切ったのは自分の方だったと知らされれば躊躇わずにはいられない。

(あの日まで聖に抱いていた気持ちは本物だ。それでも万が一に赤い影が浮き出てしまったら? そうなったら人にそういう目で見られてこの先過ごすことに……)

 しかもそれを判断するのは呪いという人外のことわりだ。どの時点の何をしてその判定がなされるのか、それを知る術は人にはない。


「どうした? 自信があるならできるだろう? 【シニコク】で呪われなかったら無罪放免だ。やらないなら別のものにするか? そうだな墨を背負ってもらうとか」

「そ、そんなこと! お願いします。それだけは……」

「あれは嫌だこれはできない。だったらお前は俺や聖に何を見せられるんだ? 金でも積むか、おい! お前もタコ部屋送りにしてやるか!」 

「え、あ……それは……」

 信岡玄が新当桂馬の胸ぐらを掴む。そこに新当絵馬が割って入ってくる。

「待ってください! 桂ちゃんの代わりにわたしが【シニコク】の呪いを受けます! わたしが玄さんに一生尽くします! それでどうか桂ちゃんを許してください!」


 新当絵馬は信岡玄に犯されて【シニコク】を伝染されることを望んだ。

「ああ、それでもいいか。お前には別の復讐をしてやろうと考えていたが、お前の赤い影を見るたびに桂馬も自分のしたことを思い出すことになるだろうからな。自分が妹を身代わりにしたヘタレのクズ野郎だということをな」

 信岡玄にそうまで言われても新当桂馬は反論しなかった。絞り出すように「済まない」とようやく口にしただけだった。

「絵馬のことは僕が一生面倒を見るよ……ごめん、僕にはそれしか……」

「ううん、いいの。それで桂ちゃんが救われるなら」

 信岡玄は新当絵馬を別の部屋に連れて行くように君成歩三男に指示した。


 娯楽室に移動した新当絵馬は卓球台に上半身を伏せ尻を突き出すような格好で縛られた。裸にされ目隠しをされている。そうしておいて君成歩三男は部屋を出て行く。信岡玄を呼びに行ったのだろうと新当絵馬は音で判断した。

 部屋に一人残された絵馬はそれでも口元に笑みを浮かべていた。今の胸中を占めているのは倒錯した幸福感だった。

(ああ、ようやく玄さんとひとつになれる……わたしのはじめてを捧げることができる……)


 ……昔から新当絵馬は人のものを奪うことに悦びを感じる人間だった。人と同じものを持ちたいという気持ちがはじまりだったが次第にそれは盗癖に変わった。そのことを親に叱られてからは盗むものは物品から形のないもの、使える友達や人の功績に変わっていった。努力よりも手っ取り早い成果を得ることに何のためらいもなかった。

 新当絵馬のそうした欲望は次に友達の恋人に向けられた。誘惑して友達と恋人を別れさせることにゲームのような達成感を感じた。

 それでいて男が体の関係を求めてくると「そんなつもりじゃなかった」と拒否して距離を置いた。自分でそういう状況を作っておきながら、一方でこんな軽薄な男に処女を捧げたくないという思いが新当絵馬にはあった。現実には人を弄ぶ悪女であったにしても、心では未だに王子様を待つ囚われの姫に自分を重ねているような女だった。


 新当絵馬がはじめて信岡玄を見たのは高校のテニス部の練習試合のときだった。

 昼食を摂りながら信岡聖と仲むつまじく話す笑顔から目が離せなくなった。午後の試合で足を痛めた聖を抱きかかえて運ぶ姿に、自分が彼の腕に抱えられるところを想像して妄想にふけるのが日課になった。


 そして新当絵馬は信岡玄を手に入れるために動き出す。兄の新当桂馬を誘導して信岡聖と付き合うように仕向けたのもそのひとつだ。聖が玄を兄妹以上の目で見ていることに気づいて危険だと思ったからだ。

「わたしの大事な桂ちゃんをあげるんだから、玄さんはわたしがもらっていいでしょう?」

 純真な妹を装って絵馬がそう言えば禁断の愛を知られたくない聖は頷くしかない。そうやって新当絵馬は外堀を埋めていった。

 クリスマスを口実にいっそ体の関係になってしまえばとも思って絵馬は桂馬をけしかけたが、奥手な桂馬には少し無理な計画だった。それでも婚約という話になって二人で遠くの大学にいくことになったのは新当絵馬にはうれしい誤算だった。


 新当絵馬は一人暮らしになった信岡玄の家で料理をしたり掃除をしたりするようになる。つかの間の新婚気分を味わい来たるべき将来を夢に見た。

 しかし大学に行っている間に婚約破棄の騒動が起きて信岡聖と新当桂馬が別れたのは新当絵馬にとっても青天の霹靂だった。聖が戻ってきて甘い『同棲生活』を邪魔される訳にはいかない。玄には側で「二人が円満な関係だ」と嘘の情報を流してはいたが、それも時間稼ぎにしかならないのは分かっていた。その間に絵馬も玄を落とそうと躍起になったのだが、反対に玄の中にある捨てられない聖への想いを再確認するだけだった。

 自分の入る余地がないことに気がついても、それでも新当絵馬は信岡玄を諦められなかった。


 結局は新当絵馬の嘘も信岡玄にバレてしまう。「浮気をするようなクズ女よりわたしを愛して」と訴えても絵馬の想いは玄にはとどかない。

 電話越しの様子をうかがうと玄が病院にいるのが分かる。聖が入院しているであろう病院だと直感して絵馬も急ぎそちらへ向かう。

(たとえわたしが隣にいられなくなったとしても……あの女にだけは玄さんを奪とられたくない!)

 絵馬を突き動かすのは聖への強烈な嫉妬だった。憎悪と呼んでもいいほどの。


 新当絵馬は信岡聖のいる病院を突き止め、信岡玄が外出した隙をついて聖の病室に侵入した。

「あなたは妹の立場に甘えて玄さんに迷惑をかけているだけよ。どうしてそれが分からないの!」

 絵馬はそう言って聖をなじった。偽装した『通帳』を証拠だと見せつけて自分たちがもう一緒に暮らしている間柄なのだという嘘を現実にすり替える。戻ろうとしてももうあの家におまえのいる場所なんてないのだと。


「嘘よ……そんなこと兄さんは言ってなかった。これからずっと一緒に暮らそうって。私のこと、ハニーなんて呼んで……」

(何がハニーよ! わたしでさえそんなふうに呼ばれたことなんてないのに!)

 信岡聖の口から漏れた言葉に新当絵馬は思わずかっとなって聖の頬を張る。はっとして絵馬を見る聖に、絵馬はさらに嘘を塗り重ねる。

「勘違いしてんじゃないわよ! いい? わたしのお腹にはね、もう玄さんの子供がいるのよ」

 言いながら愛おしそうに自分のお腹に目をやり両手でさすってみせる。それを見せれば聖は嗚咽して涙をこぼしはじめた。それは絵馬が待ち望んでいた勝利の瞬間だった。

 新当絵馬はショックで茫然自失の信岡聖を急かして着替えさせ身の回りのものをバッグに詰め込む。別れの書き置きを書かせ、手切れ金だと言って10万円を聖のサイフに入れた。

 人目を避けて裏口から玄関に回り、聖をタクシーに乗せると駅へ行くように運転手に指示した。


 病院で再会したのもつかの間、信岡玄も新当絵馬の前から姿を消してしまう。当然絵馬も予想はしていたものの、やはり玄を失ったショックは大きかった。

 情緒不安定になった絵馬は桂馬や親と衝突し、仕事も辞めて家を出てしまう。その後派遣の仕事やバイトに就いてもトラブルを起こして長くは持たなかった。信岡玄との思い出に浸りながらただ食いつないで生きるだけの日々が続く。

(玄さんにもう一度会いたい……玄さんに抱かれるならそのまま死んでもいい……)


 ……それが叶っていま新当絵馬の目の前に信岡玄がいる。彼の風貌がすっかり様変わりしていることや、攫われて新当桂馬と一緒にここに連れてこられたという状況も絵馬にとっては全て些細なことに過ぎなかった。

 新当絵馬が再会した喜びを爆発させても信岡玄はそれを無視した。玄は聖に起こったことを淡々と語り、その真実に新当桂馬は青ざめるばかりだった。しかしそれは絵馬にとっては今更どうでもいいことだ。むしろ玄も【シニコク】の呪いにかかっていること、赤い影がセックスで人に伝染ることに興味が向いた。


 信岡玄は新当桂馬にも【シニコク】呪いをかけると言った。それに対して桂馬は目を伏せてがたがたと震えている。それを見ている新当絵馬の頭に突然ひらめきが走る。桂馬の代わりに自分が呪いを受ける、そうすれば自分の願望が叶うと!

「待ってください! 桂ちゃんの代わりにわたしが呪いを受けます! わたしが玄さんに一生尽くします! それでどうか桂ちゃんを許してください!」 

 絵馬がそう言うと玄はようやく正面から彼女を見た。その目は冷酷そのものだったが絵馬には提案を了承された歓びのほうが勝っていた……。


 新当絵馬のいる娯楽室のドアが開いて複数の人の入ってくる気配がする。

「じゃあはじめるぞ。いいな?」

「はい……」

 目隠しをされているものの絵馬にはそれが信岡玄と新当桂馬の声であることが分かった。側には君成歩三男もいるのだろう。

 他に音のない部屋に服を脱ぐ音だけが聞こえる。次に絵馬に向かって歩いてくる裸足の足音が聞こえ、それは彼女の後ろ正面で止まった。

(わたし……ついに玄さんに抱かれるんだわ。理由が何であれずっとこうなりたかったんだもの。後悔なんてしてないわ。ああ、早くきて! さあ早く!)

 絵馬は歓喜に思わず叫び出したくなるほどだったが、そこに立った男は動こうとしなかった。そして絞り出すように一言告げた。

「僕には……やっぱりできません」


「えっ? 桂ちゃん? どうして桂ちゃんが!」

「絵馬、俺がお前を抱くわけがないだろう? それじゃあお前を喜ばせるだけだからな。影持ちのやつは『琉星狼』にもいるからそいつらにやらせると言ったら、それだけはやめてくれと泣いて頼むから桂馬にチャンスをやったんだ。代わりにお前が絵馬を抱けば許してやるってな。

 ……しかし結局お前はそれを活かせなかったな。次にもっといい餌が回ってくるかもしれないと思っているうちに飢えて死ぬ野良犬と一緒だよ。俺はもうこれ以上は譲る気はねえ。やる気がないならとっとと部屋を出ろ。歩三男、『琉星狼』を連れてこい。ああ、なんなら全員でもいいぞ」

「待ってください! お願いします、それだけは! ……やります。絵馬をそんな目にあわせるくらいなら、僕が……」

 意を決して桂馬は拘束されて動けない絵馬にしがみついていく。

「ごめん、絵馬……もうこうするしか……」

「い嫌よ! 桂ちゃん、やめてこんな……わたしは玄さんと……嫌っ! 嫌あああ!」


 ……解放されたあと、新当絵馬は実家に忍び込んで200万円を盗んで姿を消した。その後手を尽くしたが誰も絵馬の足取りを掴めないまま13年が経過した……。


 そして棋界に新当玄馬しんどうしずまという新星がデビューする。総掛かりの乱戦を好み入玉も辞さないその棋風から新当玄馬は「餓狼」と呼ばれた。

 それと同時に玄馬の生い立ちも耳目を集めた。女手ひとつで育ててくれた母親を小学生のころに亡くし、その後引き取られた擁護施設で将棋を覚え才能を見いだされたのだという。

 賞金を獲得して世間に注目されるようになると、新当玄馬に「自分が父親だ」「母親の血縁だ」と近づいてくる人間が現れるようになるがDNA鑑定を持ちかけると誰も応じようとはしなかった。


 そのうちに新当玄馬は将棋イベントで度々母親に似た雰囲気の男の人を見かけるようになる。思い切って自分から声をかけてみたが、彼は「ただの将棋ファンだ」というばかりだった。会社の同僚らしき連れからは「ケイさん」と呼ばれていた。

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シニコク~4259 桜盛鉄理/クロモリ440 @kuromori4400

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