第11話『開戦』
「この塔への出入りは禁止だと再三に渡って注意を促したはずだが、貴様には耳もないのか問題児?」
言いながらその太い指で自分の耳をほじる動作をする。
「……何の用だ」
言ってユーシャは身構える。
何か、嫌な雰囲気だ。
しかし教師はユーシャの言葉を聞いて一瞬呆けたように動きを止めると、すぐに頭を抱えるように視界を掌で覆い、くつくつと肩を鳴らす。
「くっくっくっ……、何の用、か……。ああ、そうだな。強いて言うのなら、『教育的指導』というやつだ。……『
教師が壁に手をつき何かを唱えると、唐突に魔王の首に首枷が現れ、天井高くから伸びる鎖によって体が吊り上げられる。
「ぅ……ぐっ──」
「魔王ッ!」
それを見てユーシャは咄嗟に鎖へと飛びつくが、鎖はいくらやっても引千切れない。
「無駄だ問題児。その鎖はこの塔に施された防衛機構の一つ。塔の封印が健在な限り、その鎖は決して千切れない」
魔王の体は爪先が地面を離れるギリギリまで吊り上げられ、呼吸はおろか命すらも奪われかねない。
「っ…………か──」
「くっ────」
一向に切れる気配を見せぬ鎖を諦め、ユーシャは咄嗟に魔王の両足を掬い上げる。魔王の小さな体はひょいと持ち上がり、科せられた鎖に余裕が生まれる。
「…………っはぁ、はぁ、はぁ……」
止まりかけていた呼吸が続いていることに、ユーシャはひとまず安堵する。
「無事か、魔王」
「……………………前だ、ユーシャ」
その言葉とほぼ同時に、ユーシャの腹部へと強烈な打撃が入り、ユーシャの体は十数メートル後ろの壁へと激突する。
魔王を抱えたことによって空いた土手っ腹へと叩き込まれたそれは、鍛え抜かれた偉丈夫の拳。まるでさっきまで熱を帯びていたかのようにそれは煙を上げている。
「ユー…………ぐっ──」
「おっと」
ユーシャが吹き飛ばされたことによって再び魔王を吊り上げようとした鎖だが、唐突にその長さを伸ばし魔王の体を地面に転がせる。
「が、は……、ごほっ……ごほ……」
「危ない危ない。処刑の前に殺してしまうところだった」
教師は何かを調整するように、宙空に現れた壁に触れ指を細かく動かしている。
「気をつけんといけんな。いくら殺して構わん悪魔とは言え、規則は規則だ。たとえそれが、魔王の命と言えど、な」
教師は終始にこやかな笑顔を浮かべたまま、悪びれた様子も一切なく自責の念を説く。
「ぐ……、ユーシャ……」
乱れた呼吸に喘ぎながらユーシャの名を呼ぶが、ユーシャは壁に叩きつけられたまま動かない。
「動けんさ。まともな勇者ならまだしも、学生程度でオレの拳は防げはしない。まして先週やってきたばかりの新入生、その落ちこぼれとなれば」
そもそもユーシャは不意を突かれ、受けることすらできてはいない。がら空きの胴体に教師の拳をまともに食らったのだ。教師とは名ばかりの、れっきとした『勇者』資格を持つ者の拳を。
普通ならば、立てはしない。勇者候補とは言え、新入生などただの人間とそう大差ない。よくて全身打撲。最悪死んでいてもおかしくはない。
「まったく。問題生徒というのはどうしてどいつもこいつもこう世話が焼け──
と、その瞬間。
「……………………っ────」
両の手を見慣れぬドリルに変えて、見慣れた栗色髪のメイドが体育教師へと突進する。
「お──?」
「マロン!」
寸分違わず脳天を狙った右手のドリルを体育教師は上半身の動きだけで躱し、アッパー気味に襲い来る左手は難なく掴まれてしまう。
メイドは無表情のまま振り解こうと体を捩るが、頭を鷲掴みにされ動けない。
「魔王の人形か。よくできた玩具だが、少々お痛が過ぎるようだ」
教師はそう言ってギリギリと掴んだ掌に力を込めていく。
「ぐ──が────」
無機質な音がメイドの口から零れ、人間の頭ではしないような音がメシメシとたてる。
「やめろ」
音と共にチカチカと火花のようなものが飛ぶ。しかし教師は気にせず続ける。
「せっかくだ。主人と共に、貴様も送ってやろう」
「やめろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
「そこまでだ」
ギリリと、メイドを握っていた腕が掴まれる。
「ほう……」
何事もなかったかのように立つユーシャに教師は細い目をさらに細め、掴んでいたメイドの頭を離す。
「よもやオレの一撃を受けて立ち上がることのできる生徒がいるとはな」
「確かに、この塔の壁は壊れないらしい」
「ん?」
「おかげで、少し痛かった」
わざとなのかはたまた天然なのか、ユーシャの口にした煽りとも取れる言葉に男性教師はニッと笑う。
「面白い。あれを受けた上で立ち上がれる生徒は久々に見る。予想するに、貴様の【
(【
その言葉を聞いて、地べたに眠る魔王は今更ながらに思う。
自分はこの少年の【恩恵】を、一度も目にしたことがないと。
【
魔力の必要もなしに手から炎を発現させる者。遥か遠くの物事を見聞き出来る者。癒しの力を持つ者。それら千差万別の力は限られた人間にしか持っておらず、また悪魔にはない力なのだ。
魔王侵攻直前より急速に増えたこの力を、人は神よりの賜り物【恩恵】と呼び、魔王に対する力の象徴とした。
だからこそ今日、勇者を目指す子供は皆一様に選りすぐりの【恩恵】をその身に授かっている。まぁそもそも、現代生まれる子供のほぼ全てが大なり小なり何かしらの【恩恵】を授かっているのだが。
この【恩恵】の有無強弱によって、武芸や魔法の才の価値も決まってくる。剣を創り出す【恩恵】を所持しているのに、弓の才能だけを伸ばしたところで何の意味のないからである。
つまり【恩恵】は悪魔、ひいては魔王に対する人類の唯一の武器なのだ。
どのような才能を持とうと、どのような努力をしようと、【恩恵】がなければ魔王を倒すほどの結果にはなり得ないからである。
しかしユーシャはその唯一の武器とも言える【恩恵】の力を、魔王相手に未だに見せてはいない。まぁ、今までどのような敵も大抵瞬殺で片付け、相手の力などにほとんど興味を持たなかった魔王の所為と言えばそうなのだが。
だが今は、そうではない。今の魔王にも、癪だがあの教師と同じく興味がある。
ひた隠しにする、ユーシャの【恩恵】に。
だが、ユーシャは。
「ない」
「なにぃ?」
「俺に【恩恵】など、ない」
「はっ。何を言っている。この学園への入学は【恩恵】の有無が大前提。そもそも、【恩恵】の力なくしてここまでの試練をどう乗り越えたの言うんだ?」
それは、そうだ。さっきも行った通り【恩恵】なくして勇者の大成はあり得ない。現に、今まで魔王が倒してきた勇者は皆一様に【恩恵】持ちだ。その能力までは知らずとも、勇者たちは魔力の通わぬ不思議な力を使ってきていた。
だというのに、今更勇者並の力を持った一般人が現れるわけがない。仮にもこの塔に張り巡らされたダンジョンは、魔王に挑まんとする愚か者を排除するためのものなのだ。そんじょそこらの勇者が簡単に攻略できるような構造にはなっていない。
「知らない。そんなものは、初めから俺には存在しない」
しかしユーシャは言う。そんなものはないのだと。
思い通りの回答が得られず、教師は歯痒そうに頭を掻く。
「そうか。まぁ、話す気がないのなら仕方ない。どうせ貴様は、ここで退学なのだから……なッ!」
不意打ち気味に振られた左フックをユーシャはしゃがんで避け、同時にメイドを抱えて後方へと跳ぶ。
「マロン……」
満足に体を動かせぬ魔王は身を捩りメイドの手を取る。
いつもは暖かみを感じるその手も、今は人形のようにダラリと垂れ下がっている。
「ひ……、姫様…………」
「頭部にダメージを受けているが致命傷には到っていない。このまま大人しくしていれば問題はない」
ユーシャはそう言って、魔王の側へとメイドはそっと寝かせ、相手へと向き直る。
「大人しく……ね。残念ながら、それは叶わない相談だ。問題行為を幾度も繰り返す貴様の退学処分は変わらんし、そこの魔王の処刑は覆らない。そうなれば当然魔王の持ち物であるその人形も廃棄処分だ」
当たり前のように。当然とでも言うかのように、教師は顔面に張り付いた笑顔でそう宣う。
「しかしその前に、貴様には少しお灸を据ねばならんようだ。勇者としての規律と、学生としての領分というものを」
男性教師は肩の高さまで上げた右拳をパキパキと鳴らす。まるで見せつけるように。今からこの音を鳴らすのは貴様らの方だと、そう言わんばかりに。
「……勇者とは、姫を助けてこその勇者。今ここでこの二人を見捨てる選択肢は、勇者としてあり得ない」
対するユーシャは、威嚇する男性教師を真っ直ぐ見据える。
「……ふむ。やはり本当の教材はこの拳というわけか。ならばいいだろう。貴様のその曲がった矜持を、再教育してやろう」
二人はまるでゴングを待つかのように互いを見詰め、そして次の時には、朝日が塔の天窓から降り注ぐ。
「勇者第一学園体育教師兼生徒指導係エビハラ、教育的指導を開始する」
「勇者キシガミ=ユーシャ、姫の
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