第12話『恩恵なき力』


 瞬間、それは始まった。


 遠く離れていたはずの二人の拳が突然交わり、互いの頬を互いの拳が突き刺さす。



「…………」

「ほう……」



 感心するように、教師はそんな声を漏らす。

 だがそれも束の間、



「多少はやるようだ。ただの口がデカイだけの問題児は数多くいたが、貴様はそいつらとは少し違うようだ。ならば、これはどうだ?」



 言って教師の握り締めた拳に、赤色の光が灯る。



「っ…………!」



 瞬間、目の前に現れた教師エビハラによる拳がユーシャに迫る。大きく振りかぶったアッパー気味の一撃。威力は連打の比ではない。それはさきほどユーシャを吹き飛ばした一撃と同等、またはそれを凌ぐ威力のそれ。しかし違うのは、その拳に秘められた赤き光。属性魔法による、赤き焔。



「赤の拳『愛の炎』」



 短く告げられたその言葉は、よもや必殺の技名か。ならばこの一撃は男にとって渾身の一撃。


 回避は既に間に合わない。しかしこの動きはさっき見た。同じ動きならば対応も可能のはず!



「く……ぉぉぉぉ……」



 予想通り、その拳は受け止め切れた。威力は確かに高火力。付与された炎によって多少掌が炭化したが、止められぬほどではない。これがこの『勇者』にとっての必殺技だとするならば、勝てぬ相手では──、



「青の拳『愛の凍土』」



 しかし、ユーシャの甘い予想を覆すように、教師エビハラから齎されたのは新たな二撃目。炎の一撃目とは違う青白いオーラを纏って、ユーシャの掴む右手とは逆の左手より放たれる。



「ぐっ────」



 すかさずユーシャも応対するが、受けたユーシャの腕が弾かれる。


 そしてその腕は、白く冷気を放ち凍っていた。



「一つ目はオレの教育に対する情熱。二つ目は教育に対する冷静さ」



 防御を行なった腕が弾かれたユーシャの胴は今やガラ空き。再び受けようにも、腕が凍りついてうまく動かない。



「そして三つ目は、指導という名の『愛の雷』……」



 体勢を崩し倒れるユーシャに、教師は両の拳を絡ませダブルスレッジハンマーの形をとる。



「これがオレの、教育だぁあああああああああああああああああああああ!!!!」



 衝撃インパクトの瞬間、視界を覆わんばかりの雷光が迸る。両手に込められた雷の属性魔法が空間を轟かせ、さながらその一撃は室内に突如発生した稲妻そのもの。


 まさに神の鉄槌。それほどの威力を一時的とはいえこの場に現界させられたのはやはりこの男が勇者たる所以か。


 兎にも角にも、今の一撃によってユーシャは体から白煙を上げながら、衝撃によって抉られた石畳の床へと眠りにつかされる。



「小僧っ!」



 魔王はすかさず駆け寄ろうと立ち上がるが、鎖が地面へと魔王を縫い付ける。



「やめておけ。多少手加減はしたが、どうせ立てはしない。悪戯に苦しませるより、このまま眠らせておいた方がコイツのためってもんだ」



 言われ、思わず声が引っ込んでしまう。確かに、そうだ。ユーシャにとって、この戦いにメリットはない。この戦いの戦利品は、つまり魔王自身。ユーシャは魔王とこの塔から連れ出そうとして、教師は教育的指導を名目に魔王とユーシャの逃亡を阻止しようとしているのだ。どちらの目的も魔王ではあるが、ユーシャの目的はそもそも前提から破綻している。


 魔王をここから連れ出すことは不可能。その時点でユーシャに勝利はなく、たとえこの教師に勝ったとしても、その先にあるのは目的を達せずただ魔王の処刑を待つという虚しさのみ。


 そうなるくらいならば。この未来ある少年の傷となってしまうくらいならば。

 ここで眠っていてもらった方がいいのかもしれない。


 期待など、無意味なのだから。



「さて。当面の問題は片付いたわけだが、処刑執行の時間はまだ当分先だ。面倒だが、ここは一度学長に報告を……」



 ぶつぶつと呟いていた教師が、扉の方へ振り向いて、動きを止める。


 一拍遅れて気付いた魔王も、驚きに目を見開く。


 二人の視線の先。そこには、口から血を流し、ボロボロになりながらも、二本の足でしっかと立つユーシャの姿があった。そしてその瞳は、まるで炎でも燃え上がっているかのような力強さで、目の前に対峙する教師を見据えている。



「……はッ。よもや、オレの『三色パンチ』を食らって立っていられる生徒がいるとはな。そのどうしようのないタフネスは認めるが、まさかそれが貴様の【恩恵】ではあるまい?」



 そこで、教師は気付く。さきほど教師が放った炎の拳。それを防御し火傷を負っていたはずのユーシャの腕が、綺麗さっぱり治っていることに。



「なるほどな」



 合点がいったとばかりに、教師は不適に笑う。



「つまり、それが貴様の【恩恵ギフト】は治癒系統というわけか。それも、つい今し方の火傷を瞬時に治してしまうほどの回復速度。これならば、生傷の耐えない近接戦主体の勇者ならば最高の【恩恵】と言えるだろう。だが、所詮オレには──



「違う」



 予想外にも、ユーシャは否定する。



「これは俺の【恩恵】なんかじゃ……【神からの施し】なんかじゃない」


「ほう。では、なんだと言うんだ?」


「これは昔、俺を助けてくれた女の子から授かったものだ」


「ほう?」


「だから俺はこの力を【姫君からの贈り物プレゼント】と、そう呼んでいる」


「そうか。では、その力でこのお姫さまを助けられそうか?」


「助ける」


「そうかそうか。それはご立派なことだ。【恩恵】モドキを使い、世界を滅ぼす悪しき魔王を助ける。実に泣ける話だ。なぁ、問題児?」


「…………」


「……はぁ。言ってもダメ。諭してもダメ。貴様ら問題児はいつもそうだ。話せばわかるなどと甘い考えでは常に手遅れ。悪魔という脅威が目の前にある今、そんな平和ボケした考えでは生徒も世界も、誰も守れはしない。仮に勇者だと言うのならば、暴力に訴えてでも規律を守らねばならんのだ。それこそが、世界平和の唯一の方法なのだ」


「確かに、そうかもしれない。人も、世界も、何もかもを守りたいのなら、そのくらいの覚悟がないと、できないのかもしれない」



 ユーシャは一人、呟き出す。



「だけど、目の前の女の子一人助けることもできないやつに、世界を守ることなんて決して出来はしない。まして、勇者を名乗る資格なんて有りはしないんだ」


「ほう。ならばオレたちは誰一人として勇者足りえんとでも? 抜かせ。勇者とは、魔王を――悪魔を殺す者のことを言うんだよ、問題児」


「違う。勇者とは、誰かを護ることができる者のこと」


「……意見の相違だな、問題児。まぁ、主義主張はそれぞれあるものだろうが、すぐに指導してくれる。その甘っちょろい考えを、俺の拳でな」



 瞬時、教師が動いた。


 重い踏み込みからの一撃。空気を裂くように真横から腹部を狙ったフック。重いが同時に鋭さも併せ持つ。属性は──炎。


 その拳を、躱す。

 しかしすぐさまに逆の拳での追撃が来る。今度は氷属性のアッパー。


 そんなやりとりが五度続く。全て既のところで躱してはいるが、その全てが紙一重。一撃でも当たれば、今の手負いのユーシャではまともに堪えることができないだろう。そんなユーシャが、一体どのようにして教師に勝てるというのか。決定打となり得るはずの【恩恵】すら持たないというのに。


 しかしユーシャは、顔色ひとつ変えずに続ける。



「一つ、わかったことがある」



 唐突に、ユーシャが呟く。



「お前のその恩恵。魔力を消費せず属性魔法を拳に付与できるみたいだが、決定的な弱点がいくつかある」


「弱点だぁあ?」



 教師はわずかに血管を浮かべる。



「そんなもんは存在しない。なんだ? 勝ち目がないから動揺を誘おうって腹か? そうは──


「一つは、魔力量を調整できないことだ。付与される魔法の強さは全てお前の拳の速度によって固定されている。そして、お前の拳の速度上限さえ見極めれば、決して見切れぬ技ではない」


「ほう」


「そして二つ目の弱点は、一度に付与できる属性魔法は一つのみだということ。発動ラグが決して遅い【恩恵】ではないが、ちゃんとお前の拳を見てさえいれば────」


「なっ!?」


「決して止められない、技じゃない」


「馬鹿な……。俺の魔法を素手で……」


「素手じゃない。俺に魔法は使えないが、魔力は普通に使える。お前の拳の魔法を相殺できる程度の魔力は」



 魔法の相殺。確かに、同等の属性と魔力量があれば実行可能だ。だが、それは言葉で言うよりも容易いことでは決してない。それを実戦で行える者が今の勇者にどれほどいるか。


 それを見習いの勇者候補生が、現役勇者の教師相手に実行するなど……。



「そしてその弱点は、お前が負ける決定打となり得る」



 教師はもう片方の拳に属性魔法を付与し、防御の構えと取ろうとするが、間に合わない。



「ま、待て────」



 ユーシャの拳が光る。何の恩恵も、魔法も持たない少年の、それはただの魔力が乗っただけの魔力パンチ。だが──、



「っ……、────────ラッッ!!」



 教師一人を吹き飛ばすには、十分過ぎたらしい。


 教師はそのまま塔の壁へと叩きつけられ、動かなくなる。



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